九条刹夜の欲望と体力は、並外れていた。
それはこの一年、鈴羽が嫌というほど思い知らされてきたことだ。
だが、今回はそれがこれまで以上に激しいものだった。
歓びの後、鈴羽は全身が何かに引き裂かれたような激しい痛みを感じていた。
長い、長い夜――。
何度も涙を流した。
しかし、刹夜は決して憐れみなど知らない。
優しさなんて、元々持ち合わせていない男だ。
ましてや、今、自分が彼を騙していたことを知っているのだから…。
夜が明ける。
鈴羽が朦朧とした意識で目を覚ますと、刹夜はすでに外出していた。
広大な屋敷には、彼女一人だけが取り残されていた…。
組の仕事は山ほどあり、刹夜は朝早くから夜遅くまで帰ってこない。
それがどんな仕事か、鈴羽には一切わからない。
いや、知ろうとも思わなかった。
朝七時、刹夜の子分、黒岩平吾が現れた。
黒岩は、刹夜の腕の立つ子分の一人で、
かつて刹夜をかばって顔に傷を負い、見るからに恐ろしい容貌になっていた。
「奥様、若頭様からのご指示でお迎えに上がりました。お住まいを移していただきます」
鈴羽は無言でうなずいた。
ここに住み続ける資格はもうないこと、彼女は理解していた…。
わずかな荷物をまとめ、黒岩に従って屋敷を後にした。
しかし、刹夜が彼女のために用意したのは、まさか歓楽街のすぐ近くにある古びたアパートだった。
階段を上るだけで、腐ったネズミの臭いが鼻をつき、吐き気をもよおす…。
鈴羽は真っ白なワンピースに小さな帽子をかぶり、お嬢様然とした風情。
その場の荒れた雰囲気とは、まったくかけ離れていた。
「黒岩さん、刹夜さんから…他に何か言われましたか? 私は…これからずっとここに住むことになるのでしょうか?」
鈴羽はおずおずと尋ねた。
「奥様、しばらくはこちらでお過ごしください。どれほどの期間かは、若頭様からは伺っておりません。それと…今夜からはお働きに出ていただくことになっています」
「働く」という言葉に、鈴羽は一気に焦った。
「っ、いや…そういう仕事は嫌です!お願いです、彼に伝えてください…売春なんて絶対に嫌だって…!」
鈴羽は震えながら、必死に訴えた。
「奥様、それは誤解です!ああいう仕事をさせるわけではありません。
お仕事はただの清掃です。
一番街にある店の多くは、我ら刹淵組の縄張りです。
若頭様が奥様をこちらの清掃係に回されたのも、組の仕事をよく知っていただくためだと思います。
しばらくは、お辛い思いをなさるかもしれませんが…」
「ですが、私…」
鈴羽はさらに問いただそうとしたが、黒岩はもう去っていた。
彼女に残されたのは、ただ一本の鍵だけだった…。
エレベーターもない六階の最上階にあるのは、古びてカビ臭い小さな部屋だった。
鈴羽は半ば諦めて鍵でドアを開けた。
間取りは1DK。全ての部屋が狭く、特に風呂場は窮屈で哀れなほどだった…。
昨日まで住んでいた広大な屋敷とは、まるで別世界。
天国から地獄へ、まさに突き落とされたような気分だった…。
しかし、姉が戻ってきた以上、自分が彼の妻であり続けることはできない。
気持ちは沈み、両親に姉のことを問い詰めたい衝動に駆られた。
だが、刹夜を怒らせて自ら災いを招くのは、なるべく避けなければならない…。
一方、その頃。
本物の月島千紗が、屋敷へと案内されていた。
「うわぁ~すごく綺麗なお屋敷…!」
千紗は目を輝かせて感嘆の声を漏らす。
「刹夜さまは?」
「若頭様は組の仕事でご多忙です。どうぞ、ゆっくりお休みくださいとお伝えしております」
「は~い」
千紗は突然逃げ出したため、衣服すらほとんど持っていなかった。
だが、そんなことはもうどうでもいい。
九条家が彼女に、望むべき栄華を与えてくれるのだから。
考えてみればバカだった、と彼女は思う。
どうしてあの時、逃げ出してしまったんだろう?
ヤクザの若頭だって、怖がる必要はなかったじゃない。
もしテレビで、刹夜が鈴羽に数千万もするブレスレットを買い与えているのを見なければ、
妹が自分の身代わりになってこんなに良い暮らしをしていることなど、知る由もなかったのだから。
千紗がクローゼットとジュエリーボックスを開けると、思わず息を呑んだ。
高級ブランドの洋服がクローゼットいっぱいに詰まっている。
どれも、彼女が一年働いても手に入らないような品ばかりだ。
バッグ、時計、ジュエリーに至っては言うまでもない。
「ちっ、あの小娘…私のものを一年も贅沢しやがって」
やっと、奪われたすべてを取り戻せる…。
鈴羽のドレスに着替えた千紗は、ソファに横たわり、両親に電話をかけた。
その口調には、脅しを込めた強い響きがあった。
「というわけよ。 私はもう、刹夜様に全部話したわ。あんたたちの責任を問わないように頼んだ。
でもあんたたち、いい加減に身の程をわきまえて、余計なことは言わないでね。
もし刹夜様に私と川崎の話が漏れたら…みんな、殺されるわよ」
千紗は典型的な利己的な女だった。
両親にせよ妹にせよ、愛情なんて微塵もなく、生まれつきの自己中心主義者。
自分の利益になることなら、手段を選ばず達成しようとする。
電話の向こうから、母親の心配そうな声がした。
『じゃあ…鈴羽はどうなるの…?』
「知らないわ。九条刹夜に殺されちゃうんじゃない?
仕方ないんじゃない。だって彼が好きなのは私なんだから」
千紗は妹の生死など気にしていなかった。
――自分さえ裕福に暮らせれば、それでよかった。
一週間前まで生活費に困っていた彼女は、今や九条刹夜の奥様の座に堂々と収まっていた。
刹淵組、会議室。
九条刹夜は会議を終え、険しい表情で部屋を出ようとした。
「若頭様、手配はすべて整いました。奥様は一番街の旧アパートに送り届けました。夜には清掃の仕事を始めていただきます。
もうお一方は…屋敷にご案内済みです。いつでもお戻りいただけます」
黒岩平吾にとって、若頭である自分の主人に、女が何人かいるのは何らおかしなことではない。
刹夜はしばらく沈黙し、尋ねた。
「…あいつ、何か言ってたか?」
「どちらの方がですか?」
黒岩は一瞬、戸惑った。
「言われなくても分かるだろうが?」
刹夜は苛立ちを滲ませたが、鈴羽の名前を口にすることは避けた。
黒岩は即座に悟った。
「あっ、奥様は…少々お怯えになられていました。お客様の相手をさせられるのかとお考えでして、清掃の仕事だとお伝えすると、少し安堵されたようです」
「…泣いてたか?」刹夜が問うた。
彼の心には、あの女はよく泣く、という思いがよぎった。
小心者なところが半端なく、ベッドで痛めつければ、いつだって泣き叫んだものだ。
彼女の姉は、きっとあんな泣き虫ではないだろう?
19時。
九条刹夜は仕事を終え、屋敷に戻った。
ドアが開くと同時に、千紗が直ぐ様飛び込んできて、そのまま彼の胸に飛び込んだ。
そして甘えた声で言う。
「刹夜さま、やっと帰ってきたのね」
刹夜は微かに眉をひそめた。
彼女がまとった、鼻を突く香水の匂いがたまらなく不快で、吐き気を催させるほどだった。
「香水をつけたのか?」冷たい口調で。
「ええ、新作よ。あなたのためにつけたの!気に入ってくれてる?」
「拭け」
と、刹夜は一歩後ろに下がり、冷徹な命令を放った。
千紗は少し面食らった。
この香水で二人の初夜を完璧にしようと思っていたのだが、彼の反応は全く違っていた。
「拭け。気に入らん」
「うーん…あとで拭くから、まずチュウしてよ~」
千紗は刹夜の気性をよく知らなかった。
言われた通りに拭うこともなく、そのまま近づいてキスを求めようとした。
次の瞬間、彼女は強く突き飛ばされ…そのまま壁に体をドンと強く打ちつけられた。