あたしは背後にひとの気配を感じた。
振り返ると、母と駒塚が、天使のオブジェの影に隠れてあたしと雪哉くんのやりとりを見ていた!!
「……そんなところで、なにしてるの?」
あたしは驚いて尋ねた。なんにもひとの気配がなかった……。
「あ~ほら、星奈ちゃんたちの邪魔しちゃいけないでしょ! 昨日からよく話してるじゃない、二人」
母が笑う。彼女の背景に淡い薔薇の花たちが咲き乱れる、今日も清楚な美人だ。生地の良い薄いブルーのワンピースが母をなお引き立てている。
駒塚が母の言葉に
「え? 駒塚、あたしの気持ち、知ってるの?」
「もちろんでございます」
駒塚が頭を下げた。どうりで雪哉くんといる時には影も形も見当たらなかったわけだ。
存在まで消して、ここまで家族に尽くす駒塚は執事の鏡だ。いや、その枠すらとうに超えているかもしれない。
「お母さん……」
あたしは母の目を見た。聞きたいことは山ほどある。
「星奈ちゃんの聞きたいこと、全部教えてあげる。お仕事まで、まだ時間あるでしょ?」
なにも言わなくても母にはあたしの考えていることが、手に取るようにわかるらしい。
時刻は八時過ぎだ。出勤は九時半だから、まだ時間はたっぷりあった。
母に手招きされて、私は母の部屋に入る。お姫様が住んでいるようなアンティークの家具が並んでいる。
フリルに花柄のカーテン。あたしの部屋なんかよりよっぽど、乙女の部屋だ。
駒塚が紅茶の準備を始めた。
「あのね、雪哉くんと聖哉くんのお母様はね、梅乃宮グループの娘だったの」
母とあたしは向かい合って座っていた。気を抜くと寝てしまいそうなぐらい座り心地の良い、花柄のソファだった。
「……やっぱりそうなんだ」
日曜の夜とかに、よくCMしてる梅乃宮グループのお嬢様、それが雪哉くんと聖哉さんのお母さんだった……。
「それで、その、雪哉くんのお母様はね、婚約者がいたんだけど、雪哉くんのお父様と恋に落ちちゃったのよ。まぁ、あれは運命の恋ね」
母が当時を懐かしむ表情をした。懐かしそうで、それでいて少し寂しげだ。
「お母さんはなんで、それを知ってるの?」
「お母さんは東大でしょ、星奈ちゃん。雪哉くんのお父さんも東大の医学生だったのよ。私は文学部だったけど、当時から彼、雪哉くんのお父様は人気があってね。すごく有名人だったわ。彼が大学に来るだけで、女子はみんな色めきだったわ。私もその一人よ」
母があたしを見て微笑んだ。
「私もね、雪哉くんのお父様に憧れていたのよ。ううん、恋といっても過言ではないわ」
母が駒塚の淹れた紅茶を見て、遠い目をした。甘味と苦味のダージリンティ。インド政府紅茶局が認定した本物のダージリン産。高級品だ。
駒塚が二人ぶんの紅茶をそっと並べると、静かに退室していった。
「お、お母さん、雪哉くんのお父さんのこと好きだったの!?」
初耳だ。
「そうよ。でも私の高校時代からの親友、桃子さん。ううん、桃子も彼が好きだったの。運命って不思議よね。出会うはずのない二人がばったり出会ちゃうんだもんね。一緒に出かけた時に桃子が急性虫垂炎になっちゃって……、彼女うずくまって痛がっていたところに、たまたま通りかかったのが、雪哉くんのお父さんだったのよ。ありきたりで嫌になっちゃうわよね」
母はそう言って紅茶に口をつけた。ダージリン独特の甘い香りが部屋に広がった。
駒塚が今日の紅茶をどうしてダージリンにしたのかわかった気がした。