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第32話

「ななな、なに言ってんの女将さん!」 

 あたしの行動をまるで知っているかのような、女将さんの言動。


「あんなスカした冷たそうなやつが、星奈は好きなんか?」

 志郎さんが真面目な顔をして訊いてくる。


「……え、あ、うん」

 返答に困るよ、志郎さん。


「くだらんおしゃべりはもう終わりだよ。ほら、さっさと開店の準備をしな、二人とも」

 女将さんが手を叩いて、あたしたちをせっついた。


 あたしがお店の前を掃除していると、志郎さんがやってきた。


「なぁ、さっきの話、本当か? 星奈はほんまにあんな氷のような男が好きなんか? 聖哉じゃなくて?」

 精悍な顔つきの志郎さんが、今日は一層、たくましく見えた。


「あ、うん。そうなんです。えへへ、なんでか女将さんにはバレバレでしたね」

 あたしは笑ってごまかした。


「そうなんや。星奈、めちゃめちゃ男の趣味が悪いけど、何事も経験や。結婚するまでに、いろんな恋をするんも大事なことや」

 志郎さんが花壇の花にお水をあげながら言った。


 ……うっ、男の趣味が悪い……。ぜんぜんフォローになってないよ、志郎さん。


「ま、雪哉が嫌になったら、いつでもおれんところにきたらええよ」

 志郎さんは冗談か本気かわからない口調だった。


「…………」

 あたしは黙っていた。時々、志郎さんの発言がどこまで本心かわからないからだ。


 ***


 本日のおすすめは『桃の羊羹ようかん』だった。硬い桃を使って作った羊羹で白餡しろあん黒餡くろあんの二種類がある。


 今年は桃自体が手に入りにくいので、こちらも限定品だ。

 頑固で無口な大旦那自慢の羊羹だ。桃が変色しないように裏技を使って作っているらしい。


 パートの稲村さんの大好物で、毎年、この期間限定の桃の羊羹を楽しみにしているらしい。

 なんでも桃の缶詰では、本来の桃の旨み成分を活かせないらしい。


 ツヤツヤの薄いピンクの白桃と、白餡の組み合わせの二色になったものと、黒餡と白桃と組み合わせで色合いがはっきりした美しい羊羹とが、ショーケースにたくさん並んでいる。


「うちは二人だから。白あんと黒あん、両方買っちゃおうかな」

 パートの稲村さんが、桃の羊羹を幸せそうに眺めている。稲村さんは高校生の娘さんがいるんだけど、今年から寮生活になったらしく、今は夫婦二人で暮らしているらしい。

 高校生の娘さんがいる、とてもそんな歳には見えない。


 ショートの髪がよく似合っていて、小柄で可愛らしい。

 そして、とっても穏やかで、あたしは稲村さんが大好きだ。


「あたしも買いたいけど、さすがに八個はダメだよね……」

 元々お客様の和菓子だ。


「星奈、別に八個買ってもいいんだよ」

 背後から女将さんの声がした。


「え? いいんですか?」


「まぁ、どうせ、雪哉は食べやしないけどね」

 女将さんの口から信じられない言葉が飛び出した。


「え?」 

 あたしは聞き返した。


「アンタ、雪哉が甘いもの嫌いって知らないのかい?」

 女将さんが忙しなく瞬きをした。


「え? でも、この間はわらび餅を買いにきていたし……」

 お会計を間違えて、塩対応された時のことをあたしは思い出した。


「あれはあれさね、ご両親の仏壇用の御菓子だよ」

 女将さんの一言にあたしは固まった。


 ……え、甘いものキライなの?  

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