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第48話 代わりに彼女の夫を慰める

氷室真司が感情障害を抱えていると知ってから、私はその病気について徹底的に調べた。患者がどんな状況で怒りを爆発させるのか、どうやって暴走した状態から落ち着かせるのか。


その知識は今まで理論にすぎなかったが、今日初めて使うことになる。


私は早く自分の研究成果を実践してみたくてたまらなかった。


氷室真司の激しい怒りに、天宮雪奈の感情も崩壊した。彼女は恐怖と悲しみでいっぱいになり、彼の後を追いかけて叫んだ。


「真司、お願い、落ち着いて!どうしたの?そんなの止めて!」


だが、彼女が声をかければかけるほど、氷室真司の行動はますます激しくなる。


「出ていけ!消えろ!」


彼は大声で叫び、傍の物を掴んで天宮雪奈に投げつけ、彼女は頭を抱えて逃げ惑い、私は冷静にその様子を見守った。


ついに彼女は近づくこともできなくなり、視線を私の方に移した。


「全部あなたのせいよ!私たちの幸せを壊しに来て、何の恨みがあるの?」


私は彼女を見て、冷ややかに笑った。


「恨みがないって、本当にそう思う?」


彼女は一瞬言葉を失い、それから私を脅してきた。


「もし氷室将人にあなたが真司を誘惑したって知られたら、どうなるか分かってるの?」


かわいそうに、まだ自信満々に問い詰めに来ているとは。


「私がいつ誘惑したの?むしろ、そんな嘘を広めたら自分がどうなるか考えた方がいいんじゃない?真司はあなたを許すかしら?」


天宮雪奈は私を憎悪のこもった目で睨みつけた。


「お前が真司を誘惑した!真司が本当に愛しているのは私、お前なんかに好きになる訳がない!」


「本当にそう思ってるの?」


そう言い残し、私はまだ荒れている氷室真司のほうへ歩み寄った。雪奈は目を見開いて私を見つめる。


彼かか1メートルほど離れたところで、静かに彼の名前を呼んだ。


「真司……今すごく辛いよね……分かってるよ……全部分かってるよ……

疲れたでしょう?少し座って休まない?」


氷室真司はこちらを見て、動きを止めた。


「座って少し休もう?」


私は優しくそう声をかけた。


彼はゆっくりと座り込んだ。私はすぐ天宮雪奈に指示を出した。


「濡れたタオルを持ってきて」


彼女は私を睨みついたまま。


「早く持ってきて!」


私の冷たい命令に従い、ようやく彼女は洗面所からタオルを取り出し、私は氷室真司に近づいた。


彼はうつむきながら荒く息をしていて、すでに疲れ切っていた。


そっと彼の前にしゃがみ、タオルを差し出す。


「汗を拭いて。少しは楽になる。」


優しい声のまま、威圧感を与えないようにゆっくりと話すと、氷室真司は私に視線を向け、徐々に落ち着いた。


だが、彼はタオルは受け取らなかった。タオルをぎゅっと握った手にそっと置き、体が小さく震えたがもう暴れたりはしなかった。


私は彼の手を拭き、さらに額の汗も優しく拭った。彼はおとなしくそれを受け入れた。


離れたところにいる雪奈はそれを見ていられなくなり、氷室真司が落ち着いたと思ったのか、私の手からタオルを奪い取った。


「どいて!私の夫は私が世話する。」


彼女の鋭い声と乱暴な動きに、氷室真司は再びコントロールを失い、壊れたテーブルを蹴り倒す……


まずいと思いき、私はすぐに氷室真司の頭を抱えてその視界を遮り、両手で彼の耳を覆った。天宮雪奈は怖くなって一歩退き、青ざめた顔で真司を見つめる。


彼の耳元で静かにささやいた。


「大丈夫だよ、真司。怖がらないで。疲れたでしょう、休もう!」


「真司から離れなさい……!」


「彼を殺したいなら、好きにすればいい!」


私はゴミを見るような目で天宮雪奈を見る と、彼女はやはり黙り込み、手を強く握りしめて震えていた。


氷室真司の感情も徐々に落ち着き、私は手を離して彼の手を引いた。


「ついてきて。」


言う通り立ち上がり、私と一緒にその場を離れた氷室真司を見て、雪奈は怒りで顔を真っ赤にし、目を大きく見開いていた。





私は氷室真司を連れて二階の書斎へ向かった。


そこは彼がいつも自分で気持ちを整える場所、彼にとって安らげる空間。


初めてその書斎を見たが、中は意外と広く、入口には屏風があり、その奥にデスク、そして片隅には囲碁用のスペースがある。てっきりベッドが置いてあると思っていたけど、それがなかった。


つまり、彼はいつも夜明けまで座っていた。


書斎に入ると、彼は囲碁の前に静かに座った。


私は氷室真司の正面に座り、彼は机を見つめながらかすれた声で言った。


「碁石は?」


碁石は壊れてしまっていた。


「碁を打ちたいの?」


彼はうなずいた。


意識が混乱していても、囲碁が心を落ち着かせることは忘れていない。


私はあたりを見回し、棚から新しい碁石を見つけ、基盤用意した。


「じゃあ、私から打つね」


彼は何も言わず、私は黒石を一つ置いた。





彼の頭はまだぼんやりしていたが、碁の腕前は変わらない。


二時間後、彼の気持ちはほぼ平静に戻っていた。その間、私たちは一言も会話せず、ただ静かに碁を打ち続ける。


今日は彼を刺激しないように、私は争うことなく穏やかに碁を進めた。


見たところ、彼の勝ちは目前だった。


きっとこの対局が終われば、少しは冷静さを取り戻すだろうと、私はそう思っていた。


ところがそのとき、彼はふいに手にしていた碁石をテーブルに置いた。


「わざと負けてるの?」


低く落ち着いた声が頭上から響き、私は顔を上げ彼の瞳を見つめた。


落ち着いてるようでほっとした。


「そんなことないよ」


彼はもう大丈夫みたい。


すると、彼は横に首を振った。


「君は何度も譲ってくれた」


私は何も言わなかった。


彼はため息をつき、ふっと目を閉じた。


一瞬、彼が本当に落ち着いたのか、それともまた怒り出すのか分からず、緊張した。


しばらくして、彼はゆっくりと口を開いた。


「今日は、みっともないところを見せてしまったね」


「そんなことないよ」


と呟いてるように答えて、彼はゆっくり目を開いた。


「怖かった?」


私は首を振り、それから小さくうなずいた。


「ちょっとだけね」


彼は少し笑った。


「それでも俺に近づけ……」


彼は言葉を切り、かすれた声で続けた。


「どうして逃げなかった?」


彼が言いたかったのは、「どうして近づいたんだ?」ということだと分かっていた。


「そうだね、逃げるべきだったのかも。あのときは……」


「何?」


彼は私を見つめ、私も彼を見つめ返した。


「悲しかった。」


その言葉に、氷室真司の目が一瞬強くなり、呼吸が少し乱れた。


「あなたみたいな素晴らしい人が、こんなふうになってしまうなんて……見ていられなかった。」


そして誤解されないように、説明した。


「あなたを尊敬しているから、放っておけなかった。」


彼の唇がわずかに震え、ついには微笑みが浮かんだ。


「この前君は、そのそっくりな人が俺と何の関係かと聞いたよね?」


彼はゆっくりと話し始め、私は彼の顔をじっと見て続きを待っていた。


「それは、俺の元妻だ。」


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