抱えていた枕をベッドに戻し、私は急いで隠した。
横になった途端、天宮雪奈がまた部屋に入ってきて、電気をつける。
氷室真司の声が先に響いた。
「今度は何だ?」
「さっきベッドの枕がなくなってた気がして」
「ちゃんとあるじゃないか」
「でもこの枕の位置、さっきと違う気がする」
氷室真司は少しイライラになった。
「千歳か菜々が入ってきたんだろ」
「ありえない。千歳にも菜々にも、勝手に入っちゃダメって言ってある」
天宮雪奈がすぐに否定した。
「行こう」
氷室真司は立ち上がり、部屋を出ていく。
部屋の明かりがまた消え、私はようやくほっと息をついた。
二人の足音が遠ざかったのを確認し、私はそっと部屋を抜け出した。
氷室真司と天宮雪奈は庭をぐるっと探したが、私の姿はどこにもなく。二人が戻ってきた時、私はちょうどキッチンから出て階段を上がろうとしていた。
天宮雪奈が見かけてすぐに歩み寄る。
「お姉ちゃん、どこ行ってたの?」
「どこにも行ってないよ。それより、二人して外に出てたの?こんな夜中に?」
彼女はじっと私を見つめた。
「さっきお姉ちゃんの部屋を見に行ったらいなかった。一階も探したけど、見当たらなかった。」
氷室真司も静かに私を見つめている。
このまま続けると不利になる一方どと察し、私は雪奈に問い返した。
「こんな時間に私を探して、何か用?」
氷室真司の視線が彼女に向けた。
「寝る部屋が変わって寝つけないかと思って、お姉ちゃんのために牛乳を持って行こうと思ったの」
「雪奈、気にかけてくれてありがとう。夜中にわざわざ牛乳まで。実は寝つけなくて、屋上のテラスで少し涼んでたの」
まさか私がテラスにいるなんて、思いもしなかっただろう。
そしたら、天宮雪奈は私の足元を見た。
「お姉ちゃん、足を怪我したじゃない、テラスに行けるの?」
テラスへはエレベーターがなく、階段で上がるしかない。
私は少し眉を寄せた。
「実は大丈夫かと思ったけど、やっぱり痛くなったみたい。無理して降りて痛み止めを探してた。」
氷室真司も眉を寄せた。
「病院に行くか?」
「もう遅いし、薬を飲んで様子見るよ」
「そうだな。雪奈、薬箱を持ってきて」
彼女は「はい」と返事をして、薬箱を取りに行った。
私はダイニングの椅子に腰掛けて、小さく呟く。
「迷惑かけてごめんなさい。明日、出ていった方がいいかもしれないね」
「君のせいじゃない」
彼は優しく慰めてくれた。
天宮雪奈が痛み止めと水を持ってきて、私が飲むのを見届けた。
それから二人にエレベーターまで送られ、私は氷室真司に尋ねた。
「氷室社長、家に囲碁盤はありますか?」
「囲碁をしたいのか?」
私はうなずいた。
「この癖あまり良くないけど、私眠らない時はどうしても囲碁したくなるんだ」
氷室真司は二階のボタンを押した。
天宮雪奈は拳をぐっと握りしめていた。二階に着くと、彼は「囲碁盤は俺の書斎にある」と言った。
「私の部屋まで持ってきてもいいかな?」
私は氷室真司を見た。
「ここで打ってもいい」
「やっぱりお姉ちゃんの部屋に持って行こうよ。眠くなったらそのまま寝られるし、わざわざ二階から三階に移動しなくていいから」
彼女は突然違う提案をした。
氷室真司はそれに同意して、部屋に囲碁盤を取りに行った。
その頃、天宮雪奈は急に問い詰めるてきた。
「お姉ちゃん、さっきあの部屋に入ったでしょ?」
彼女は蒼汰の部屋を指さしていた。
「見てたの?」
私は平然とした顔のまま。
「それは…」
彼女は顔を真っ赤にしたのを見て、私は微笑んだ。
「あの部屋、何か秘密でもあるの?雪奈さん、私が入るのが怖いみたいよ?」
氷室真司が囲碁盤を持って出てくると、彼女はそれを受取ろうとした。
「私がお姉ちゃんの部屋に持っていくね!」
だが、氷室真司は手を離さない。
「夜中に男の人がお姉ちゃんの部屋に入るのはよくないよ。私に任せて。」
それは日本の樹齢百年の榧でできており、木目も美しく、表面は艶やか。黒白の碁石は上質な玉石でできていた。
囲碁盤を受け取ったが、彼女には少し重そうだった。
そして氷室真司がこの囲碁盤をとても大切にしているのも感じた。
壊されるのを恐れているのだろう。
「雪奈さんの言う通りですね」
そう言って、私はエレベーターへ向かい、雪奈が後に続く。
エレベーターに先に乗り、わざと杖をゆっくりしまった。雪奈がつまずいて、前のめりに倒れ込む——
ゴンッと音を立てて、貴重な榧の囲碁盤が床に落ちた。
ジャラジャラと、黒白の碁石があちこちに散らばり、何個かエレベーターの隙間に転がり込んだ。
氷室真司の顔色が一変して、もう手遅れだった。
天宮雪奈は床に倒れたまま頭が真っ白になった。囲碁盤は割れて、もう修復できない。
彼女はこれが氷室真司の一番の宝物だと知っていて、すぐに謝った。
「真司、ごめんなさい、わざとじゃないの!」
しかし氷室真司は彼女を睨みつけ、目に怒りと警告の色が浮かぶ。それは、彼には彼女がわざとやったように見えた。
彼女は慌て始めた。
「私がつまずいたのは、彼女のせいよ。そう、彼女がわざと私を突き飛ばしたの。真司、本当に私のせいじゃないの!」
ついに彼女は本心をぶつけてきた。
私は何も弁解せず、すべてを引き受ける。
「……はい、雪奈さんの言うとおりです。全部私が悪いんです、足が悪いのにウロウロして、囲碁盤を借りるなんて余計なことを言い出してらこうなったら。」
涙を拭い、目を赤くして続けた。
「氷室社長、この将棋盤をものすごく大切なものですよね。必ず弁償しますから、安心してください」
天宮雪奈は急に嬉しそうに、私を指さして叫ぶ。
「ほら、彼女が自分で認めた!今夜はわざと私を陥れようとしたのよ!」
私は泣き崩れたままさらに謝る。
「全部私が悪いんです、ここに来るべきではなかった。今すぐ出て行きます!」
私はエレベーターに乗って、一階のボタンを押した。
扉がゆっくり閉まり、氷室真司は私の姿が消えていくのをじっと見つめていた。その最後の瞬間、彼の顔から一瞬の焦りが見えて、私に向かおうとした。
でも、扉はもう閉まってしまった。
「真司、どこへ行くの?」
エレベーターの中で、天宮雪奈の泣き声が聞こえた。
一階に着いて扉が開くと、氷室真司が息を切らして立っている。
彼がどれだけ急いで二階から駆け下りてきたか、想像すらできる。
私はゆっくりと中から出る。
「送ってくれないかな?この時間じゃタクシーも捕まらないみたいで」
私の寂しそうな表情をしながら頼む姿が彼のめに映った。
彼はため息をつき、私の手を取って再びエレベーターに引き戻した。
でも私は拒む。
「お願い、家に帰らせて!」
でも、彼の手はびくともしない、そのまま三階のボタンを押した。
そんな中、私は天宮雪奈が慌てて階段を駆け下りてくるのを見た。
髪を振り乱しながら、彼女が走り寄ってくる。
「真司……」
エレベーターの扉が彼女の目の前でゆっくりと閉まり、彼女は泣きながらと叫んだ。
「真司、お願い、話を聞いて!」
氷室真司はきびしい表情で私の手首を握りしめ、彼女は私を睨みつけた。
扉が閉まるその瞬間、私はふっと彼女に向かって微笑んだ。
勝ち誇ったような笑みを。
「出てきなさいよ、出てきなさい……!」
彼女はまた私に怒りをぶつけてきた。
三階に着き、氷室真司は私を部屋まで送り、私は振りほどこうとした。
「家に帰る!」
「安心してここにいろ。雪奈のことは気にしないでくれ。悪気はないんだ。ちゃんと彼女に謝らせるから。」
氷室真司は私の両肩を押さえ、低い声で優しく言った。