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第10話 死んでいいなんて、俺が許してねぇ


「止めろ」


キキーッとタイヤが鳴き、車が急停車した。


あまりの急ブレーキに、花怜は前の座席に頭をぶつけかけた。

だが、刹夜はそんなこと気にも留めない。


「花怜をちゃんと護衛して、パーティーに連れて行け。

 …俺は急用ができた。先に行く」


「えっ、ちょっ……刹夜!」


花怜が声を上げたときには、男の姿はもうなかった。


「はぁ!? なにそれ、意味わかんない!」


海外に留学していた徳川花怜は、この夏ようやく学業を終えて帰国したばかり。

せっかくの再会を楽しみにしていたのに、この仕打ち――

機嫌が悪くなるのも無理はなかった。


***


病院――集中治療室前。


「どこだ」


荒い息を吐きながら、刹夜が駆け込んでくる。


「奥様は中に。ただ、医師から――面会は短くとのことです。

 傷があまりにも重く、状態が不安定で……若頭様もあまり刺激なさらぬよう……」


平吾が恐る恐る説明した。


「……お前に指図される筋合いはねぇ。どけ」


その一言で、平吾は数歩も下がり、背筋を伸ばして黙り込んだ。

刹夜は黒のジャケットを脱ぎ、平吾に投げ渡す。


シャツもスラックスも、高級ブランドのオーダーメイド。

まだ二十代の若さながら、闇の帝国を背負う男には、それだけの威圧感があった。


病室のベッドには、青の病衣の鈴羽が静かに横たわっていた。


全身には管が通され、酸素マスクをつけている。

顔色は紙のように白く、今にも消えてしまいそうなほど弱々しい。


――一時間前、彼女はうっすらと目を開けた。


最初は、夢だと思った。

けれど、周囲に立つ看護師たちの姿を見て、自分がまだ生きていると理解した。


「……お前、やらかしたんだぞ。わかってんのか?

俺の客に手ぇ出したんだぞ」


心配の言葉など一切言えない性分。

気づけば、刹夜の口から出たのは責め立てるような一言だった。

その声に反応するように、鈴羽のまぶたがゆっくり動いた。


「……死んだかと思った」


かすれた声が、酸素マスク越しに届く。


「死んでいいなんて、俺が許してねぇから、死神だってお前を連れてけねぇよ」

「蛍ちゃん……あの子は?」


鈴羽の声が震える。


「誰?」


刹夜が眉をひそめた。

そんな名前、聞いた覚えがなかった。


子分の報告でも、鈴羽が子供を助けようとしていた、という程度しか伝えられていなかった。


「小豆蛍ちゃん……その子、無事なの……?」


懸命に問いかける鈴羽。


刹夜は、その“誰か”の安否を気にかける鈴羽に、言いようのない怒りを覚えた。

胸の奥で、嫉妬が燃え上がる。


(あのガキか――)


今にもその首を絞めてやりたい衝動に駆られる。

だが、全身に管が繋がれている彼女を見て、どうにもできず、苛立ちを飲み込むしかなかった。


「……ああ、あの子か」

「どうなった?無事なの??」


鈴羽が縋るように聞く。


「……死んだよ。バラバラにされてな」

「……っ!!」


鈴羽は激しく反応し、咳き込み始める。


「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ……!」

「……嘘だ。生きてるよ」


彼女がここまでその子を心配するのが、ますます妬ましかった。


直後――病室にアラームが鳴り響く。

医師と看護師たちが駆け込んできた。


「若頭様、申し訳ありません。今はお引き取りを。

 容体が急変しました。緊急処置が必要です!」


「…………」


やってしまった、という顔をして彼は一歩後退した。


(……なんなんだよ、クソッタレ。

俺は……一年もこいつと一緒に寝てた男だぞ?

たった二日会っただけのガキに負けてんのか――?)


歯を食いしばり、刹夜は悔しさと怒りをこらえた。


病室を出た刹夜の顔には、陰が差していた。


「若頭様、奥様は大丈夫でしょうか…?

さっき、医者が大勢駆け込んで行きましたが……」


平吾が心配そうに声をかけた。


「……まぁ、俺の顔見て嬉しすぎたんだろ」


平吾は黙っていたが、

内心では(本気で言ってるのか、若頭様)とツッコんでいた。


そんな時、電話が鳴った。

――発信者:九条貴司。九条刹夜の父親だ。


「……はい」

『花怜ちゃんの歓迎パーティーだ。さっさと来い』

「こっちはまだ用事が…………」

『くだらん言い訳は聞きたくない。すべて放り出して来い』

「でも――」


プツッ。

一方的に切られた。


父と息子、どちらも似た者同士で、どちらも自分の言葉しか信じない頑固者だった。


父・貴司が徳川家との縁組にどれほど執着しているか、刹夜はよく知っていた。

今まさに高級ホテルの宴会場で、徳川家と正式な顔合わせをしている最中。


だが、刹夜の姿がなかったことで父は激怒し、すぐさま電話をかけてきたのだ。

仕方なく、刹夜は車を走らせる。


宴会場には、徳川家の父娘、そして貴司とその妾・和枝の姿。

刹夜の実母・水穂は正式な妻であったが、長年冷遇されており、この場に姿はなかった。


周囲の誰もが、和枝こそが組長の最愛の女性と認識している。


それに対し、刹夜は何の異論もなかった。

実母に対して、彼は愛情も尊敬も感じていなかった。

ただ一人の“弱くて、哀れな女”としか思っていなかったからだ。


「刹夜!」


刹夜の姿を見るや、徳川花怜は満面の笑みで立ち上がる。


「徳川さん、お久しぶりです」


刹夜は花怜の父へ、形式的に挨拶する。


「おお、最後に会ったのはもう五年前か。すっかり立派になったな!

 一人で組を任されてもおかしくない風格だ。さすがは貴司の息子だ」

「過分なお言葉です」


刹夜は静かに応じ、父の隣に座ろうとする――が、

「刹夜、こっち!」


花怜が隣の席をぽんぽんと叩く。


「話したいこと、たっくさんあるの!」


海外帰りの彼女は、いささか大胆だった。

いわゆる“良家のお嬢様”らしい遠慮は一切ない。


和枝が微笑みながら口を添える。


「刹夜さん、花怜さんがそこまで言ってくれてるんだから、座ってあげなさいな」


断ろうとした刹夜だが、父親の鋭い視線と目が合う。

――拒否すんな、という圧。


仕方なく、花怜の隣に腰を下ろした。


「よかった~、来てくれて!

もう来ないのかと思ったんだから。

なに食べたい? 私が取り分けてあげる!」


「……いい、食欲ないんだ」


刹夜は短く答える。


すると、和枝がわざとらしく話題を振った。


「花怜さん、海外に長くいたそうだけど、現地で彼氏さんとか……いたのかしら?」


「まさか! 全然いないよ~

 あんな男たち、全然タイプじゃないもん…

 刹夜よりかっこいい人、どこにもいなかったし」


「花怜、女の子なんだから、もっと控えめにしなさい」


徳川花怜の父がやんわりと注意する。


「いいの、パパ。現実の前じゃ“控えめ”なんて意味ないから」

「……まったく」


苦笑しながら、徳川父は肩をすくめる。


貴司は豪快に笑った。


「ははっ! いいぞ花怜ちゃん! その正直さと率直さがいい!」


場の空気がなごみ、年配者たちは皆、満足げにうなずく。

だが、徳川花怜の父は、話の中に一つの“確認”を忍ばせていた。


「……そういえば、一つだけ確かめたいことがあるんだがな。

どうも聞いたんだ、刹夜は一年前に“結婚していた”って」


「……え?結婚なんて、まさか!パパ、何かの間違いだよ」


花怜の表情が一気に曇る。

刹夜が答える前に、貴司が口を挟む。


「なぁに、大したことじゃないさ。

式もしてない、籍も入れてない、子供のままごとみたいなもんだ。そんなの結婚とは言わんよ」


徳川父は、穏やかな目をしながらも、じっと刹夜の顔を見つめた。


「刹夜、お前自身の口で聞かせてくれ。

その女とは、本当に――遊びだったのか?」



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