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第62話

 ……え、えええ、バレちゃった、な、なんでぇ。


「大丈夫よ。協力してあげるから」

 菜奈ちゃんは鰻屋から出て、楽しそうに繁華街の中を歩いていく。


「えー! ホントにいないんだけどなぁ」

 あたしの言葉なんて聞いてもいない菜奈ちゃんは、おしゃれな服屋を見つけて店内に入っていく。


「あ、待ってよぉ、菜奈ちゃん」

 あたしは菜奈ちゃんの後を追った。


 菜奈ちゃんはその後もおしゃれなお店を見つけては買い物をしていたが、所持金が六千円未満のあたしはただ、ウインドーショッピングをするだけだった。

 給料日のことを考えたら、無駄遣いはできない。今、衝動買いをすると雪哉くんのスタビに通うお金すら危うくなる。


 お目当ての本屋に着いて、菜奈ちゃんは医学書コーナーに、あたしは和菓子の本を物色しに行った。


 明日から『マスカット大福』が店頭に並ぶ。あれは夏を感じさせる限定品だ。果実がみずみずしくて、程よく甘く、大福の皮もいつもより伸びるし、柔らかい。食べた後の幸福感がしばらく口の中で生きている。


 入社二年目のあたしは和菓子の勉強だけはしてる。この世界にどんな和菓子があるのか、もっともっと知りたい。


 和菓子コーナーをひと通り見終えたあたしは、少女漫画のコーナーに向かった。


 あるとあらゆるジャンルを見てきたが、結局、少女漫画に戻った。たまには他のジャンルも読むけど、キュンが最高なのが少女漫画で、それは時に泣けて、切ないかと思えば笑える展開だったり、共感があたしの心を揺さぶる。自分が恋愛体質であることがよくわかる。


 あたしと菜奈ちゃんが本屋を出る頃には、もう夕方の六時を過ぎていた。


 地下鉄から別な路線へと乗り換えて、雪哉くんのバイト先に向かった。

 電車から降りて、駅構内を歩くと、いつもの見慣れたスタビが姿を現した。いつもあるものがそこにあると安心する。


 外の立て看板には、美しい桃の写真がデカデカと載っている。

 今の季節は『桃』が売りで限定品らしい。桃ソーダ、桃のフラッペ。


 気配を最大限に消して外から店内を覗く、いつもしていた癖はなかなか抜けない。こうして十五年も彼を盗み見してきたのだ。


 雪哉くんがカウンターにいるのが見えた。別人のような優しい笑みを浮かべて女性店員と話している。

 女性店員が嬉しそうに頬を染めている。


 ……く、くそぅ! こんなところにもライバルが出始めているではないか。雪哉くんはなぜにバイトなどするのだ。自分の価値をまったくわかっていない! 君は顔だけで億を稼げる、十分食っていける男だという自覚がぜんぜん足りていない!! 頼むから、ノースキャンダルでいてくれ!


「星奈、どうしたの? 芸能事務所のスカウトマンみたいな顔して……。早く店内に入ろうよ」

 菜奈ちゃんが怪訝な顔をして、唇を噛み締めるあたしを見ていた。


「あ、うん。入ろ、入ろ! 喉乾いたねぇ~」

 あたしたちが二人でお店に入るも、雪哉くんは少しも驚いた顔を見せずに『いらっしゃいませ』と天使、いや、大天使スマイルを見せてくれた。


 雪哉くんは俳優なのだろうか、とも思う。あたしは大天使のいるカウンターにいそいそと向かった。






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