「よっ! 雪哉、ちゃんと時給分働いてるか?」
菜奈ちゃんが雪哉くんに軽口を叩いた。
その言葉を聞いて、カウンターにいる雪哉くんが菜奈ちゃんの顔を見つめた。
……うわっ! 菜奈ちゃん、雪哉くんになんて
あたしの身体が強張る。
雪哉くんのあの美しい笑顔が砂の城のように崩れ去り、恐ろしい雪の魔王が姿を現すに違いない。こめかみに青筋をたて、怒りを含んだ瞳でこちらを見据えてくる、そんな未来が浮かんだ。
「そうだな。おかげで楽しく働かせてもらってるよ」
雪哉くんはさらにニコリと微笑んで見せた。一緒に働いているスタッフの女子一名がその笑顔に見惚れ、こともあろうか、隣に立って作業をしていた男性スタッフまでもが、頬を染めて作業の手を止めた。
……ウゲー! 雪哉くん、男性にまでモテるの……。ライバルが女性しかいないと思っていたが、今後は同性の方も気をつけなければならない。
「好きなの、頼んでいいよ」
雪哉くんが菜奈ちゃんに優しい声で言った。
「もちろん、そのつもりよ」
菜奈ちゃんと雪哉くんは周りから見たら、すごく仲の良い友達に見えるだろう。もしくはそれ以上か……。
「あ、あのあたしは?」
姉妹特権で
「……どうぞ」
大天使スマイルに少しヒビが入った気がした。図々しいと言いたげな目だ。
「……あ、やっぱいいや」
あたしは財布を取り出した。だめよ、星奈。自分の分は自分で払う! それが大人の女ってもんよ! たかが、七百七十円で株を下げたくないわ。
菜奈ちゃんが注文を決めたらしく、受け取り待ちのカウンターのほうに向かった。
雪哉くんとあたしは向かいあっている。他の従業員は菜奈ちゃんが頼んだものを作ったり、他のオーダー品を作り出した。
「で、ご注文はお決まりでしょうか?」
雪哉くんの顔から大天使の笑顔が消えた。さっきとずいぶん態度が違う気がするのは気のせいか?
「あ、あのあたし、桃のフラッペでいいです。自分で払います」
あたしは財布から千円を取り出し、カウンターに置いた。
「……いいよ。仕方ないから奢ってやるよ」
ぶっきらぼうな言い方だったが、自分にも優しくしてくれることが嬉しかった。
「いいよ。雪哉くんのバイト代減っちゃうし。自分で払う」
あたしは千円札が入ったキャッシュトレイを、さらに雪哉くんのほうに近づけた。
「……おまえ、ほんとバカだな。ひとが奢ってやるって言ってるのに」
雪哉くんが呆れたように息を吐き、レジを打ち、お釣りをあたしに返してきた。
「いいの、バカでも。あたしがそうしたいの」
あたしはお釣りを財布に入れ、受け取りカウンターのほうに移動した。
あたしの分は雪哉くんが直々に作ってくれた。菜奈ちゃんはノートのお礼かもしれないけど、あたしは今回はお客さんだから。
……いつか彼氏になったら奢ってね、雪哉くん。
あたしは雪哉くんにとびっきりのウインクをした。
……あたしのこの愛がいつか伝わりますように……。
そんなあたしを見て、雪哉くんがお皿を滑らせ、落としかけた。
菜奈ちゃんは桃のソーダを、あたしは桃のフラッペをそれぞれ受け取り、ソファに腰掛けた。
「う~ん、喉が渇いてたから炭酸が美味しいわぁ」
菜奈ちゃんが白い歯を見せて笑う。
「あたしもどっち頼むか迷っちゃった」
桃のフラッペの甘酸っぱい香りが、あたしの鼻をくすぐった。
それはまるで、あたしの片想いを表現したような香りだった。