外のブランコに揺られながら、家の中から氷室真司と天宮雪奈の言い争う声が時折聞こえてくる。ふたりはできるだけ声を抑えているつもりでも、私の耳に届いていた。
淡い黄色のワンピースが風の中でひらひらと舞い、今の自分の気持ちとぴったりだ。
「汐里!」
「汐里!」
千歳と菜々が塾から帰ってくるなり、私の姿を見ると笑顔で走ってきた。
「ご飯は食べた?」
私はにこやかにふたりに尋ねた。
「食べたよ!汐里、今日はプレゼントあるの?」
ふたりは私の周りに集まり、千歳はまるでATMを見ているような目で私を見つめる。
私はポケットから小さなジュエリーケースを取り出し、一人ずつ手渡した。
「開けてみて、気に入ってくれたらいいけど。」
姉妹は嬉しそうにそれを受け取る。中身はピンクダイヤの小さな猫のピアス、可愛らしくてとても高価な品だ。
「わぁ、うれしい!汐里大好き!」
千歳は喜んで私の頬にキスをして、菜々も真似して私にキスする。
「宿題はもう終わったの?」
私はふたりに聞くと菜々が嫌そうな顔をする。
「まだ……」
「書きたくないの?」
私はじっと菜々を見る。
「分からないから」
彼女は口をとがらせて言う。
「なら私が教えてあげるのはどう?」
千歳は勉強には全く興味がなく家庭教師も嫌がるけど、私の言うことに抵抗しなかった。
「じゃあちゃんと勉強したらご褒美くれる?」
千歳は小悪魔のような表情で私を見る。
「もちろん、ご褒美あげるよ」
「何でもいい?例えばさ、RMの宇宙飛行士の腕時計とか?」
「世界限定30本の腕時計?」
私はその腕時計を知っている。
千歳はキラキラした目になった。
「それそれ、でも高すぎるよね?」
「ちゃんと勉強して、今度のテストでトップ10に入ったら買ってあげる。」
「本当?汐里、約束だよ?」
「もちろん。約束破ったことある?」
「汐里、最高!大好き!」
千歳は飛び上がるほど喜んだ。
菜々は高価なものの価値はまだ分からないようで、お姉ちゃんの真似をした。
「汐里、私もいい点とったらご褒美もらえるかな?ラブブがほしい……」
「もちろん!」
私は即答した。千歳に比べたら、菜々の願いは簡単に満足できる。
氷室真司がドアをバタンと開けて出てきたとき、普段なら勉強させるのに苦労する娘たちが、おとなしく庭のテーブルで宿題をしているのを見かけた。
そんな中私はそばで千歳に問題を教えている。
彼は深呼吸をして、そのまま少し離れた場所からその様子を眺めた。
最近、彼が目にするのは雪奈が子どもたちを罵り、家庭教師を何度も替える姿ばかりだった。
けれども、今のこの穏やかで温かな光景は彼の心をほっとさせた。
しばらくして、ふたりとも宿題を終えると、顔を上げて彼に気づいた。
「パパ、今日の宿題全部終わったよ!」
「パパ、私も!」
ふたりは先を争って自慢げに報告して、氷室真司はとても嬉しそうな表情になった。
「よく頑張ったね、偉いぞ!」
パパに褒められて、子どもたちは大喜び。
「もう遊んでもいい?」
「もちろんだ」
氷室真司の許可が出ると、ふたりはうれしそうに遊びに走っていった。
数歩離れてから千歳が振り返る。
「おばさん、今日は帰るの?」
「帰らないよ。しばらく泊まるつもり。私がいてもいいかな?」
「もちろんだよ!」
千歳は大喜び。
「私も!」
菜々も続けて言う。
「ふたりとも君のことが大好きみたいだ。」
ふたりが楽しそうに遊びに行くのを見て、氷室真司は感心た。
私は無邪気な子どもたちの姿に目を細めて笑った。
「私も子どたちが大好きよ」
もし自分の息子と娘が生きていたら、きっと今ごろこのくらいの年だっただろう。
「雪奈さんは?」
氷室真司の目線の変化に気づかれず、彼に尋ねた。
珍しく天宮雪奈の名を聞いて、明らかに表情が曇った。
「体調が悪いみたいで、休んでる」
「そうなの?じゃあ、そばにいてあげなきゃね。」
私は微笑んだ。
「吸ってもいい?」
彼はタバコを取り出す。
私は答えず、杖をついて彼の前に歩み寄り。ポケットから彼にもらったライターを取り出すと、彼は私を見入った。
パチッ。
私が火をつけると、彼は少し頭を下げ火にタバコを近づけて吸った。
その後、私はライターをポケットにしまった。
「普段は吸うか?」
彼が低い声で尋ねる。
私は首を振った。
「鼻炎だから、タバコは無理」
「じゃあ、なんで持ち歩いてるの?」
急な質問に、私は視線をそらし、わぞと少し動揺したように、耳元の髪を耳にかける。
「昨夜からずっとポケットに入ってたので。」
「でも、今日は昨日の服じゃないだろ?」
私は深呼吸し、彼を見上げた。
「好きで持ち歩いてるだけ!」
氷室真司の瞳の色が次第に深く濃くなっていき、その中で本人にも気づかない何かの感情が広がっていく。
やがて、私は慌てて視線を外した。
「もう暗くなったし、部屋に戻って休むね」
彼の目には一刻も逃げ出したいように映ったかもしれないが、本当は自分の目に溢れそうな憎しみが気づかれるのが怖かった。
「分かった」
彼は道を開けてくれた。
私は杖をついてゆっくりと通り過ぎた。
彼は手を差し伸べることはせず、後ろからついてきて一緒に屋敷の中へ入った。
私はホールに立ち尽くし、少し戸惑いながら尋ねた。
「私の部屋はどこ?」
「三階にいる」
私は階段を見上げる。
「三階か……」
「エレベーターがあるよ、こっちに来て。」
彼が案内してくれた。三階の部屋は広くて、小さな書斎もついている。
氷室真司と天宮雪奈の部屋は二階で、私と子どもたちの部屋は三階だ。
耳を澄ませていたが、氷室真司は私を部屋に送り届けると、そのまま書斎へ向かった。二人の部屋には戻らなかったみたい。
夜、ベッドに横になってもなかなか眠れない。
目を閉じると、蒼汰の小さな姿が浮かんでくる。涙が止められず、私はひとり部屋で長いこと泣いた。
夜中の屋敷は物静かで。私は部屋を出て、蒼汰の遺品が置いてある部屋へ向かった。
その部屋は氷室真司の書斎の隣で、そっと近づき静かにドアを開けて中に入った。
月明かりの中、私は蒼汰が使っていた小さな枕や毛布を抱きしめ、胸が締めつけられる。
蒼汰が眠っていた小さなベッドに丸くなり、過去の思い出が鮮やかによみがえる……
突然、外から足音が聞こえ、だんだん近づいてくる。
私は慌ててベッドを降りてその下に隠れた。
ドアが開き、明かりがつく。
ベッドの下から女性用のスリッパが見えた。一歩一歩、彼女はゆっくりと部屋に入ってくる。
天宮雪奈だ。
心臓が高鳴る。
もし見つかったら、どう説明したら……
「ここで何をしている?」
そのとき氷室真司の声が聞こえて、天宮雪奈が足を止めた。
「さっき三階を見に行ったけど、お姉ちゃんの姿がなかった。一階を探し回ってももいなかったから、何かあったのかと怖くて…」
氷室真司はドアの前に立っている。
「ここに来るわけないだろう。外にいるかも。」
「じゃあ、外も見てくる」
と言いながら、彼女はしばらく部屋を見回し、私がいないと確認してからドアを閉めて出ていった。
明かりが消え、部屋は再び暗闇に包まれる。
私は床に横たわり、蒼汰の枕を抱きしめていた。
すると、ドアノブが再び静かに回された。