「あ、うん。別にいいけど。あたし、夕方から予定が……」
そう、あたしは雪哉くんのバイト先に行かなければならない。実施は必須だ。
「夕方? そうなの。残念ね。夕方から雪哉のバイト先に行って、奢ってもらう約束だったのよ」
菜奈ちゃんの眉が下がる。
「ゆ、雪哉くんのバイト先!? 菜奈ちゃん知ってるの!? な、ななんで!?」
ちょ……、しかも呼び捨て!? どういう仲なの!?
「なんでって大学で普通に聞いたわよ。この間、休んだ時に借りたノートのお礼がしたいからって……。なによ? どうかしたの?」
「な、なんでもない。夕方、あたしも一緒に行く!!」
「用事はいいの?」
「いい! そんなもの、もうどうでもいい!!」
「ぷっ! 星奈ってほんと変よね。じゃあ、お昼も外で食べよ。私が誘ったからご馳走するわ」
ふふと菜奈ちゃんは笑って、あたしの部屋から出ていった。
あたしはヨガマットの上でうずくまった。
……雪哉くん、あたしには教えてくれなかったのに……。ひどいよ。菜奈ちゃんには自分から言ったんだ……。あたしってなに? 彼のおもちゃなの?
「もぅ!! 雪哉くんが帰ってきたら聞いてやる!」
あたしは立ち上がって鏡を見た。
「キスしたことも……、なんでそんなことしたのか聞いてやるんだから」
あたしは鏡の前に置いてある、ジュエリーボックスから、ゴールドカラーのハートのピアスを取り出し、耳たぶにつけた。小ぶりで可愛い。
ムカついていても、あのキスを思い出したら許せてしまう自分がいた。我ながら情けないなと思う……。
出かける準備をして、リビングに向かう。
暑いので麦茶を飲んでおこうと思ったのと、家政婦さんたちにご飯はいらない、と伝えなければならない。
あたしはせっせと拭き掃除をしている
いい終えて、冷蔵庫に向かおうとしたその時、あたしの視界に嫌な光景が入ってきた。絶対に見てはならないものを視界に入れてしまった。
母だ。かつてないほどに目がらんらんと輝いて、満面の笑みを浮かべている。大きな窓から入ってきた柔らかい光が母を照らし、オーラを放っている。姿だけなら、それはまるで女神降臨のようだった。
女神は音楽をかけ、ステップを踏んで、赤い絨毯の上を楽しそうに踊っているではないか! 紺のワンピースの裾が美しく揺れている。
しかし母は運動音痴なので、ステップがメチャクチャだ。誰か母にきちんとダンスを習うように言ってほしい!
駒塚だけが母のダンスに拍手をしている。
……あれは、あれはやばい。絶対になにかを企んでる。菜奈ちゃんが帰ってきて、なにかを思いついたのだ、間違いない!
あたしは気配を消して、リビングを後にした。