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第66話 再会

「ありがとう、ボス!」


実際、将人は表向きは冷たそうだけれど、私にはずっと優しかった。

ただ、あの五年間、彼の厳しさには少し怯えていた部分もある。食事や身の回りのことには、いつも甘やかしてくれていた。


食事が終わると、彼は私をショッピングモールへ連れて行った。


「服は足りてるよ~」


買い物したくない、疲れすぎる!


「明日結婚式に行くんだ。綺麗なドレスを選ばないと。」


私はふっと顔を上げた。


「私も行くの?」


「彼女なんだから、当然一緒に行くだろ」


なぜか当たり前のように口にして私を見る。


「でも、私たち本物のカップルではないんですよ。」


真顔で将人を見つめると、彼も見返した。


「氷室真司も来る。彼の前で芝居しなきゃいけないだろ?」


なるほど、彼も来るのか。私は納得してうなずいた。


「そっか……それで、どんな風に演じればいいの?」


「もちろん、彼に後悔させてやるんだ」


大体の意味は分かったが、詳しい内容については何度聞いても、それ以上は教えてくれなかった。





翌日


結婚式は夕方からで、式の後はそのままパーティーが始まった。


そこで初めて知ったのだけど、彼の友人もまた大物だった。しかも前に一度会ったことがある。

九条グループの社長、九条千秋。


グローバルビジネスで将人の名前を知らぬ者はいない。

彼の登場はまさに注目の的だった。彼の腕に私が寄り添うと、自然と私も会場の視線を集めていた。


将人は私を千秋社長のもとへ連れて行った。


「大学時代の同級生、九条千秋だ。」


私は笑顔で挨拶する。


「九条社長、はじめまして。」


千秋社長はにこやかに手を差し出して握手してくれた。


「いやいや、そんな堅苦しくしないで。千秋って呼んでよ。僕と将人は命を預け合った仲だから!」


「じゃあ、千秋さんと呼ばせていただきますね。」


千秋は嬉しそうに目を細めた。


「彼女さん、君よりよっぽど気が利くようだな、将人。」


「いい気になって……今日はお前の晴れ舞台だ。ちょっとくらいイキらせてやるよ。」


千秋社長は声をあげて笑う。


「二人でごゆっくり。僕はちょっとお客さんのところへ行ってくる。またあとで、改めて食事でもしよう!」


そう言って将人の肩を軽く叩き、その場をあとにした。


私は将人に視線を向ける。


「あなたたちの名前って、それぞれ過去と未来を意味してるんだね。不思議な縁だよね。」


「そうだな、学生時代は永遠の二人の王子って呼ばれてたんだ。」


将人が冗談めかして笑う。


私は思わず吹き出してしまい、彼に睨まれた。


「……なんだよ、イケてないのか?」


「ううん、かっこいいよ。すごく!」


と、慌てて持ち上げる。


本人が自分で自分を褒めるのはなんかと思うが、二人とも文句なしの美男子。





「氷室社長が来たぞ……」


誰かの声をきっかけに、会場の視線が一斉に入り口へと向く。

そして人々はまるで吸い寄せられるように、氷室真司のもとへ集まっていった。


氷室真司――ビジネス界でも名の知れた凄腕。

その表情には、上に立つ者の穏やかさと揺るぎない自信がに溢れ、ゆっくりと場内へと足を踏み入れた。


その隣には、気品に満ちた女性――天宮雪奈の姿があった。

髪をきちんとアップにまとめ、最新の高級ドレスに身を包み、目を引くジュエリーが彼女の存在感をさらに引き立てている。

女性たちの視線が、まるで憧れの的を見るように彼女へと集まっていく。


私は、ただ茫然とその光景を見つめるしかなかった。


あれほど長く氷室真司と付き合っていたというのに、公の場に連れてこられたことなど、一度だってなかった。

私の存在を彼は一度も認めることはなかった。でも今は、天宮雪奈を堂々と隣に連れている。


どうして、あの頃の私はあんなにも愚かだったのだろう。

目の前に広がるこの現実が、過去の自分の浅はかさを残酷なまでに突きつけている。


「汐里。」


耳元で将人の低い声がした。


過去の記憶からふと現実に引き戻され、将人が静かに赤ワインのグラスを手渡してきた。


「何を考えてた?」


私は首を振った。


「なんでもない。ただ……自分のバカさ加減を思い出した。」


「だったら、今は賢くなれよ。」


彼の声が耳元で低く、優しく囁いた。


氷室真司がこちらに気づき、歩み寄ってきた。


私は深呼吸をして、できるだけ平静を装う。

一週間の出張で痩せたせいか、今日は黒のドレスが一層エレガントに見える。首元にはアクセサリーもなく、まとめた黒髪に大ぶりのパールヘアピンをひとつ留めているだけ。余計な飾りがなくても十分に気品がある。


「兄貴、まさかここへ来るとは思わなかった。」


氷室真司は驚きを隠せない様子だった。

換りに将人は相変わらず無表情のまま。


「千秋は大学時代の友人だ。」


「そうだったんですか。」


ふっと天宮雪奈は私に声かけてきた。


「お義姉さん、少し見ないうちに随分痩せたんじゃない?」


私は軽く微笑む。


「それは大げさすぎる。」


これ以上話す気はなかったけれど、彼女はさらに話しを続けた。


「千歳や菜々もあなたを恋しがってるのに、最近の食事会には顔を出さなかったよね。」


私はグラスを傾けながら、上の空で聞き流していた。


そのとき、「ちょっと失礼」と声がかかり、将人は小声で言い残してその場を離れた。


氷室真司がさっきからずっとこちらを見ていることに、私は気づいていた。


けれど彼は、将人がそばにいるあいだはその視線を抑えていた。将人がその場を離れると、氷室の視線は一層あからさまになった。それでも彼は、離れた場所でグラスを傾けながら、周囲の人々と穏やかに挨拶を交わしている。まるで何事もなかったかのように。


しばらくして周りに人がいなくなると、天宮雪奈が引き続き小声で話しかけてきた。


「背中の傷、もう治った?凛音はちゃんと感謝してくれた?」


その瞬間、私は初めて彼女を正面から見据え、薄く笑った。


「もう芝居はやめるの?」


天宮雪奈もまた、演技をやめたように表情を引き締める。


「じゃあお前はどう?氷室将人に真司を誘惑したこと、バレてもいいの?」


私は静かに、彼女との距離を詰めていく。


「ニューヨークから戻ってきて……あなたの願いは叶った?」


天宮雪奈の表情が一変して、目を見開いて私を見上げた。


「彼、あなたとした?」


「なっ……!」


こんなプライベートなことまで知られていたとは思ってもいなかったのだろう。


私はゆっくりと手にしたグラスを口元へ運び、さらりと告げた。


「あなたの旦那さん、私を見るだけで、自分を抑えきれなかったわ。」


そして天宮雪奈の肩を軽く叩く。


「じゃ、失礼するわ、雪奈さん。」


顎をすっと上げ、彼女の横を優雅に通り過ぎたそのとき、歯ぎしり音を背後から聞こえた。


天宮雪奈、もう私は五年前のあのか弱い女ではない。

張り合いたいなら、好きにすればいい。

今度こそ、徹底的に叩き潰してあげる!





氷室真司の視線がずっと私を追っているのはわかっていた。けれど私は前だけを見て、彼の存在など無いかのように歩き続けた。


彼の前を通り過ぎるとき、何かを言いかけた彼の気配があった。でも私は一瞥もくれずに通り過ぎた。


やがて式が始まり、私は将人とともにメイン席へ。

そこには氷室真司と天宮雪奈の姿も見かけ、四人は同じテーブルに並んだ。


将人は黙ったまま、不快な表情を崩さない。

私は察して彼に合わせて一言も口にしなかった。


式は華やかに進み、会場は幸福な空気に包まれていた。


その中で、誰かが軽く将人をからかった。


「将人様、いつご結婚されるご予定ですか?」


彼は無表情のまま、そっけなく一言だけ返した。


「まだだ。」


その迫力に、誰もそれ以上突っ込めなかった。


話題は自然と、氷室真司と天宮雪奈へと移っていく。


「真司様と奥様は本当にお似合いですね。お子さんも二人いて、今も仲睦まじくてうらやましい限りです。」


氷室真司は穏やかな微笑を浮かべて頷き、その隣で天宮雪奈は、得意げな表情でこちらを見つめ、あからさまな挑発の視線を投げかけてきた。


やがて式が終わり、パーティーが華やかに幕を開けた。

有名な歌手や芸能人が招かれ、会場は一気に盛り上がる。


そのとき、誰かが話しかけてきた。


「将人様は、イタリアのマルティクドフティーニの家具がお好きなんですよね?今日はあちらののオーナーも来ているそうですよ。ご紹介しましょうか?」


その瞬間、将人の表情が明らかに変わった。


「今は結構です。別の機会にしましょう。」


氷室真司の顔色も変わった。


将人は急に席を立ち、私の方を見て言った。


「ちょっと来い。」


有無を言わせない言い方で歩き出す。私は状況もわからないまま、慌てて彼の後を追った。


その背後で、誰かのひそひそ声が聞こえる。


「お世辞のつもりが、逆効果だったんじゃない?マルティクドフティーニの話を出した途端、将人様の機嫌が一気に悪くなった。」


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