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第45話 息子に会いたい

外のブランコに揺られながら、家の中から氷室真司と天宮雪奈の言い争う声が時折聞こえてくる。ふたりはできるだけ声を抑えているつもりでも、私の耳に届いていた。


淡い黄色のワンピースが風の中でひらひらと舞い、今の自分の気持ちとぴったりだ。


「汐里!」

「汐里!」


千歳と菜々が塾から帰ってくるなり、私の姿を見ると笑顔で走ってきた。


「ご飯は食べた?」


私はにこやかにふたりに尋ねた。


「食べたよ!汐里、今日はプレゼントあるの?」


ふたりは私の周りに集まり、千歳はまるでATMを見ているような目で私を見つめる。


私はポケットから小さなジュエリーケースを取り出し、一人ずつ手渡した。


「開けてみて、気に入ってくれたらいいけど。」


姉妹は嬉しそうにそれを受け取る。中身はピンクダイヤの小さな猫のピアス、可愛らしくてとても高価な品だ。


「わぁ、うれしい!汐里大好き!」


千歳は喜んで私の頬にキスをして、菜々も真似して私にキスする。


「宿題はもう終わったの?」


私はふたりに聞くと菜々が嫌そうな顔をする。


「まだ……」


「書きたくないの?」


私はじっと菜々を見る。


「分からないから」


彼女は口をとがらせて言う。


「なら私が教えてあげるのはどう?」


千歳は勉強には全く興味がなく家庭教師も嫌がるけど、私の言うことに抵抗しなかった。


「じゃあちゃんと勉強したらご褒美くれる?」


千歳は小悪魔のような表情で私を見る。


「もちろん、ご褒美あげるよ」


「何でもいい?例えばさ、RMの宇宙飛行士の腕時計とか?」


「世界限定30本の腕時計?」


私はその腕時計を知っている。


千歳はキラキラした目になった。


「それそれ、でも高すぎるよね?」


「ちゃんと勉強して、今度のテストでトップ10に入ったら買ってあげる。」


「本当?汐里、約束だよ?」


「もちろん。約束破ったことある?」


「汐里、最高!大好き!」


千歳は飛び上がるほど喜んだ。


菜々は高価なものの価値はまだ分からないようで、お姉ちゃんの真似をした。


「汐里、私もいい点とったらご褒美もらえるかな?ラブブがほしい……」


「もちろん!」


私は即答した。千歳に比べたら、菜々の願いは簡単に満足できる。





氷室真司がドアをバタンと開けて出てきたとき、普段なら勉強させるのに苦労する娘たちが、おとなしく庭のテーブルで宿題をしているのを見かけた。


そんな中私はそばで千歳に問題を教えている。


彼は深呼吸をして、そのまま少し離れた場所からその様子を眺めた。


最近、彼が目にするのは雪奈が子どもたちを罵り、家庭教師を何度も替える姿ばかりだった。


けれども、今のこの穏やかで温かな光景は彼の心をほっとさせた。


しばらくして、ふたりとも宿題を終えると、顔を上げて彼に気づいた。


「パパ、今日の宿題全部終わったよ!」

「パパ、私も!」


ふたりは先を争って自慢げに報告して、氷室真司はとても嬉しそうな表情になった。


「よく頑張ったね、偉いぞ!」


パパに褒められて、子どもたちは大喜び。


「もう遊んでもいい?」


「もちろんだ」


氷室真司の許可が出ると、ふたりはうれしそうに遊びに走っていった。


数歩離れてから千歳が振り返る。


「おばさん、今日は帰るの?」


「帰らないよ。しばらく泊まるつもり。私がいてもいいかな?」


「もちろんだよ!」


千歳は大喜び。


「私も!」


菜々も続けて言う。


「ふたりとも君のことが大好きみたいだ。」


ふたりが楽しそうに遊びに行くのを見て、氷室真司は感心た。


私は無邪気な子どもたちの姿に目を細めて笑った。


「私も子どたちが大好きよ」


もし自分の息子と娘が生きていたら、きっと今ごろこのくらいの年だっただろう。


「雪奈さんは?」


氷室真司の目線の変化に気づかれず、彼に尋ねた。


珍しく天宮雪奈の名を聞いて、明らかに表情が曇った。


「体調が悪いみたいで、休んでる」


「そうなの?じゃあ、そばにいてあげなきゃね。」


私は微笑んだ。


「吸ってもいい?」


彼はタバコを取り出す。


私は答えず、杖をついて彼の前に歩み寄り。ポケットから彼にもらったライターを取り出すと、彼は私を見入った。


パチッ。


私が火をつけると、彼は少し頭を下げ火にタバコを近づけて吸った。


その後、私はライターをポケットにしまった。


「普段は吸うか?」


彼が低い声で尋ねる。


私は首を振った。


「鼻炎だから、タバコは無理」


「じゃあ、なんで持ち歩いてるの?」


急な質問に、私は視線をそらし、わぞと少し動揺したように、耳元の髪を耳にかける。


「昨夜からずっとポケットに入ってたので。」


「でも、今日は昨日の服じゃないだろ?」


私は深呼吸し、彼を見上げた。


「好きで持ち歩いてるだけ!」


氷室真司の瞳の色が次第に深く濃くなっていき、その中で本人にも気づかない何かの感情が広がっていく。


やがて、私は慌てて視線を外した。


「もう暗くなったし、部屋に戻って休むね」


彼の目には一刻も逃げ出したいように映ったかもしれないが、本当は自分の目に溢れそうな憎しみが気づかれるのが怖かった。


「分かった」


彼は道を開けてくれた。


私は杖をついてゆっくりと通り過ぎた。


彼は手を差し伸べることはせず、後ろからついてきて一緒に屋敷の中へ入った。


私はホールに立ち尽くし、少し戸惑いながら尋ねた。


「私の部屋はどこ?」


「三階にいる」


私は階段を見上げる。


「三階か……」


「エレベーターがあるよ、こっちに来て。」


彼が案内してくれた。三階の部屋は広くて、小さな書斎もついている。


氷室真司と天宮雪奈の部屋は二階で、私と子どもたちの部屋は三階だ。


耳を澄ませていたが、氷室真司は私を部屋に送り届けると、そのまま書斎へ向かった。二人の部屋には戻らなかったみたい。





夜、ベッドに横になってもなかなか眠れない。


目を閉じると、蒼汰の小さな姿が浮かんでくる。涙が止められず、私はひとり部屋で長いこと泣いた。


夜中の屋敷は物静かで。私は部屋を出て、蒼汰の遺品が置いてある部屋へ向かった。


その部屋は氷室真司の書斎の隣で、そっと近づき静かにドアを開けて中に入った。


月明かりの中、私は蒼汰が使っていた小さな枕や毛布を抱きしめ、胸が締めつけられる。


蒼汰が眠っていた小さなベッドに丸くなり、過去の思い出が鮮やかによみがえる……


突然、外から足音が聞こえ、だんだん近づいてくる。


私は慌ててベッドを降りてその下に隠れた。


ドアが開き、明かりがつく。


ベッドの下から女性用のスリッパが見えた。一歩一歩、彼女はゆっくりと部屋に入ってくる。


天宮雪奈だ。


心臓が高鳴る。

もし見つかったら、どう説明したら……


「ここで何をしている?」


そのとき氷室真司の声が聞こえて、天宮雪奈が足を止めた。


「さっき三階を見に行ったけど、お姉ちゃんの姿がなかった。一階を探し回ってももいなかったから、何かあったのかと怖くて…」


氷室真司はドアの前に立っている。


「ここに来るわけないだろう。外にいるかも。」


「じゃあ、外も見てくる」


と言いながら、彼女はしばらく部屋を見回し、私がいないと確認してからドアを閉めて出ていった。


明かりが消え、部屋は再び暗闇に包まれる。


私は床に横たわり、蒼汰の枕を抱きしめていた。


すると、ドアノブが再び静かに回された。


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