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第67話 真司が謝った

将人のあとを追い、気がつけば海辺まで来ていた。


私は礼堂を背にする形で立ち、彼と向き合った。その背後、氷室真司の姿が一瞬見えた。


同時に、将人の深みのある声が耳に届く。


「まだ、本当のことを言わないのか?」


私は彼を見つめ返す。


「本当のことて何?なにが聞きたいの?私が彼を好きだって言えばいいの?」


その瞬間、将人の平手が頬に飛んだ。

全く予期していなかった衝撃に、私はその場で呆然と立ち尽くした。


彼の目には驚きと、それ以上に強い怒りが揺れている。


「……将人。あなた、自分の勝手な思い込みで私を叩いたの?」


「手加減したつもりだ……なんで、そんなに赤くなって……」


低く呟いた彼は、困惑したように眉を寄せ、私の顔に手を伸ばそうとした。


けれど私は、すぐに一歩身を引いて言い放つ。


「触らないで。もう将人なんか大嫌い!」


将人は悔しそうな目で私を見つめたまま、拳を握りしめやがて背を向け、何も言わずにここを離れた


波の音だけが残された夜の海辺に、私はひとり、ぽつんと取り残された。





礼堂の影に身を隠すように歩き、高い建物の陰でそっとしゃがみ込んだ。

目の前に広がる漆黒の海を見つめながら、過去の記憶が溢れ出した。


波の音ばかりが響いて、誰かが近づいてきても気付かなかった。


「大丈夫か?」


頭上から低い声がして、私ははっと顔を上げた。


「俺だ、氷室真司。」


氷室真司がすぐに名乗った。きっと彼にとって、怯えたような私の表情を見るのは初めてだったに違いない。

彼の中の私はいつも自信にあふれ、明るくて、聡明で、美しい女性。


だからこそ、彼の顔から愛しいさが覗いたかもしれない。


「氷室社長……」


私はかすかに声を出しながら立ち上がり、小さく会釈してその場を去ろうとした。


その瞬間、彼の手があわてて私の腕をつかんだ。


「ごめん!」


足を止めて、ゆっくりと振り返る。


「氷室社長、なぜ謝るのですか?」


氷室真司は答えず、ただ黙って私を見つめる。

私は彼の手を振りほどき、再び立ち去ろうとする。


「俺が悪かった。電話に出なかったし、距離を置こうとしたのも、全部間違いだった。」


思いがけずこぼれた彼の本音に、私は足を止める。


彼は手を離さず、今度は、まるで傷つけないようにそっと語りかけてきた。


「将人に叩かれたんだろ……痛くないか?」


私はその場に崩れ落ちるようにしゃがみ込み、両腕に顔をうずめ、声を出さずに泣き出した。

震える肩だけが、彼に自分の悲しさを深く伝えていた。


氷室真司は何も言わずに私の隣にしゃがみ込む。


「俺のせいで、辛い思いをさせた……」


私は顔を覆い、 嗚咽交じりに泣き続けた。


「私が雪奈さんに何かしたの?彼女はなぜあんなことを将人に言うの?」


「あれは彼女が悪い。代わりに謝る……」


私は涙でぐしゃぐしゃの顔を上げる。


「絶対辛い思いをさせないって言ったよね?謝るって言ったよね?もう謝罪なんていらない。どうして私と将人の間を引き裂こうとするの?」


氷室真司は言葉を失い、ただ深く項垂れた。


「全部、俺の責任だ。必ず解決してあげる。もう絶対、こんな思いはさせない。」


私は涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。


「もういいわ、氷室社長。これからはもう関わらないで。あなたの言う通り、もう連絡もしない。」


そう言って歩き出す。数歩進んだところで、再び氷室真司に呼び止められた。


「謝っただろ。俺が悪かった!友達なのに、どうして距離を置かなきゃいけない?」


この数日間、氷室真司も苦しんでいたのだろう。今になって私という「友人」を失いたくないと、強く思っている。


「もう会わない方がいい。さもないと奥さんが不機嫌になるだけだ。私は忙しいので、雪奈さんのほど暇ではない、また何か仕掛けてきたら私には耐えられない。だから氷室社長、これからは距離を置きましょう。会っても声をかけなくていいんです。」


私の言葉には棘があり、天宮雪奈との立場をはっきりと線引きした。

自分はキャリアウーマンで、仕事もできて、思いやりもある。

一方の天宮雪奈は、専業主婦で、子どもと夫以外には何もない。

かつて自慢だったはずの優しさや美しさも、今では私に打ち砕かれてしまった。


氷室真司は私の手首をしっかりと掴んだまま。


「ダメだ、俺は許さない!」


私は涙に濡れた目で彼を見上げる。


「じゃあ、どうしたいの?」


彼は手を離そうとはしない。


「俺たちは友達だろ……一緒に囲碁をしたり、お茶を飲んだり……」


彼は穏やかに語る。


その彼の向こうに、天宮雪奈がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

さっきまで隠れていた私たちの上半身が、建物の陰から見える位置に出ている。


そう、わざと仕組んだ。


たとえ天宮雪奈が自分から来なくても、将人が彼女をおびき寄せると分かっていた。


ビーチのカラフルなライトが、私たちの姿が見えように見えないようにしている。


「戻ろう、ここが怖いの。」


「何が怖いんだ? 俺のことか?」


氷室真司は尋ねる。


「昔、溺れたことがあって……夜の海が特に怖くなった。」


その時、突然大きな波が押し寄せてきた――

轟音とともに、私は驚いて悲鳴を上げ、頭を抱えてしゃがみ込んだ。


氷室真司が私をしっかりと抱きしめながら、優しく慰める。


「大丈夫、俺がいるから。」


氷室真司の腕に包まれ、頭を彼の肩に預ける。

そのまま、近づいてきた天宮雪奈と目が合った。

彼女は動きを止めた。


私は微笑み、挑発的な視線を向ける。さっき彼女が私を見た時以上に。


次の瞬間、彼女は早足で私たちのもとへやってきた。

私は目を閉じて、何も見なかったふりで、次のクライマックスを待つ。


「あなたたち、何してるの!?」


天宮雪奈が大声で叫んだ。


氷室真司は私を離し、すぐに言い訳をした。


「雪奈、誤解だ。話を聞いてくれ!」


だが天宮雪奈は逆上していた。


「何の言い訳よ?二人で抱き合ってじゃない。このゲス女!」


彼女は怒りに任せて私に殴りかかってきた。


「雪奈さん、私たち本当に何もないの……」


私たちの説明など耳に入る訳がない、彼女は氷室真司の手を振り払って、必死に殴ろうともがく。


氷室真司は彼女の手を掴み、容赦なく振り払った。

天宮雪奈はバランスを崩し、階段に尻もちをつく。

顔をしかめて痛がる様子を見せたが、すぐに立ち上がった。


「真司、あなたはどうかしてるよ!彼女がわざとあなたを誘惑して、私たちの仲を壊そうとしてるのが分からないの?」


氷室真司は冷え切った視線で彼女を見る。


「俺には、君が無分別に騒いでいるようにしか見えない。」


天宮雪奈はショックを受け、自分を指さした。


「私が無分別?私が騒いでる?もう抱きついてるのに、まだ彼女の味方をするの?それでも、今は彼女の方が私よりいいって思ってるの?」


そんな中、私は口を挟んだ。


「もうやめて、全部私が悪いの。先に帰るよ。ちゃんと雪奈さんと話してあげて。」


天宮雪奈は突然襲いかかってきた。


「このゲス女、逃げるな!」


彼女は私にしがみつき、何度も叩いて、私は抵抗しなかった。


なぜなら、氷室真司に手を上げられる方がさらに痛い。


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