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第56話 親愛なる夫に蹴飛ばされた

天宮雪奈はすっかり理性を失い、まるで爆弾のように、手当たり次第に怒りをぶつけていた。


「もうやめろ!」 


氷室真司が冷たく言い放つ。


「頭がおかしいなら病院に行け!」


雪奈は失望した顔で目の前に立っている夫を見つめる。


「あなたまで彼女の味方をするの?あの女、私の家を奪い、私の夫を誘惑し、あげく私の娘まで悪い方に仕向けて、わざと家族を引き裂いてるのが見えないの?目がふし穴なの?」


氷室真司は女性と言い争うのが何よりも嫌いだ。もともと口論は苦手で、以前私と揉めた時も、結局は黙り込むか、姿を消すばかりだった。だからこそ、彼は優しい天宮雪奈が好き。思いやりがあり、物分かりもいいと感じていた。


だが、最近になって、その考えも覆された。


「何も言わずに出て行って、子どものことを考えたことがあるか?彼女に頼んで残ってもらったんだぞ。この数日、彼女が子どもの面倒を見てくれて、ずっと君を迎えに行けと勧めてくれていたんだ!」


氷室真司は苛立ちを隠しきれない。これまでなら、こんなふうに説明することもなかった。今日はよほど腹が立ったのか、私のために天宮雪奈に説明までしてくれている。


雪奈は彼が私の肩を持つのを聞いて、さらに逆上した。


「子どもの面倒なんて見てもらわなくて結構!あんなの偽善よ、このあざとい女め!」


彼女が取り乱す姿を見て、私は心の奥で密かに溜飲を下げた。天宮雪奈、とうとう独り芝居から出し、現実に引き戻されたのね。


おめでとう!


十分に暴れたところで、今度は私の番だ。


私は目に涙を浮かびながら振り返った。


「氷室社長、もうこれ以上言わないでください。雪奈さんはただ怒ってるだけですから、気にしてないの。それに、私にも非があります。どんな理由があっても、ここに残るべきではなかった。」


そして再び天宮雪奈に向く。


「雪奈さん、今日は子どもたちがテストでいい点を取ったから、ご褒美にケーキをあげただけです。氷室社長にも私が無理に勧めて食べてもらったんだけで……全部私が悪いの!私、今すぐ出て行く!」


泣き顔で外へ向かうと、子どもが左右から私の手をつかんだ。


「汐里、行かないで!」

「汐里、行かないで!」


「ごめんね。あなたたちのお母さんが戻ってきたから、汐里は出て行かないと。そうしないと、お母さんがもっと怒ってしまうから。」


私は涙を流しながら、子どもたちを慰めた。


千歳は拳を握り、勇気を出して天宮雪奈を見る。


「ママ、汐里は本当に良くしてくれてるの。今回のテスト、私も妹も98点取ったよ。ママはいつもいい点取ってほしいって言ってたでしょ?だから、汐里を追い出さなくてもいい?」


千歳が言い終えると、菜々も泣きながら頼み込む。


「汐里はすごく優しくて、大好きなの。汐里を追い出さなくてもいい?これからはちゃんといい子にするから……」


自分の娘たちが泣いて私を引き止める姿に、天宮雪奈は怒りで理性を失いそうだった。


「黙りなさい!あんなに苦労して産んであげたのは私よ!恩知らずな子たち、育てあげたのに何の役にも立たない。こっちに来なさい!」


怒鳴る天宮雪奈に、千歳と菜々は怯えて頭を振り、私の後ろに隠れる。


自分の言うことを聞かない子供たちに、天宮雪奈はさらに怒りに狂えた。


「こうなったら、いっそう全部死ねばいい!」


そう言って、彼女はつき進もうとした。


そのとき、ずっとそばにいた凛音が慌てて止めに入った。


「雪奈、落ち着いて……」


天宮雪奈は振り返って、勢いよく凛音を突き飛ばした。凛音は全く予想していなかったから、無防備なまま暖炉に向かって倒れていった。石の暖炉は堅く、飾りもあって、ぶつかれば大怪我は免れない。


私ははっとして、思わず駆け寄った。天宮雪奈を止めるには間に合わないかと思い、咄嗟に自分の体で凛音を庇い、暖炉にぶつかった。背中に激しい衝撃が走り、鋭い痛みが全身を襲う。冷や汗がにじみ、顔色も真っ青になった。


驚いた凛音は、まさか私が助けるとは思わなかったのだろう。呆然と私を見つめていた。


「大丈夫……?」


次の瞬間、氷室真司が駆け寄ってきた。


「大丈夫か?」


私は首を振った。


「平気です。」


子どもたちも駆け寄り、私の周りに集まる。


「汐里、大丈夫?」


「パパ、汐里が血を流してる……」


菜々の声に、氷室真司も私の背中の服に血が滲んでいるのに気が付いた。


彼は眉をひそめ、私を抱き上げた。


「やめて……降ろしてください……」


私は慌てて止めようとした。


「病院に連れて行く」


彼は焦った顔で駐車場を向かおうとした。


そこに天宮雪奈が走ってきて、氷室真司の腕を引っ張りながら私を叩こうとした。


「このメギツネめ!よく芝居してくれたね……!」

「真司、騙されちゃだめよ、全部彼女の芝居なのよ、放して、騙されちゃだめ……」


堪忍袋の緒が切れた氷室真司は私を抱えたまま、足で天宮雪奈を突き飛ばした。


天宮雪奈は床に倒れ、腹を押さえて苦しそうに氷室真司を見上げた。


「真司、今度はあの女のために私を蹴るなんて……まだあの女と浮気してないと言いたいの!?」


天宮雪奈はふらつきながらも再びこちらに寄ろうとした。


氷室真司は冷たい目で彼女を見つめ、全身から威圧感を放つ。


「出て行け!」


天宮雪奈はその場に固まった。信じならない顔で氷室真司を見つめる。


「今、なんて言ったの?」


氷室真司は隠そうとしない嫌悪を彼女に向けた。


「ここから出て行け!」


天宮雪奈はしばらく呆然としながら、泣き叫んだ。


「真司、昔の約束を忘れたの?一生私を愛すると誓ったじゃない!絶対に怒らない、ずっと大事にするって、たとえ私が何か間違えても、絶対に見捨てないって言ったでしょ?」

「全部忘れちゃったの!?」


氷室真司に抱きかかえられていた私は、泣き崩れる彼女を静かに見つめていた。


まるで昔の自分を見るようだった。


今の天宮雪奈にこう言いたい――あの時、彼も同じことを私に誓った。


自業自得、まさにその通りだ。





氷室真司は天宮雪奈に背を向け、私を抱いたまま外へ出て行った。


「大丈夫!大した怪我じゃないの、ただの擦り傷。でも、子どもたちが怖がってしまうから……」


正直、もっと見ていたかった。あの女の惨めな様子を見れたら、こんな傷なんて痒くも痛くもない。


「真司」


私は彼の名を呼んだ。やわらかな声で、少し懇願するように。


氷室真司はついに足を止め私を見る。


「本当に大丈夫?」


「大丈夫大丈夫。」


すでに私を玄関の外まで運び、庭の椅子にそっと座らせた。


「ちょっと待ってて。」


私はうなずき、彼は家の中へ戻っていった。


家の中からは、天宮雪奈の狂ったような泣き声と、氷室真司の叱責が聞こえてくる。


凛音が子どもたちを連れて外に出てきた。私は二人に優しく慰めて、川のそばで遊ぶように促した。


「私が感謝するとは思わないで」


彼女の話を聞いて、私は微笑んだ。


「感謝なんて要りません。」


「じゃあ、なんで助けたの?」


彼女はじっと私を見つめた。


私は椅子に座ったまま、顔を上げて彼女を見た――この世で一番の親友だった人へ。


「可哀想だったから。あなたは天宮雪奈のために全てを捧げているのに、彼女はあなたの命なんて何とも思っていない。虚しいろ思わないの?」


凛音は私を睨みつけた。


「私たちの間に割り込まないで。」


「事実を言ってるだけよ。それが分からないなら、目は飾りね。」


私の声は穏やかだったが、どこが皮肉でもあった。


昔、私たちがふざけ合っていた時も、よくこんな冗談を言い合ったものだ。


凛音は一瞬、昔を思い出したように動きを止めたが、すぐに冷たい表情を取り戻した。


「相沢さん、あなたはお嬢様でハイスペックな婚約者もいるのに、どうして愛人なんてやってるの?」

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