氷室真司は午前中眠っていて、起きた後ひげを剃り、服も着替えて、ずいぶん元気そうになった。
ふと部屋を見渡すと、使用人たちが皆緊張した面持ちで壁際に立っている。息をひそめているのが伝わってくる。
「やっぱり妹が帰ってきてから一緒に選ぼう。人それぞれ好みも違うし、もし彼女が気に入らなかったら困るよね。」
その頃、私は逆に一歩下がって彼に提案した。
「いや、君に頼むよ。」
やっぱりかかった。
「うん、分かった。ところで、何か特に好きなブランドやこだわりとかあるの?」
そしたら、彼は私をじっと見つめた。
「俺も一緒に行くよ」
私はちょっと驚いた。彼と長く一緒に過ごした間、こうした細かなことに口を出すことは今までなかった。聞いた話では、この別荘にある家具も、すべて天宮雪奈が選んだものらしい。
昼食の後、私たちは家を出た。
今日、彼は自身のロールス・ロイス・カリナンを運転してくれた。
この車に乗るのは初めてだった。今まで私は人目を避けてきたし、彼と一緒に外出することもなかったからだ。
今はなんと助手席に座っている。
車内にはほのかにウッディの香りが漂っていた。天宮雪奈の香水はいつも強めで、きっと彼女はあまりこの車に乗っていないのだろう。
私は深呼吸して、気持ちを落ち着かせた。
全国で一番高級なホームセンターには館内電車があり、私たちはそれに乗って各ブランドをガイドが説明してくれるのを聞いた。
途中、私は運転手に声をかけて電車を降りた。
「どうしたの?」
彼が尋ねる。
「ちょっと歩きたい気分なの」
彼も一緒に降りて、私は海外ブランドの店に入った。
なんだか見覚えがあるなと思ったら、将人の家はこのブランドの家具を使っていたと気づいた。
付き添いのマネージャーは氷室真司に向かって説明した。
「こちらはイタリアの高級ブランドで、今月国内に初オープンしたばかりです。まだ日本ではあまり知られていませんが、世界的に有名なんです。」
そして私にも微笑みかけて褒めてくれた。
「お客様、本当にお目が高いですね……」
「どう思う?」
私は氷室真司に尋ねると、彼は私を見て、静かにうなずいた。
「君がいいと思うなら、それでいいよ」
私は思わず笑ってしまった。
「でも、これはあなたの家のものなのに?」
「君が好きなものは、きっと俺も好きだ。」
思わず口にした彼の言葉に、さすがの私にも何を返事しようかにつまずいた。
そう言いった彼も少し照れた様子で、「俺もすごく気に入った」と付け加えた。
今回、私が選んだのは明るい色合いの家具だった。別荘の雰囲気にもよく合うし、以前の暗い色よりもずっと良いに違いない。
明るい色の家具は、気分も軽やかにしてくれる。
すべて在庫があるものを選び、午後には配送されてきた。家具を入れ替えると、別荘はまるで新しい家のように生まれ変わった。
使用人たちも「家具が変わったら、気持ちまで明るくなりました」と嬉しそうに話していた。
夕方になり、千歳と菜々が学校から帰ってくると、玄関を入るなり驚きを隠せなかった。
「わぁ!家がすっかり変わってる!まるで新しい家みたい!」
「気に入った?」
「うん、すごく好き!」
姉妹そろってと答えてくれた。
「汐里が選んだの?」
千歳が聞いた。
「そうよ。お父さんと一緒に選んだんだよ。」
「汐里のセンス、最高!」
千歳は親指を立て褒めてくれた。
「まずは着替えてきて、それからご飯にしようね」
食卓には肉も野菜もバランスよく並べた。
ふたりは最初野菜ばかり食べて肉には手を付けなかったので、私はそれぞれのお皿にお肉を取り分けて「お肉も食べてね」と声をかけた。
「お肉食べると太っちゃうから、いつもお母さんに止められてるの」
千歳が原因を説明してる間に、菜々は黙って急いで肉を口に運ぶ。まるで、誰かに取られないように。
「今は成長期だから、バランスよく食べないとね。お肉だって大事よ。食べたあとは少しお散歩して、夜は運動すれば大丈夫、太らないよ」
千歳は目を丸くした。
「汐里!本当なの?」
私は笑った。
「もちろん。今日は試してみて、明日の朝体重を確認してみようか?」
「うん!」
千歳もまたお肉を口に運んだ。
「やった!お肉食べていいんだ!」
菜々は油で口をテカテカさせながら大喜び。
氷室真司は主席に座り、静かにその様子を見守っていた。とくに何も言わなかった。
普段、天宮雪奈の厳しいしつけのもとで、ふたりは食事中に音を立てることも、話すことも許されていない。私と一緒だとずいぶん気が楽になるようだ。私は子どもたちにはあまり厳しくしない。大事なことさえ守ってくれれば、それでいいと思っている。
子どもはのびのびと育つべきだし、どの時期もその年齢らしく過ごしてほしい。小さい頃から無理に大人びた子にする必要なんてない。
夕食の時間、姉妹は楽しそうに食べていて、その後の宿題も嫌がらずに取り組んでいた。
新しく買った大きなテーブルでふたりと一緒に座り、分からないところがあれば私が教えてあげた。
氷室真司はリビングで本を読み、家の中はとても静かだった。聞こえるのは、子どもたちがペンを走らせる音と、彼がページをめくる音だけ。
これは氷室真司にとっても初めての経験。以前は、食事が終わると天宮雪奈がすぐに子どもたちを部屋に追いやって、宿題をさせていた。彼女が見に行くと、必ず厳しく注意したり説教したりする。
今日は、子どもたちの宿題もあっという間に終わった。
千歳は大きく伸びをして、時計を見て嬉しそうにいた。
「こんなに早く宿題終わったの初めて!」
私は答えを確認しながらにっこりして彼女を褒めた。
「しかも全部正解!千歳、すごいね!」
菜々も慌ててノートを渡した。
「私も終わったよ、汐里チェックして!」
それを受け取ってチェックし、「菜々も全部正解だよ」と笑顔で言った。
「私もすごい?」
菜々は期待いっぱいの目で見つめてくる。
「菜々もお姉ちゃんに負けてないよ!」
「やった、褒められた!私たち最高!」
姉妹ふたりは抱き合って大喜び。
そんなふたりを見ていると、普段どれだけ息苦しい思いをしているのか、よく分かる気がした。天宮雪奈はふたりに厳しすぎて、ふだんはほとんど褒めてあげないのだろう。
「汐里、少しだけ絵を描いてもいい?」
千歳が何か心配しているように聞いてきた。
「もちろんいいよ。」
そんなに難しいことではないのに、どうしてこんな表情になったかしら。
「お母さんは絵を描くのをだめだって、毎日宿題が終わるとピアノの練習ばかり。でも、私も妹も絵を描くのが大好きなの。」
「お母さんはふたりにもっと優秀になってほしいと思っているんだろうね。でも、今日はお母さんがいないから、私が特別に許可するよ。ちょっとだけサボっちゃおう」
それから彼女たちはソファにいる氷室真司に「パパ、いいですか?」と声をかける。
「いいよ」
氷室真司は顔を上げ、すぐに同意した。
千歳と菜々はまた大喜びで画材を取りに走っていった。
私は立ち上がって、ソファに座る。このソファも私が選んだもので、柔らかいレザーが心地よく、座り心地がとてもいい。
氷室真司は私にお茶を淹れてくれた。
「お疲れ様。」
私は笑顔で受け取った。
「全然疲れてないよ。ふたりとも本当に賢くて、可愛いから。」
氷室真司は私を見つめ、感心と少し不思議が混じった。
「本当に子どもが好きなんだね。」