私は静かに凛音の話を最後まで聞き終え、ゆっくりと顔を上げてその瞳を見つめた。
「佐倉さん、あなたに一体どんな証拠があって、私を浮気相手だと決めつけるの?」
凛音は冷ややかに笑った
「そんなこと、言わせるまでもないでしょ?あなたのやり方なんて氷室社長は騙せても、私には通用しない。」
私は微笑みながら言い返す。
「それじゃあ、佐倉さんはご自分が氷室真司よりも賢いとでも?」
「そんなこと言ってない!」
「だったら、どうして私があなたを騙せなくて、彼を騙せると思うの?」
凛音は一瞬言葉に詰まったが、それでも自分の考えを曲げようとしなかった。
「私は雪奈があんなに取り乱すのを見たことがなかった。とにかく、あなたが彼女を傷つけるのは許さない。もうやめなさい。もしこのことがあなたの婚約者に知られたら、どうなるか考えたことある?」
このセリフを、最後には天宮雪奈の口から聞くものだと思っていた。まさか、凛音から言われるとは……
彼女はじっと私を見つめ、私が動揺するのを待っているようだった。でも、彼女は知らない。将人はただの上司で、きっと退屈過ぎて芝居に付き合っているだけ。自分が長年育ててきた部下の成果を試しているだけなのだ。
「佐倉さん、今日あなたが見たものが、天宮雪奈の本当の姿じゃないと、どうして言い切れるの?」
目の前の親友が、今は天宮雪奈の味方をしている。悲しくないと言えば嘘になる。でも、彼女を責めようとしなかった。
それを聞いて、凛音は軽蔑の眼差しを向けた。
「これ以上悪口を言ったって無駄よ。雪奈は私の一番大切な友達の妹。彼女がどんな人間か、あなたよりはよく知ってる!」
その言葉に、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。一番大切な友達……その言葉を聞いた瞬間、私の目には涙が溢れた。
私は慌てて顔を背け、彼女と目を合わせないようにした。それでも、どうしても聞きたかった。
「じゃあ、その大切な友達は?」
「死んだわ。」
彼女は淡々と答えた。
私は驚いて振り返る。もしかして、もう全部知ったの?私が氷室真司の元妻だったことも、天宮雪奈が私を死に追いやったことも……
「私の心の中では、もう死んだ!」
冷たい言葉に握っていた拳が、気づけば緩んでいた。そういうことだったのか。
もし本当に知っていたら、氷室真司のもとで働き続けるはずがないし、まして天宮雪奈をここまでかばうこともないだろう。
「佐倉さんの話しを聞く限り、その大切な友達も大したことなかったみたいですね。」
私は気持ちを整えて、再び口を開いた。
凛音は苦笑し、自嘲と落胆の色が混じった表情を見せた。
「あなたには関係ないわ。送っていこう。」
強情で、できる限り離させようとした。
「ありがとう、でも結構よ。」
即座に、彼女はスマートフォンを取り出した。
「今すぐ氷室将人に電話するけど、どうする?」
私は落ち着いたまま、驚きもなかった。
「どうぞ。でも、その結果を本当に背負えるの?」
「私は何も怖くない。最悪、仕事を辞めるだけよ。」
私はそんな彼女の勇気に、どこか懐かしさすら感じた。
「そうね、たかが仕事だもの。あなたは辞めればいい。でも天宮雪奈は?彼女も離婚したいと思ってるのかしら?あなたの行動がどれほどの影響を与えるのか、想像できるよね?」
私はゆっくり立ち上がり、凛音の目をまっすぐ見つめた。
「あなたは天宮雪奈の味方だから、氷室真司はあなたには手を出さない。だけど、そのツケは全部彼女に回る。結局、あなたのせいで大切な友達の妹が苦しむことになる。」
私は一歩も引かず、凛音の拳が震え、今にも殴りかかってきそうに。
その時、天宮雪奈が別荘の中から泣きながら飛び出してきた。凛音は一瞬驚き、すぐに追いかけようとした。
「凛音!」
私は思わず彼女を呼び止めた。
凛音は立ち止まり、振り返った。ほんの一瞬、正体を見抜いたように私を見つめた。昔私を見る目とそっくりだったから
「偶に、目で見たもの耳で聞いたことが、必ずしも真実とは限らない。」
私はそう告げた。本当のことを知った時、彼女が耐えきれるだろうかと不安だった。
凛音は何も言わず、背を向けて走っていった。
私は深く息をつき、その後ろ姿を見送る。
天宮雪奈はどうやって彼女の心を掴んだのだろう?彼女の中で、私はどんな存在だったのか、そしてどんな結末を迎えるているのか……
千歳と菜々が天宮雪奈離れるのを見て、しばらくぼんやりしてから私の方を見た。
私は手招きして二人を呼び寄せ、菜々が手を握りしめてくれた。
「汐里、ママどうして行っちゃったの?どこに行っちゃったの?」
私は優しくなだめた。
「お母さんとお父さんがちょっと誤解してるだけ。すぐ戻ってくるよ。」
突然、菜々は泣き出した。
「ママ、私たちのこと嫌いになって捨てようとしているの?」
彼女は泣きながら千歳を見た。
「お姉ちゃん、どうしよう?」
けど、千歳は落ち着いたまま。
「泣かないでよ。さっき叩かれたのもう忘れたの?」
「でも、ママがいないと……」
「いなくたっていいじゃない。ここ数日いなかったけど、私たちちゃんとやってたでしょ?戻ってきたらケーキ投げるし、絵は破るし、怒鳴るし、叩くし。」
「でも……」
「でも、でもって言うなら、ママのところに行けば!?」
千歳は目を吊り上げて菜々を怒鳴った。
怯えるあまり、菜々は涙も止まった。
「もう言わない。」
私はこの十歳の子が、いかにも天宮雪奈に似ているかに驚いた。
周りの人に容赦なく。この点については、そっくりなものだ。
私は二人をなだめて、部屋で宿題をするよう促した。そしてゆっくりと別荘に戻った。先ほどは凛音とのやりとりに夢中で、中の様子を聞き逃していた。
氷室真司の姿はリビングになく、二階を見上げると、書斎にいるのだろうと思った。
階段を上がり、書斎のドアをノックしたが、返事はなかった。
いないのかな?隣の部屋のドアは閉めていない。
私は近づき、そっと押し開けた。そして、目にした光景に思わず顔が熱くなった。
氷室真司が上半身裸で立っており、驚いてあわてて背を向けた。その背中には、五本の生々しい爪痕が走って、ひどいところは血が滲み、力任せに引っかかれたのがすぐ分かるほどだった。
つまり、さっきこの2人殴り合ったの?
「着替えたらすぐ病院に行こう。」
彼は服を探しながら私に声をかけたが、その傷の手当を先にした方がいい。
「ちょっと待ってて。」
私は階下に降り、救急箱を持って戻った。ドアを閉めて部屋に入る。
「座って座って」
氷室真司は素直に座ったが、私が何をするつもりか気づくとすぐ止めようとした。
「俺は大丈夫だ。」
「それじゃ、氷室社長は病院で看護師さんに処置させるつもり?山徳グループの社長が女にこんな傷をつけられたって知られてもいいの?」
そこまで言われると、流石に氷室真司も口を引き結び、黙って手当を受け入れた。
私は消毒液を取り出し、丁寧に彼の傷口を消毒していった。
「痛いよね?」
「痛くない」
彼の体がこわばっているのが伝わる。しかし、どうしても弱気の一面を見せたくなかった。
「痛くても我慢して。できるだけ優しくやるわ」
と言いながら、わざと塗る時さらに力を入れた。
ざまあ見ろ!