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第63話 湧き上がる渇望

雪奈はとても興奮していた。ついに、夫がたった!


ニューヨークで検査を受けて以来、彼女の中にはずっと疑問があった。体が健康だったのに、どうしてダメなの?しかし、今日真司の反応を見て、その疑念はすっかり消えた。


彼にはできる。まだ自分を愛していると。


この瞬間、まるで真司と付き合い始めた頃の気持ちが戻ってきたようだ。


「真司、すごい!」


人生の中で一番甘い声を出したと思い込んだ雪奈だが、その一言が真司を現実へと引き戻した。


一気に萎えてしまった。


まるで氷水を頭から浴びせられたように、欲望は一瞬で消えた。


真司は突然動きを止めたが、まだ余韻に浸っている雪奈は止まった気づき、不満げに目を開けた。


「どうしたの?」


「先に寝てくれ。」


真司は体を起こし、ずり落ちかけていたバスタオルをしっかり巻き直した。


「え、真司……?」


雪奈は尋ねようとしたが、


「いいから先に寝ろ」


そう言い置いて、真司は寝室を出ていった。


一人書斎にこもり、胸のもやもやも身体の苦しさも、なかなか晴れなかった。


静かに目を閉じる。


本当は、今日は雪奈ともう一度やり直す覚悟をしていた。彼女と元通りになれば、汐里のことを忘れられると思っていた。


でも……


彼は痛いほど自覚していた。雪奈と夜の時間を過ごしながらも、頭の中に浮かぶのは汐里の姿だった。彼が反応できたのも、結局は相沢汐里が原因だった。


まるで呪われたかのように、一人の女性に心も体も支配されてしまっている。


スマートフォンを手に取り、彼女からの着信履歴をじっと見つめた。


そして、彼女から届いたメッセージも……





その後の一週間、私は氷室真司と会うことも、電話やメッセージでやりとりすることもなかった。


将人は相変わらず忙しく、どこにいても落ち着く暇がない。次から次へと続く約束や会食、そして会議。


私も仕事に追われながら、週に一度は児童支援センターに通い、たまにチャンピオンで少し稼ぐこともある。


けれど、彼の囲碁クラブには行かなかった。


最初のうちは、どうして氷室真司が電話に出ないのか分からなかった。でも今は、はっきりと理由が分かっている。


彼は私と一線を引き、家庭生活に集中しようとしている。


だから、あの日彼が「ちゃんと納得できるようにする」「雪奈から謝らせる」と言っていたことも、すべて口先だけだったと分かった。


期待しなければ、失望もしない。今の私は観客のように彼のことを冷静に観ているだけ。だからこそ、もう傷つくことはない。


自分を傷つけるのは、まだその人に期待しているから。


今の私にとって、氷室真司はもうそういう存在ではない。そして、この先も、きっと二度とならない。





尚人さんは、将人が帰ってきたと知って何度か誘いの連絡をくれて、将人は今日の夜に予定を合わせることにした。


出かける直前、私はふと体調が悪いと言い訳した。


将人は私をじっと見つめる。


「無理するな、伯父さんと連絡して日を改めようか?」


日を改める?それを聞いて私は慌て出した。


「大丈夫。私のことで予定を変えないで。尚人さん、もう何度も誘ってくださってるし、これ以上延期しない方がいいよ。」


「本当に病院に行かなくていいのか?」


「うん、ちょっと休めば大丈夫。」


「何かあったら電話しろ。」


将人を見送りながら、私はやっとほっとした。別に体調が悪いわけではなく、わざと行かなかっただけ。


心理学では、自分の意志で会いたくない人には、案外会わずに自分の欲望を抑えると言われている。でも、相手が今日来ると分かっていて、避けようのない状況だと、どこかで期待してしまう。何度も心の準備をして「会っても話さない、目も合わせない」と決めていても。


もし、その人が来なかったら……


そのために用意していた心の備えもすべて無駄足になる。心の中にぽっかりと穴が開き、さらに広がっていく。


心が抑えきれないほど渇望していく。





氷室家の屋敷


こうした場では、真司は必ず妻子と子どもを連れて出席する。


雪奈は彼の腕に寄り添い、自慢そうに微笑んでいた。今の自分たちがどれほど愛し合っているのか、相沢汐里に見せつけたかったのだ。


彼らが到着したとき、将人もちょうど到着した。


真司は立ち上がり、スーツのボタンを整えて外へ迎えに出た。なぜか胸がざわつき、手のひらの温度も少しずつ冷えていく。


将人の車が止まり、車外に出て彼らを見た。


一週間ぶりの再会。彼は心の中で、一目見るだけ、絶対に深入りしないと言い聞かせていた。


将人が車から降り、そのまま歩み寄る。


真司はその車をじっと見ていた。自分からドアを開けた方がいいかな、と考えている。


将人が彼の目の前まで近づいた。


「何を見ているんだ?」


真司はすぐに視線を戻し、微笑んで将人を見る。


「この車かっこいいので、つい見惚れてしまった。」


将人は軽く笑う。


「気に入ったのか?送ってもいいぞ。」


将人にとって、これらただのモノに過ぎない。


「ありがとうございます。でも結構です。」


二人で中へ入ると、尚人がにこやかに声をかけた。


「将人、来たのか……汐里はどうしたんだ?」


「出かける直前に体調が悪くなって、今日は家で休まらせた。」


将人は席に座り、簡単に説明すると、尚人は急に真顔になった。


「具合が悪いか、病院に行かなくても大丈夫か?まったく、家で彼女を看病してやるべきだろう。食事なんて日を改めてもいいんだぞ。」


「大丈夫ですよ。本当に辛かったら連絡が来るはずだ。それに、彼女も伯父さんの機嫌を損ねたくない、と言っていました。」


尚人は感心したように、優しい子だと呟いた。


雪奈は本当は夫婦仲の良さを見せつけたかったが、相沢汐里が来なかったことでやはり失望している。


真司は拳を握った。彼女はどうしたのだろう。本当に体調を崩したのか?


「おじさん、汐里はどうしたの?いつ会えるの?」


「今日は体調が悪くて来られなかったんだ。」


菜々が小さな声で尋ね、将人は優しく答えた。


「会いたいな。菜々、汐里のところに行ってもいい?」


菜々は少々がっかりした。


「もちろん、いつでもおいで」


「私も行っていいの?」


将人が同じく許可をだすと、子どもたちは嬉しそうにいたが、雪奈の険しい表情を見ると、すぐに大人しくなった。


食事中、真司はどこか上の空だった。心の中は、何日も会っていないあの人の姿でいっぱい。


「そういえば、まだうちに遊びに来たことがなかったか。今度は俺の家で集まるのはどうだ?」


「いいね。ただ、真司は最近時間あるのか?」


将人が急に自分の家で集まる提案をすると、尚人は微笑みながら応じて、さらに真司に質問した。


しかし真司はまるで聞こえていないようにうつむいて、何かを考え込んでいる。


「真司?」


雪奈は慌てて彼を軽く押した。


「真司、お義父さんが呼んでるわよ!」


真司はようやく我に返った。


「お義父さん、何でしょうか?」


「将人がみんなを家に招待したいそうだが、君は都合つくか?」


「できるだけ時間を作ります。兄貴、その時は前事前に連絡をくれればいい。」


「じゃあ、決まりだな」


決めた後、将人は真司の方を見た。


「真司、お前は最近ちょっと疲れてるんじゃないか。前より元気がないみたいだ、ちゃんと休めよ。」


「ご心配ありがとうございます。たぶん最近、会社のことで忙しいからでしょう」


集まる日日は四日後に決まった。


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