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第47話 狂った真司

氷室真司は私をなだめたつもりで部屋を出ていった。


ドアが閉まると同時に、私は頬の涙をぬぐい、さっきまでの悔しそうな表情も消え去った。

天宮雪奈が泣きじゃくる姿を見て、心の中で思わずほくそ笑んだ。


数年前、泣いていたのは私だった。

今では立場が逆転し、まだ何もしていないのに、彼女はもうこんなにも苦しんでいる。


もし、氷室真司が本当に私を好きになり、天宮雪奈が捨てられる日が来たら、彼女はどうなるのだろう?


かつての私のように、すべてを失い、子どもまで奪われて、死に追い詰められてしまうのか?


心の中でもう答えは決まっている。


歯には歯を目には目を。彼女には私が味わった何倍もの苦しみを返してもらう。蒼汰たちの死に、必ず命を償わせる。


天宮雪奈、復讐はまだ始まったばかりよ。




その頃、雪奈は信じられずにいた。かつて自分を永遠に愛すると誓った男が、他の女のために自分に手を上げるなんて。


しかも、これで二度目!


彼女は顔を押さえ、怒りに震える真司を見つめた。


「真司、あなたはあの女のために私を殴ったの?私に手を上げたの?」


男は冷たい目で彼女を見る。


「謝りに行け!」


「嫌よ!どうして私が謝らなきゃいけないの?私は何も悪くない!」


雪奈は悲痛に叫んだ。


真司の目は細くなり、失望な顔で自分妻を見る。


「どうして、君はこんなふうになってしまったんだ?」


涙で顔を濡らした雪奈は信じない目で自分の夫を見る。


「私が変わったんじゃない、変わったのはあなたよ。あなたがお義姉さんと浮気したんだ。真司、そんなことをして、後はどうなるか分かってるの?世間に知られたらもう終わりよ!もし私がお義父さんに話したら……」


真司は怒りに我を忘れていた。久しぶりに躁状態に入り、一歩前に踏み出すと、雪奈の髪を乱暴に掴み、顔を無理やり上に向けさせた。


「もう一度言ってみろ!」


ここ何年、真司が偶にイライラになると雪奈は知っていた。けれど、今のような目をする彼を見たのは、初めてだった。


いつだって、気持ちが荒れても書斎に一晩中籠もり、家族の前では抑えてきた。


しかし、今日雪奈は一番触れていけないことを触れた。地位と名誉——彼が何よりも大切にしてきたもの。


雪奈は恐怖に震え、慌てて必死に謝った。


「ごめんなさい、真司、私が悪かったの。あなたを失うのが怖くて…ごめんなさい、許して、謝るよ、今すぐ謝りに行くから……!」


だが、一度暴走が始まると、簡単には治まらない。


「パパ……」

「パパ……」


千歳と菜々が騒ぎで目を覚まし、部屋から出てきた。


雪奈は子どもたちを見て、慌ててさらに懇願する。


「真司、お願い、子どもたちが見てるからやめて。私が悪かった、謝るから、お願い、もう怒らないで、放して……」


菜々は怖くて泣き出した。


「パパ……ママ……喧嘩してるの?怖いよ!」


千歳は少し勇気を振り絞り、真司に詰め寄る。


「パパ、どうしてママを叩くの?ママを放して!」


菜々の泣き声、千歳の問い詰め、雪奈の叫び声——それらすべてが、真司の怒りにさらに油を注いだ。


「うるさい!みんな黙れ、黙れ!」


彼の理性は完全に崩壊し、狂気と化した。


雪奈は必死にもがいたが、到底真司の力には敵わない。ついに、彼女は真司の手に噛みついた。


千歳はその様子に怯え、慌てて三階へ駆け上がる。





下の騒ぎは私にもはっきりと聞こえていたが、しばらく無視を決め込んだ。しかし、千歳が私の部屋のドアを激しく叩き始め、仕方なくゆっくりと起きて扉を開け、眠たげなふりをした。


「どうしたの、千歳?」


「汐里、パパとママが喧嘩してるの。すごく怖いの、早く二人を止めて!」


千歳は泣きじゃくり、全身が震えていた。


私は頭をなでて慰めた。


「大丈夫よ、私が行くから。」


下に降りると、雪奈は床にうずくまり、頭から血を流していた。その白い肌に赤い血が流れる様子が目に刺さった。


まるで五年前の自分だ。


一方、真司は部屋の物を次々と壊していた。


菜々は階段の隅で泣き声を止められずに震えていた。


「千歳、妹を連れて部屋に戻りなさい!」


小さな体で震える菜々を見て、さすがに心が痛んだ。


子どもたちは何の罪もない!


千歳は妹の手を引いて、二人で階段を上がっていった。


私はゆっくりと氷室真司に近づく。彼はちょうどレコードプレーヤーを持ち上げて、床に叩きつけようとしていた。


「真司!」


彼は力いっぱいレコードプレーヤーを床に叩きつけ、粉々に砕け散った。次に、花瓶を手に取った。


私は彼の腕をそっとつかむ。彼は私を睨みつけ、怒りで目が血走り、その花瓶を今にも私に投げつけそうだった。


「真司、私よ」


彼を見上げて、優しく声をかける。


彼は私をじっと見つめ、しばらくしてから何かつぶやいた。


「雪乃……」


私はびっくりし、花瓶が床に落ちて粉々になった。


彼は突然私を抱きしめた。あまりにも力強く、まるで私が今にも消えてしまいそうなほどだった。


「雪乃、帰ってきたのか?帰ってきたんだな!なぜ裏切った?あのボディーガードがそんなに良かったのか……」


うわ言のような言葉が漏れ、私はその場で固まった。複雑な気持ちでいっぱいだった。彼は正気を失ったとき、私の名前を呼んでいた。


そして、もう一つ自分の秘密に気付いた――私がボディーガードと浮気し、彼を裏切った。


滑稽すぎて笑い出しそう!私が死んだあと、子どもたちが彼の子だと分かった今でも、彼にとって私は裏切り者!

私はいまだに浮気の罪を晴らせていない!


天宮雪奈は力尽きに立ち上がり、私たちの元へ歩み寄ると、氷室真司の腕を引きはがそうとした。


「真司、放して!雪奈だよ、私はここにいるわ。あなた、抱きしめる相手を間違えてる!」


氷室真司が私の耳元でつぶやいた言葉は、天宮雪奈には聞こえなかったみたい。しかし、「雪乃」と彼が呼んだことだけは、彼女にも届いていた。


それでも、氷室真司は天宮雪奈を無視し、離そうとするその手を気づき、さらに強く抱きしめてきた。


息ができなくなりそうだった。私は彼の背中を軽く叩く。


「真司さん、息ができないの。」


それでも彼は動じず、目を閉じて自分だけの世界に閉じこもっている。


「このままじゃ、私、死んじゃうよ。」


おそらく「死」という言葉に反応したようで、彼はゆっくりと目を開け、ようやく私を放した。


私は深呼吸して、彼から一歩離れた。


天宮雪奈はすぐに駆け寄り、彼の手をつかんだ。


「真司……どうしたの?私を見てよ、雪奈だよ……」


氷室真司の目はうつろで、しばらく何も言わなかった。


彼がようやく正気に戻ったと思ったその時——


突然目の前の雪奈を突き飛ばし、頭を抱えて大声で叫びだした。まるで檻の中の獣のように、すべてを壊して逃げ出そうともがいていた。


自分の行動が周りにどんな影響を与えているかも、まったくわかっていない様子で、真っ赤な顔に全身が今にも裂けそうなほどに緊張している。


こんな彼を見るのは初めてだった。正直、不安や恐怖もあったが、それ以上に、心の奥底で相手を従わせたいという欲望が膨れ上がるのを感じた。


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