氷室真司に突き放された天宮雪奈は、顔色を曇らせていた。自分の夫が私とあれほど親しげにしているのを目の当たりにし、衝撃で怒りを抑えきれそうになかった。
彼女は前に出て、氷室真司の手を私の腰から無理やり離し、自ら支えるようにした。
「お姉ちゃん、私が支えてあげるよ。足大丈夫?」
氷室真司は一歩下がった。
「ちょっと足をひねっちゃって、痛いの」
小さい声で話ながら、ほとんど体重を天宮雪奈に預けて歩き、たった数歩で彼女は息を切らして額にも汗が出た。ようやく私をソファに座らせると、彼女もドサリと隣に座り肩で息をしている。
そこで、氷室真司は彼女に目をやった。
「ご飯できたかを見てきてくれ」
天宮雪奈は彼を睨み、よく見ると不機嫌になったが、すぐに作り笑いをした。
「うん、見てくるね。」
彼女はキッチンに向かいながらも、何度も振り返って氷室真司を疑いの目で見ていた。
「病院行ったほうがいいんじゃない?」
氷室真司は私の向かいに腰を下ろし、私の足を見て尋ねてきた。
「もう大丈夫だと思う。さっきはちょっとつまずいただけ。」
彼は深く息を吸った。
「もし痛みがひどくなったら、すぐに言ってくれ。病院へ連れて行くから」
「はい。ありがとうございます、氷室社長。」
彼は私をじっと見て、何か言いたげだったが、結局何も言わなかった。
しばらくして、天宮雪奈はキッチンから戻って出てきた。
「真司、お姉ちゃん、ご飯できたよ!」
私は杖をついて立ち上がると、氷室真司はずっと私を見ていた。今度天宮雪奈は素早く動き、すぐ私のそばに駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん、私が支えるね」
「ありがとう、雪奈さん」
私の歩みは遅く、また体重を天宮雪奈に預けて進んだので、席につくころに彼女はすでに汗びっしょりだった。
「あら、雪奈さんなんだかすごく暑そう。服まで濡れてるよ?」
私は驚いてるふりをした。
すると氷室真司も天宮雪奈を見た。今日は白いリネンのワンピースを着ていたが、脇の下まで汗で濡れている。
「真司、お姉ちゃん、先に食べてて。私着替えてくる」
そう言って、彼女は気まずそうに部屋へ行った。
氷室真司は潔癖症なので、小声でさらに一言付けた。
「シャワーも浴びろ。」
一瞬固まった雪奈たが、すぐに「うん、そうするね」と答えここを出た。
テーブルに並んだ料理はすべて氷室真司の好きな食べ物。一口食べてみたら、自分で作った方が美味しいと感じた。
「全部雪奈さんが作ったの?意外と料理上手なんだね」
私は食べながら氷室真司に話しかけた。
「いや、彼女は料理できないんだ」
へえ、料理できないんだ。
以前、自分は彼の好きな料理は全部シェフに習って、一通り作れるようになり、味もレストランに負けていなかった。
今うつむいている彼は、昔のことを思い出しただろうか……
「そう言えば、相沢社長も料理苦手だったな。」
彼が急に顔を上げて私を見た。
「ふふ、最近料理授業を通って、少しできるよ」
「そうなの?」
私はテーブルの料理を見た。
「そうですよ。これくらいなら全部できるけど、味は保証できないわ」
彼は少し驚いた。
「てっきり相沢社長みたいなご令嬢は、わざわざ料理を勉強しないと思ってた。」
「よく言われているよ、美味しい料理は夫婦関係より良くなるとか。」
氷室真司は私を見つめ、視線がどこか変わったように感じた。
「そうか、兄貴のために、ってことだな」
私は小さく「愛する人のために」と答えた。
彼はうなずき、膝の上に置いた手を静かに握った。
結局、私はほとんど食べずに箸を置いた。
「口に合わなかったか?」
氷室真司は心配そうに聞いきた。
「そんなことない。ただ、普段夜はあまり食べないの」
「ダイエットの必要ないと思うが。」
私は微笑んで説明した。
「ダイエットではなく自制。」
「自分を律する女性は皆素晴らしいと思う。」
そういいながら私と見つめ合う。
「少し外の空気を吸ってくる。氷室社長はゆっくり食べて。」
私は席を立とうとした。
彼は私を見上げ、天宮雪奈がいる部屋の方をちらりと見た。
きっと迷っているのだろう。
私は立ち上がり、歩き出そうとしたが、足元がふらついて椅子に座り直してしまった。
彼はすぐに立ち上がり、私に腕を差し出して「つかまって」と言い、私は彼を見上げた。
「雪奈さんに誤解されるかも……」
「大丈夫だ」
彼は首を振った。
一体天宮雪奈がずっと彼の前で気の利く女性を演じてきたからなのか、それとも彼が私を気遣っているのか、わからなかった。
私は彼の腕を借りて、ゆっくり立ち上がった。
ダイニングから玄関まで、私はゆっくり歩き、彼はずっと隣で付き添ってくれた。慎重な表情に嫌そうな様子はまったくなかった。
むしろ、彼が何度も深呼吸するのが聞こえる。
自分の気持ちを落ち着けるためなのか、それとも私の香りを楽しんでいるのか……
玄関まで歩いたところで、天宮雪奈がいる部屋のドアが開いた——
そして、私は階段を降りるとき、わざとバランスを崩し、
氷室真司がとっさに私を抱きとめた。
彼の腕が私の柔らかい胸元をしっかりと支えていた。
視線の端で、着替えたばかりの天宮雪奈が、固まったように立ち尽くしているのが見える。
「ごめんなさい、足が言うこときかなくて……」
私は姿勢を整えてようやく、氷室真司はゆっくりと手を離した。視線が無意識なのか意図的なのか、さっき触れた私の胸元をかすめていった。
「真司……」
天宮雪奈が近づき、氷室真司はあわてて視線を逸らし、一歩下がって私と距離を取った。
天宮雪奈はもう気持ちを切り替え、満面の笑顔で近寄ってきた。
「お姉ちゃん、どこに行くの?」
「お庭で少し散歩とかしたいの。」
私も落ち着いた顔で答える。
「もう食べ終わったの?もしかしてご飯口に合わなかったのかな?」
彼女はそう言いながら氷室真司に視線を移した。
「いいえ、とても美味しかったです。ただ、夜はあまり食べないので。真司さんはまだ食事中でしょう?お二人でどうぞ。私は外で少し座ってきます。」
「わかった。お姉ちゃん、気をつけてね」
彼女は作り笑いで声をかけ、私はそのまま外へ向かった。
真司は見送りに行こうとしたが、雪奈に腕を掴まれた。
「あなた、私と一緒にいて。ちょうど話したいことがあるの」
真司はそのまま雪奈に食卓の前に連れ戻された。
彼女は席に座り、ほとんど手つかずの料理を眺めて少し不機嫌そうになった。
「夕食はすべて真司の好きな食べ物よね、どうしてあまり食べてなかったの?」
真司のご飯も半分以上残っていて、もう食欲がないようみたい。
「何の話?」
彼が雪奈を見る。
雪奈は心の中腹が立って仕方なかった。ちょっとシャワーを浴びて着替えてきただけなのに、戻ったら二人が抱き合っている。怒らないわけがない!
「一緒にもう少し食べてよ」
「もういい」
雪奈は悲しそうな顔をして夫を見上げた。
「もう好きじゃないの?私がどれだけ準備したと思ってるの?」
自分が準備したと聞き、真司は雪奈の顔を見た。
「すべて使用人が作ったんだろ?どれが君の手作りなんだ?」
雪奈は言葉に詰まった。
「ちょ……何を言いたいの?私が料理できないからって責めているの?天宮雪乃は毎日美味しい料理してたのに、あなたは彼女を愛してなかったじゃない。それで今は私にも彼女みたいになれってこと?」
「黙れ!彼女の名前を出して何するつもりだ!」
真司は怒り出し、雪奈も怒りを抑えきれなかった。
「自分んで考えてよ!私が来る前に彼女はもう席を立ち、さらに堂々とあなたを抱き締めた。その下心、隠す気もないんだよ!」