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第11話 殺してはいけません!


刹夜は、この場にいる誰が何を聞きたがっているのか、分かっていた。

そして、もし答えを誤れば――父がまた烈火のごとく怒ることも分かっていた。


沈黙の後、彼は淡々と答えた。

「……はい、ただの遊びです」


その言葉を聞いて、貴司はほっと息をついた。

徳川花怜の父も上機嫌になる。


「はは! やっぱりな。刹夜ほどの利口な子が、そんな愚かな真似するわけないよ」


「ふんっ!私はイヤよ!

 どんな理由でも、刹夜に近づく女はみんな嫌い!」


花怜は相変わらずの我の強さで言い放った。


「もういい、花怜」


父は苦笑しながら娘をなだめる。


「器の大きな女になれ。刹夜も言っただろ、あんなのはただの遊び。おもちゃみたいなものさ。おもちゃ相手に本気になることないだろ?」


機嫌のいい声色で、徳川一成は娘をなだめる。


――味のしない食事だった。


父の支配的な態度。

和枝の取り繕った笑顔。

徳川一成の歯の浮くような褒め言葉。

そして、花怜のしつこいアプローチ。


そのすべてが、刹夜には頭痛の種だった。


はっきり言って、徳川花怜という女に、彼は何の好感も持っていない。

たぶん、人は自分とは正反対の性格に惹かれるものだ。


花怜は彼とよく似ている。

強引で、わがままで、欲しいものは何が何でも手に入れようとする――

そんな性質は友人ならまだしも、恋人には絶対に合わない。


それに比べて――

ふと、ある一人の女性が脳裏をよぎる。


あの、穏やかで、水のように優しい女。


一年前、彼女が家に来てから、怒った姿など見たことがない。

たぶん、彼に逆らうのが怖かっただけかもしれない。


けれど、それでも彼女は確かにどんなときも温和だった。

料理だって、「好きじゃない」と言えばすぐに作り直してくれる。


夜、彼がどんなに無茶な欲をぶつけても、決して拒まなかった。

すべてを、黙って受け入れ、従ってくれていた。


――柔よく剛を制す。

まさにこういうことなのだろう。


刹夜は思う。

自分のような人間には、ああいう“水のような女”こそ、必要なのだと。


だが、花怜も千紗も、そのタイプではなかった。


宴が終わり、出席者たちはそれぞれ帰路についた。


花怜はまだ物足りない様子で、バーへ行こうと誘ってきたが、

刹夜は用事があると断った。


宴を抜けた後、彼はすぐに病院へは向かわなかった。

念のため、慎重に動いた。


父親の手下や花怜の家の人間に尾行されるのを警戒していたのだ。


――今はまだ、鈴羽の存在を明かすつもりはない。


それが彼の判断だった。

月島千紗=鈴羽だと周囲に思わせておけばいい。


二人は瓜二つなのだから、逆手に取るには最適の状況だった。


刹夜は、屋敷に帰る気にはなれず、再び組の本部へ向かった。


「砂川獅童はどこだ?」


黒岩平吾の胸がひやりとした。


実は、砂川は刹夜が招いた客ではなかった。

刹夜が若頭に就任してから、最初からゴールデントライアングルとの協力関係を続ける気はなかった。

父親と同じ道を辿るのは無意味だと思っていたからだ。


すでに刹淵組は政界にまで手を伸ばし、首相選の票すら左右する力を持っている。

資金だって、海外口座にいくらでもある。


――旧時代のやり方なんて、くだらない。自分だけの王道を歩みたい。

それが刹夜の考えだった。


だから、砂川の存在を見落としていた。

まさか、あの歓楽街で砂川が鈴羽に出くわすとは。


しかも、鈴羽は命を落としかけた。


刹夜は、恨みは絶対に晴らす主義だった。

その性格を知る平吾は、刹夜がゴールデントライアングルの客人に手を出すつもりではないかと心配していた。


「砂川さんは、うちの系列ホテルに宿泊中です。今の時間なら、すでに就寝されてるかと…」

「同行者は?」

「部下二名、ボディガード二名。あわせて五名のはずです。若頭様、まさか……」


平吾の声がわずかに震える。

刹夜は何も言わなかった。その沈黙が、かえって不気味だった。


「若頭様、それはいけません。どうか、大局をお考えください。

 砂川さんは手を出せません。


 第一に、彼は組長が招いた大切な客人であり、ゴールデントライアングルの麻薬王・砂川彰の実弟。もし彼に何かあれば、私たちは責任を問われます。


 第二に、組長は今もゴールデントライアングルとの提携を望んでいます。コロンビア系の連中は信用ならず、今や東アジアで組めるのはゴールデントライアングルだけです。ここで関係を壊すわけにはいきません。


 第三に、もし砂川先生が殺されれば、組長は真相を調べるでしょう。そうなれば、“奥様のために動いた”とバレます。組長は、その“奥様”を見つけ次第、始末しかねません。


 奥様は今も入院中で、治療が必要です。どうかご再考を」


すべて正論だった。

――だが、刹夜にとって、それでも許せる話ではない。


診断書に記された「肋骨七本骨折」の文字。

――どれほどの痛みだったか…。


あの女に、自分でさえ指一本傷つけたことないのに、

あの馬鹿野郎に殺しかけた。


この怒りは、到底飲み込めるものではなかった。

だが平吾の言う通り、今は動くべき時ではない。


砂川が歓楽街の女を一人殺したところで、組の中では大した問題にはならない。

騒がれなかったからこそ、鈴羽やあの子供に誰も注意を払わなかった。


だが、もし砂川が死ねば、鈴羽の存在も隠しきれなくなる。

しかも、徳川家の人間も戻ってきている。


今は、鈴羽の存在を明かすわけにはいかない。


刹夜は深く息を吐いた。


「安心しろ。誰も殺すなんて言ってない」

「ご英断ありがとうございます……!」


平吾はようやく胸を撫で下ろした。


「病院の方は何か連絡あったか?」

「あっ、はい――」

「なら早く言え」

「申し訳ありません。ちょうど砂川先生の話が出たもので……」

「余計なことはいい。病院の話だ」


九条刹夜はタバコを手に取ったが、火を点けずに弄ぶだけだった。

気が散って仕方がない様子だった。


「病院から連絡がありました。奥様はひとまず危険な状態は脱したそうです。

ただし、これ以上の刺激は厳禁と医師からも言われています……

なので、どうしても様子を見るなら、病室には入らず、外から――」


「おまえ、俺に指図する気か?」


刹夜の目が鋭くなった。


「いえっ! その……あくまで医者の助言です。

奥様は今、刺激を避けるべきって……」


――脅してまで助けさせた命だ。


院長まで鈴羽を救うために自ら現場に立ったほどだったのに、

せめて今は静かにしておけ。


平吾はそう思いながら、こっそり背中に汗をかいていた。


「病院の状況を監視しておけ。目を覚ましたら、即報告しろ」

「はっ!」


「それと……あいつの田舎でのことを調べておけ。

どんな人と接触していたか、どの学校に通っていたか、詳しく調べろ。

……ただし、あいつの祖母には気づかれないようにな」


「承知しました」


―――


午前二時。

九条刹夜は組の本部、非常避難用の密室にある簡易ベッドで横になっていた。

部屋は狭く、空気は重く、頭の中には処理しきれない思考が渦を巻いていた。


そして――

彼は、悪夢を見た。


十一歳のあの日。

密林の中、命を狙われ、ただ逃げるしかなかった記憶――


「逃がすな! すぐそこにいるぞ、仕留めろ!」


数人の殺し屋が、容赦なく追ってきていた――



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