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第64話 ただ欲望の炎を燃やさせる

夜、将人が帰ってきたとき、私はまだ書斎にいた。


彼はドアをノックし、中を入らずそこから私を見つめている。


「お帰りなさい」


彼は軽くうなずき、ゆっくりと部屋に入り、ソファに腰を下ろした。


私たちの事情が少し特殊なので、家には使用人もいない。


「ハチミツ水でも淹れようか?」


私は立ち上がって近づいて尋ねた。


だが、彼は向かいの席を指して「座って」と言う。


私は再び彼の正面に腰をかけた。


彼はソファに身を沈め、だらりとした様子で話し始めた。


「氷室真司は今日ずっと集中しなかった。何を考えていたんだろうな?」


「そうなの?また不安定になってるのかもね」


私は淡々と返す。


「彼の娘たちはあんたのことをすごく気にかけてたよ。ずっとあんたのことを聞いてきて、家にも来たいって言ってたぞ。」


その言葉に、私はなんとも言えない複雑な気持ちにいた。


正直、あの二人の子に対しては、天宮雪奈への復讐の道具くらいにしか思っていなかった。多少は世話をしたが、特に心に留めていたわけでもない。


それでも、彼女たちが自分のことを気にかけていると聞けば、やはり違う感情を感じた。


「あの子たちは小さい頃から天宮雪奈に厳しく育てられてきた。あの数日、天宮雪奈がいなかった間、好きなことをさせてあげただけ。たぶん、それで私のことをよく思ってくれたのかも。」


将人はこれ以上この話を続けるつもりはなさそうで、すぐに本題に入った。


「四日後、家で食事会を開くことになる。」


彼が私を見つめながら、私は心の中でこの事にどきりされた。正直、氷室真司にはまだ会いたくない。


「そう」


表は承知したふりをし、こっそりとその日に家にいない言い訳を考えていた頃、将人どっさにゆっくりと口を開いた。


「言い訳はもう考え出したか?」


え?顔を上げると、彼の鋭いまなざしがすべてを見抜くようにこちらを射抜いている。


私は黙ったまま。


彼は口元を少し上げて、静かに微笑む。


「数日後、グリーン産業の会議があって、場所はパリだ。あんたには会社の代表として出席してもらう。他にもいくつかのプロジェクトを視察してきてくれ。明日の朝便だ。」


「ボス……」


私は驚きながら将人を見つめた。


「少し荷物をまとめ、今日は早く休め。」


離れていく彼の背中を見送りながら、私は深呼吸した。浅はかな策略など、彼にはとっくに見抜かれていた。自分が滑稽だっと思うしかない。





翌日、私はパリ行きの飛行機に乗った。


三日後


尚人と真司一家が、将人の家に集まっていた。


真司はまさか自分がこんなに緊張して、手に汗をかく日が来るとは思ってもみなかった。


今日、彼女に会うことになる。彼女はどう自分を接するのだろうか?彼女の背中の傷はもう癒えただろうか?


いつの間にか「もう会わなくていい」と思っていた気持ちは、「会いたい」に変わっていた。


真司は何度も汐里を送りに来たことはあったが、今日家に上がるのは初めてだ。家のソファやインテリアは、今の自分の家とよく似ている。よく見ると、同じブランドらしい。


雪奈もそれに気づき、ここ数日の高揚感が一気に冷めてしまった。


つまり、今の自分の家はこの家のコピーみたいなもの。考えれば考えるほど雪奈は腹が立ち、気分転換に庭に出ていった。


母親がいなくなると、娘たちはすぐに汐里を探し始めたが、家中探しても見当たらない。仕方なく将人の元へ行き、どこにいると尋ねた。


真司はまだ仕事中だろうと思った。彼女はいつも残業しているから。


「汐里は出張中なんだ。今回は会えなくて残念だけど、帰ってきたら改めて招待するよ」


千歳と菜々は少しがっかりした。


実際、がっかりしたのは子どもたちだけでなく、その父親も同じだった。


「でも、電話ならできるよ」


将人が微笑で別の方法を提案した。


菜々は嬉しそうに拍手する。


「やった!汐里に伝えたいことがあるの!」


将人は固定電話を取り汐里にかけた。





ちょうど昼食を終えた頃、電話が鳴った。


「もしもし!菜々だよ。今日汐里のお家に来たの。いつ帰ってくるの?」


電話を取ると、菜々の声が飛んできた。


私はそのとき、今日が将人たちが集まる日だったことを思い出した。


「お仕事終わったら帰るからね」


「そうなんだ。そうだ、菜々、絵のコンテストで賞をもらったの!今日その賞品を持ってきたから、汐里にあげるね!」


菜々の声は興奮気味に聞こえた。


「ありがとう。私の部屋に置いておいてくれる?」


その時、千歳もそばで話しに入った。


「おじさんが、今度帰ってきたらまたお家に招待するって」


「うん、楽しみだね」


電話を切ると、千歳と菜々はとても嬉しそうだった。菜々は自分の絵を手にして将人に見せた。


「おじさん、汐里がこれを部屋に置いてほしいって!」


将人は二階を見上げた。


「じゃあ、二人で行っておいで。一番奥の部屋だ。」


千歳と菜々はすぐに二階へ駆け上がっていったが、真司はどこか落ち着かない様子にいた。二人がなかなか降りてこないので、彼も上がろうとした。


「子どもたちが悪さしないか心配だし、様子を見てくる」


真司は自分でも、それが心配なのか、言い訳なのか分からなかった。


一番奥の部屋はドアが半開きで、真司がそっと入ると、ベッドルームに続くリビングに絵が飾られていた。子どもたちの声がベッドルームから聞こえ、入ってみると、二人はドレッサーの上でアクセサリーボックスをいじっていた。


「人のものを勝手に触っちゃダメだろ。早く元に戻しなさい!」


真司は眉を寄せて叱った。心の中で、雪奈は普段どんな教育をしているんだと呆れている。


千歳と菜々は慌てて立ち上がろうとし、アクセサリーボックスを床に落としてしまった。


「早く拾え!」


真司はますます不機嫌になる。


二人は慌てて片付けようとするが、今度はアイシャドウのケースをひっくり返してしまい、中身が床に散らばった。


子どもが片付ければ片付けるほど、余計に散らかっていく。仕方なく、真司が自分で片付けることにした。


アクセサリーボックスの中には高価な宝石は入っていなかった。片付けて引き出しにしまおうとしたとき、彼女が初めて会った時に着けていた腕時計が目に入った。


腕時計はケースにしまわれていて、ずいぶん長いこと使われていないようだ。そういえば、あれ以来彼女がその腕時計をしているのを見たことがなかった。


片付けが終わると、千歳と菜々を連れて手を洗いに行った。


洗面所は広いが、物は少ない。そして大きな発見があった。


男性用の物はひとつもなく、歯ブラシも一本だけ。


まさか、彼女と将人は一緒に暮らしていないのか?その考えが頭に浮かぶと、不思議と心の中に火が灯ったように、どんどん広がっていく。そして、心中の重い何かがすっと軽くなった気がして、なぜか気分が良くなった。


子どもたちを連れて階下に降りると、ちょうど雪奈も外から戻ってきた。彼女は彼らが二階から降りてきたのを見て疑問に思った。


「どうして上に行ってたの?」


「子どもが勝手に動き回るのに、ちゃんと見てなきゃダメだろ!」


真司はやや不機嫌そうに彼女の横を通り過ぎた。


もともと機嫌が悪かった雪奈は、いきなり責められてますます腹が立ち、怒り顔で子どもたちを叱る。


「行儀が悪すぎだろう。私が普段どう教えたことは耳に入ってないのか?恥をかかせやがって、もうどこにも連れて行かない。」


家族それぞれの心の中の波は、将人と尚人には知る由もなかった。


夕食のとき、雪奈がふいに将人に尋ねた。


「この家の家具はお義姉さんが選んだの?それとも兄貴が選んだの?」


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