夏の匂いがする。蒸し蒸しとむせ返るような、そんな湿った空気だ。今年の夏も暑そうだ。
すっかり日も暮れて、お月様が夜空に浮かんでいる。どれだけ温暖化が進もうが、お月様だけは変わらない。
夜が美しいと思えるのはお月様がいるからだ。
今夜は奇麗な満月だ。
三人で電車乗り場に向かう、聖哉さんの後ろをあたしたちと菜奈ちゃんは並んで歩いていた。
「ねぇ、聖哉って昔からこんな陽キャだったっけ?」
菜奈ちゃんが口元を隠し、あたしの耳元で囁いてきた。
「ううん、ぜんっぜん違ったよ。目つきも悪かったし、口も悪かったよ。どちらかっていうと陰キャだったよ」
あたしが知ってる彼は少なくとも、こんな感じではなかった。口数も少なかったし。
「ちょっとぉ! 二人とも丸聞こえなんだけど!」
聖哉さんが振り向いて唇を尖らせ、わざと怒ったような顔をした。
最近、家の中が明るいのは聖哉さんの存在も大きい。
彼はうちの父と母を褒めるのも上手だ。
「あはは! でも聖哉さんがいてくれて、家の中はすごく明るくなったよ」
本当のことだ。父は家ではワインばかり飲んでいるし、母は父の隣で黙々と刺繍をしたりしている。兄はそこまで口数が多い方ではない、口を開けば株が下がった、上がっただのよく言っていて、あたしには理解できない。みんながそれぞれ好きなことをして過ごしている。
唯一一緒に過ごす食事時に、皆がそれぞれの話をしたりする。父も母も結婚して三十年近く経つから、そんなものかもしれない。
聖哉さんの話は面白くて、決してひとを不快にさせず、我が家の太陽のような存在になりつつある。
「え!? 本当!? 星奈ちゃんにそう言ってもらえて嬉しいなぁ。僕もあの家にずっと居たいよ〜」
聖哉さんの口角が奇麗に上がった。
「……いればいいじゃない」
なんでもないことのように菜奈ちゃんが口にした。
「え?」
聖哉さんが聞き返した。
「そうだよ、次のお家が決まるまでずっといてよ、聖哉さん」
あたしは聖哉さんに微笑んだ。家の中にたくさんの人がいて、今は本当に楽しい。
「星奈ちゃん好き! 大好き! もう僕たち結婚しちゃおっか!」
聖哉さんがあたしの手を握って、あくまで冗談っぽく言うが、目は真剣だ。
『結婚』というワードを出されて、戸惑わない女子がいるのだろうか?
不覚にもときめいてしまった自分がいた。
「星奈の手を離しなさい。それにバカも休み休み言いなさいよ」
聖哉さんが菜奈ちゃんにデコピンをされた。
「いったぁい! もう菜奈ちゃん、僕にはきびしすぎ~!」
おでこを抑え、顔を歪ませる聖哉さん。本当に子犬だ。