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第56話

 あたしは朝ご飯を食べ終えてから、白黒ストライプ半袖パーカーとキャメルカラーのオーバーオールに着替えた。


 母は大学卒業後に、すぐに父と結婚をしている。

 パン教室とフラワーアレンジメント教室に現在通っているが、多分、母はとても寂しいのだろうと思う時もある。


 子育てがほぼ終わり、みんなそれぞれの道を突き進んでいるからだ。


 あたしは子供を産んだことがないからわからないけど、母がリビングのグランドピアノを狂ったように、頭を揺らしながら、鬼指とも言える高速手つきで弾いている時にそう思う。あれで多分ストレスを発散している。


 ピアノを弾いているのに、髪は乱れ、夜叉のようになり、汗まみれなのだ。いったい母はピアノでなんのスポーツをしているのだろうと、ずっと思っていた。


 あたしは鈴さんのところに向かった。老人ホームに即入居するのか気になっていた。

 他所よその家のことなので、あまり口出しはできないが、あの雪哉くんの顔……。


 ……すっごく寂しそうだった。イラついて、どうしようもなくって、もしかしてそれで気持ちのやり場がなくって、あたしにあんな意地悪をしたんじゃないかな? いいよ。あたし、そういうのわからなくもない。誰だってそういう時あるよ。受け止めるよ、すべて受け止める覚悟だよ、雪哉くん……。


 あたしは鈴さんの部屋をノックして『鈴さぁ~ん! 入ってもい~い!?』と大きな声で聞いた。


「はい、どうぞ」

 中から鈴さんの穏やかな声がしたので、ドアを開けて中に入る。鈴さんは薄手の水色のブラウスにグレーの長いズボンを穿いていた。

 髪が薄くなったからと、紺色のバンダナを頭に巻いている。


 ……鈴さぁん、今日も可愛いっ! バンダナかわいい! さすが梅乃宮家のおばぁちゃんだよ~! 抱きしめたい可愛さ!

 あたしは鈴さんに抱きつきたいのを我慢した。あたしの力が強すぎて怪我をさせる恐れがある。


 鈴さんの部屋のベッドは電動リクライニングベッドだ。

 これだと起き上がりが楽だ、と兄が準備した。兄が何者か、どうして介護に詳しいのかわからない。


 夜中、トイレに行くのが大変だろうとポータブルトイレまで、兄が買ってきた。どんだけ親切!?


 鈴さんの部屋はシンプルで病室みたいになっている。あまりにも味気がない。


「ねぇ、鈴さん、お庭行かない? 今日は曇りで今の時期、紫陽花がまだ咲いてるよ!」

 鈴さんを誘い、あたしは庭に出た。二人でゆっくり歩く。


 全盛期は終わったが、紫陽花の花はまだ咲いていた。水色の花が圧倒的に多い。


 ……のんびりした時間、癒される……。

 あたしは大きく息を吸い込んだ。気持ちいい。


「奇麗だねぇ」

 紫陽花を見て、にこやかに微笑む鈴さんを見て、あたしはこのおばあちゃんをまだ、老人ホームとやらに行かせたくない気持ちが沸々と湧いてきた。


 ……そうだ!! 増築した部分に住んでもらったらどうだろう! そしたらみんなハッピーハッピーじゃない!? まだ誰も結婚なんてしないんだし……。


『星奈、おまえが提案してくれたのか? 流石だな、ありがとう。これでばぁちゃんと居られるな。おまえ、天才だよ。実はおれ、おまえのこと、前から……』

 雪哉くんがあたしを抱きしめ、濃厚なキスをするシーンが頭に浮かんだ。


 ふふふ……! この作戦で彼のハートはあたいのもんよ! 

 あたしはまた笑いが止まらなくなった。


 もうすぐ夏がやってくる、そんな湿った風が吹いた。心なしか風も楽しそうだ。


  ニヤケがたまらない、そんなあたしの様子を見て、鈴さんも微笑んだ。

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