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第54話 近すぎる距離

彼がそう言い終えると苗木に肥料をやり始め、逆に私はその場に立ち尽くしていた。


迎えに来た……

その一言が妙に意味深で、距離が近すぎた。


肥料をやり、水をやり……

全てが終わる頃には、夕陽はすっかり沈み、空には子どもが恥ずかしがっているような赤いオレンジ色の残光だけが残っていた。


「帰ろう。」


彼が静かに声をかけた後先に歩き出し、私はその後ろについていく。


「帰ろう」——家に。


カートに乗り、オフィスビルの前に着くまで、私たちは一言も交わさなかった。


氷室真司の車がすぐそこに停まっている。彼は当然のように助手席のドアを開け、ようやく私を見て、「乗ろう」と短く言った。


その口調はいつになく強引だった。


私は彼を見つめ、少し迷いふりをする。


「でも、私……」


最後まで言わせずに、彼は途中に話を遮った。


「子どもたちが待ってる。約束は守らないと。」


子どもたちのことを持ち出され、私がまだ躊躇していると、彼はさらに続けた。


「きちんと子どもたちとお別れしてから離れよう。」


もう断る理由なんてない。私は車に乗り込んだ。


氷室真司の口元が、ほんの少しだけ上がった。





車の中、氷室真司は子どもたちのことを話し始める。


「最近、二人ともすごくいい子で、君の言うこともよく聞いてる。」


褒め言葉を聞いて、私は微笑む。


「二人ともいい子たちだね!」


「今回の週テストも過去最高の成績だった。家に帰るとすぐ君のことを探してたよ。」


「子どもたちに会ったんですか?」


うっかり、そのことを忘れていた。


「ああ。」


つまり、一度家に帰って、私がまだ戻っていないのを知って、わざわざ迎えに来てくれたの?


そう気づいた瞬間、胸の鼓動が一気に速くなる。氷室真司の私に対する気持ちが、以前よりもはっきりと伝わってくる。私は深呼吸して、自分の気持ちを落ち着かせた。


「95点は超えましたか?」


小さい声で尋ねる。


「超えた。」


氷室真司は父親としての誇りの笑顔を見せた。


二人とも、本当によく頑張ったんだな。


「ちょっと止めて!」


私は思わず声をかけ、氷室真司は車を路肩に停め、私を見て「どうした?」と尋ねる。


「子どもたちに約束したの。もし今日のテストで95点を超えたら、ケーキを買ってあげるって。雪奈さんは普段ケーキをあまり食べさせていないみたいで……大丈夫でかな?」


私は少し気を使いながら聞くと、彼は柔らかい目でうなずく。


「いいよ。」


「じゃあ、ちょっと待っててください!」


私は嬉しく車を降り、急いで近くのケーキ屋へ向かった。





家に着くと、二人はもう玄関で待っていた。


私を見つけると、すぐに嬉しそうにテストの成績を報告しに来た。


「汐里、今日全科目95点以上だったよ!」


「私もだよ、計算問題全部できたし、美術の先生にも褒められた!」


菜々はノートを取り出して見せてくれて、私は笑顔で二人を褒めた。


「本当にすごいね!」


「ねえねえ、ご褒美あるの?」


二人が期待に満ちた目で私を見つめる。


「ちょっと待っててね!」


私は急いで車に戻り、ケーキの入った袋を取り出す。


「やったー、ケーキだ!」


二人は私を囲んで家に入っていった。


ケーキをテーブルに置くと、氷室真司はもう階段を上っていた。


準備ができたところで、私は菜々を呼んできた。


「菜々、パパを呼んできて。みんなでお祝いしよう!」


「汐里、パパはこういうの食べないの、きっと来ないよ。」


私は微笑みながら彼女たちを見る。


「パパはあまり甘いものは好きじゃないかもしれないけど、二人のために一緒にお祝いしたいはずよ。」


そしたら、千歳は菜々の背中を軽く押した。


「ほら、早く行って」


エレベーターを使わず、菜々は小さな足で階段を駆け上がっていった。


氷室真司は必ず降りてきてくれると確信していた。


少しして、氷室真司が菜々の手を引いて降りてきた。彼の視線は、何かを探るように私を見つめていた。


「一緒に子どもたちのお祝いをしてあげましょう」


私は微笑んで彼を見つめて言った。


彼は私の隣に座り、私は塩味のした生クリームケーキを彼の前にそっと差し出す。


「これ、甘さ控えめにしてみたから、良かったらどうぞ。」


テーブルには皆の分の小さなケーキが並び、部屋中に甘い香りが広がっていた。食べる前から、なんだか幸せな気持ちになる。





天宮家


雪奈と母・天宮津紀子はリビングでコーヒーを飲んでいた。雪奈は落ち着かない様子で自分の母親を見る。


「子どもたちに電話した方がいいかな?」


「だめよ。電話したら負けじゃない」


津紀子はすぐさま止めて、雪奈は眉を寄せる。


「でも、まだ迎えに来てくれないのよ?もう何日も経ってる?」


「何を焦ってるの。あの人があなたをどれだけ大事にしているか分かってるでしょ?それに、前だって数日帰らなかったことあったけど、結局迎えに来て謝ったじゃない。」


焦っている雪奈と真逆に、津紀子は冷静にいた。


「でもあの時は、海外にプレゼントを買いに行ってたから遅くなっただけ。」


「今だって、あなたにプレゼントを選びに海外に行ってるかもしれないでしょ?」


「でも今回は違うの。前にも言ったけど、今回はあの女がいるのよ!」


相沢汐里の顔が浮かびながら、雪奈は唇を噛みしめる。


「天宮雪乃にそっくりだっていう、あの女?雪奈、もう少し考えなさい。氷室真司は天宮雪乃のことをあれ程憎んでるのよ。わざわざそっくりな女性を好きになると思う?」


津紀子はあきれたような表情を出した。


そんな中、雪奈は最近の氷室真司の変化を思い出す。


「でもやっぱり心配だ……」


「そんなに気になるなら、凛音に様子を見に行かせればいいじゃない。あの女がまだいるかどうかを。」


「そうね、お母さん。じゃあ、一緒に家まで行って、私は車で待つことにする。家にじっとしてるのも落ち着かないし。」


雪奈がそう言うと、津紀子は彼女を睨みついた。


「落ち着きなさい。氷室真司はあなたのことが大好きなのよ。しかもあなたは正式に認められた妻、簡単に離婚騒ぎなんて起こせるわけないでしょ」


「だから、私絶対に車から降りないにする!」


強情な娘を見て、津紀子はため息をつきながら、念を押した


「もう好きにしなさい。でも絶対に自分から車を降りちゃダメよ。主導権を渡すことになるから」





バッグを持って家を出て、雪奈は時間を図り凛音の家へ向かい、ちょうど仕事帰りの凛音を捕まえた。


「雪奈、どうしたの?」


凛音は驚いて家の前にいる雪奈を見た。


雪奈はしょんぼりした様子を見せる。


「凛音、お願いがあるんだけど、家の様子を見てきてくれない?」


「何かあったの?」


凛音が心配そうに尋ねた。


「真司とケンカしちゃって……何も持たずに家を飛び出しちゃったの」


それを聞いて、凛音はすぐに相沢汐里のことを思い浮かべた。


「あの相沢さんのせい?」


雪奈はそれに答えず、目を逸らした。


「それ以上聞かないで。助けてくれるのくれないの、どっち?」


凛音はため息をついく。


「分かった、車に乗って。」


雪奈は凛音の車に乗り込むと、小さい声でお礼した。


「ありがとう、凛音。」


「お礼なんて言わないで。あの時、あなたが大金を使わなかったら、私はまだ刑務所にいた。雪奈は恩人だよ」


感激してる凛音を見て、雪奈は思わず微笑んだ。


「うちのお姉ちゃんがひどいことをしたから、私が償いなきゃ。これくらい当然なことよ。」


「あなたは彼女と違う。この恩を忘れないから」


雪奈は心の中で冷たく笑っている。凛音、あなたの恩人本当は私じゃないのよ。でも、こうしてあなたが私に感謝してるのを見ると、本当に気分がいいわ!


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