# 「男の娘は“ショタ”なのか“ロリ”なのか──ジェンダー越境表象における記号と消費の考察」
## はじめに
本論文は、「男の娘」というキャラクター表象を、「ショタ」や「ロリ」といった年齢記号の文脈に照らし、ジェンダー・年齢・消費の観点からその意味を再考するものである。「ショタ」と「ロリ」はともに幼さを喚起する記号だが、文脈によっては相矛盾し、曖昧な「男の娘」に対し混乱を招く要因となっている。本稿では以下の問いに答える。
1. 男の娘は「ショタ」なのか「ロリ」なのか、どちらか一方に分類できるのか?
2. 「男の娘」表象は、どのようなジェンダー・年齢の交差を意味しているのか?
3. 消費の中で「ショタ/ロリ」はどのように機能し、「男の娘」はそのどこに位置するのか?
4. 倫理・フェティシズム・創作視点から、この表象をどう理解・批評するべきか?
本稿は以上の問いを軸に、歴史的背景・理論的視点・具体作品の分析・消費市場の視点・倫理問題・再定義提案という構成で進め、最後に未来展望をまとめる。
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## 第1章:表象の歴史とキャラクター分類
### 1.1 美少年・女装少年の系譜
戦前から日本の文芸・少年愛好文化において「美少年」「女装少年」は存在した。児童文学や伝記漫画における可憐な少年像は戦後「少年の中に覗く女性性」として認識され、これは後のショタ・女装表象の萌芽とみなせる。
### 1.2 「ショタ」の系譜
「ショタ(ショタコン)」とは本来「少年(shōtarō)好き」を指し、BLや百合と並ぶ萌えジャンル。「男性同性愛」ではなく、「幼い男性」に対する微性感情を含む。「少年」という年齢カテゴリーと「美しさ」が相乗し、萌え記号として成立した。
### 1.3 「ロリ」の系譜
「ロリ(ロリコン)」は「幼い女児」に向けられる性的好意を指す。成人女性の中に少女性を観出す趣向であり、その主語は女性キャラである。ロリ表象は未成熟と純粋さへのフェティッシュな志向と結びつく。
### 1.4 「男の娘」の登場
90年代以降、女装少年キャラが美少女化される「男の娘」表象が登場。年齢不詳・少女的外見・男性の身体という三位一体であり、「ショタ」的要素(少年)と「ロリ」的要素(少女的魅力)を併せ持つ。単一カテゴリーでは説明しきれない多層性を持つ。
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## 第2章:ジェンダーと年齢の交差点
### 2.1 性別・ジェンダーのずれ
「男の娘」は生物学的には男性でも、服装・声・立ち居振る舞いで女性的なシルエットを形成する。ここに「性別の境界を越える身体=記号」としてのフェティッシュ性が存在する。
### 2.2 年齢と身体記号の分離
「ショタ」は少年らしい身体、「ロリ」は少女らしい身体への志向。男の娘は身体的年齢(少年)と外見年齢(少女)の不一致を演出し、年齢記号が交換可能な現代メディア文化の言説空間を生み出している。
### 2.3 見た目・声・演出による多層性
男の娘は外見、声質、演出によって「少女としての魅力」を演じ、「ショタ」を排除した(あるいは曖昧化した)作品が増えている。これは消費者側の年齢不一致への忌避感に対応した戦略と言える。
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## 第3章:消費とマーケティングの視点
### 3.1 アニメ・ゲーム・同人市場
『プリパラ』『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』、VTuber「叶」に代表されるなど、男の娘キャラはアニメ・ゲームから同人文化、実写舞台まで幅広く展開されている。その消費者層は中高年男性から若年層女性、LGBTQ+ファンまで多岐に及ぶ。
### 3.2 マーケティング戦略
プロモーション素材は「女性アイドル風」「かわいい声」「おにゃの娘グッズ」など、ロリ寄りのフェティッシュを伴いながらも「少年ではない」と明言するものが多い。これは「ロリコン規制」や「ショタ表象による規制回避」を目的とした策略ともとれる。
### 3.3 消費者の可塑性と関心の多層化
ファンの投票・クラウドファンディング反応からは、「かわいさ」訴求へのニーズが高く、「ショタ」要素は脇に置かれる傾向がある。つまり、見た目と性別の不一致が前提とされつつも、少年要素は認識されにくく、消費者から「ロリ的なかわいさ」として欲望されている。
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## 第4章:倫理・フェティシズム・社会的まなざし
### 4.1 未成年描写と国際規範
「少年外見+女装+幼さ」という構成は、国際的には児童性表象として規制対象になりかねないグレーゾーン。特にEUや北米では、少年年齢を示唆する描写が批判の的となる可能性がある。
### 4.2 フェティシズムの視点
男の娘表象は「二元性を超えた性的ファンタジー」として解釈できる一方、「男性が少女を装う」構図における表象の主導権が疑われる。消費の主体が多数中年男性である場合、ロリコン的要素を伴う倫理的曖昧性は強くなる。
### 4.3 ジェンダーの脱中心化と再構築
一方で、LTBTQ+視点から男の娘表象は「男性でありながら自ら女性性を演出する自己表現」として肯定され、ジェンダーの多様性を映し出す鏡ともなりうる。フェミニズムにおいても「自認的な自己表現」の自由とされる可能性がある。
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## 第5章:議論の整理と再定義
### 5.1 「ショタかロリか」再考
男の娘は、「ショタ」や「ロリ」といった単一基準で分類できない。身体年齢と外見年齢が分離された記号表現であり、むしろ「性別と年齢記号の解体」を示唆している。
### 5.2 新たなカテゴリー提案
「中性的キャラクター」「フェムトランス」など新しい呼称ではなく、「少女的身体を演じる少年」のように正確に記述し、既存のカテゴライズに頼らない読み方が求められる。
### 5.3 評価と消費の今後
作品側は「少年+少女魅力」の二重記号を多層的に操ることで、曖昧性こそが魅力とする表現形態を構築しつつ、特定の規範に抵触しないバランスを模索している。
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## 総括と展望
男の娘表象は「ジェンダー越境」だけではなく、「年齢記号の多層化」によって成り立つ現代のメディア文化を代表する特殊な記号空間である。ショタ・ロリという既存の萌え記号では説明できない、性別と年齢を交錯させる独特なフェティッシュ性は、曖昧さが許される現代的想像力を象徴している。
倫理的リスクと表現の自由のはざまで、今後は「年齢明示」「創作者・ブランド責任」「国際規範への対応」が問われるだろう。また、「自認による女性性の表現」という自己表現の文脈も加味されれば、男の娘は「アイデンティティのハイブリッド表象」として、文化研究・ジェンダー理論・クリエイティブ実践の有効な交差点となりうる。
本稿は、男の娘をショタやロリの枠に押し込まず、あらゆる境界記号が溶解する現代の文化の最先端として読み解くことで、新しい萌え表象の倫理と創作の未来を照らす一助となることを願う。