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第55話 見つからない彼女


父・九条貴司の言葉に対し、九条刹夜は肯定も否定もせず、ただ沈黙した。


その夜。

プライベートジェットの準備が整う。


鈴羽は慌ただしく男物の服に着替えさせられ、サングラスと帽子で顔を隠されて、機体に乗せられた。


「どこに連れていくつもりなの?」


彼女は不安に駆られて尋ねる。


「奥様、ご心配なく。若様が葬儀にご一緒されるとのことです」


平吾が静かに告げた。


「誰の葬儀……?」


鈴羽は、まだ状況が飲み込めていなかった。


「砂川さんのです。奥様も一度お会いになりましたはず……以前、奥様の命を奪いかけたあのゴールデントライアングルの麻薬王です」


その言葉を聞いた瞬間、鈴羽の顔色が一気に変わった。

――あの男が……死んだ?


どうして? 誰が? なぜ?


そして、なぜ自分まで葬式に連れて行かれるの?


まさか――

あの組織の怒りを鎮めるために、自分を差し出すつもり……?


「行きたくない……お願い、帰らせて……!」


鈴羽は今にも泣き出しそうな声で、平吾を見上げた。

だが彼は、ただ申し訳なさそうに目を伏せる。


「それは……若様に直接、お伝えください」


その言葉が終わるか終わらないかのうちに――

刹夜が機内に入り込んだ。


鈴羽は彼の姿を見るなり、ぴたりと黙り込んだ。


「何を騒いでる」


や刹夜は面倒くさそうに眉をひそめ、豪華なシートにふんぞり返る。


「……ううん。どこに行くのか分からなかっただけ」

「お前が知る必要はない」


――その言葉とともに、エンジン音が機内に響き、機体は滑走路を走り出す。


今回の同行メンバーに平吾の姿はない。

彼は本部に残され、組の業務を任されていた。


黒岩は九条刹夜の腹心だが、組の本部に残されて組の仕事を処理することになった。


代わりに、刹夜が連れて行ったのは5人。

鈴羽のほか、忠誠心の厚い私設のボディーガードが4名。


ゴールデントライアングル――

あの無法地帯に足を踏み入れるには、それくらいの護衛が必要だった。



刹夜の出発を、徳川花怜も月島千紗も知らされていなかった。


そして、それを知った時には――

すでに飛行機は空の上だった。


「徳川様。調べがつきました。九条様は護衛の男たち5人だけを連れて出発したそうです。

 例の女性は同行していません。たぶんまだ何も知らないかと」


その報告を聞いて、花怜の顔から怒りの色が一気に消えた。


「ふふ……そう、ならちょうどいいわ。少し、彼女に“挨拶”してあげましょうか」


花怜の表情には、はっきりとした勝ち誇った自信が浮かんでいた。

彼女は護衛と運転手を連れて、千紗が暮らしていた屋敷へと向かう。



その頃の月島千紗は、まだベッドで寝ていた。


最近、あるオンラインゲームにどハマりしていた千紗。

自由に使える金を手に入れてからというもの、夜な夜なゲーム三昧。


一晩で三十万も課金し、徹夜プレイする始末。


朝は当然起きられず、恵美が作った朝食もすっかり冷めていた。


花怜が屋敷のインターホンを何度も鳴らし――

ようやく目を覚ました千紗は、寝ぼけ眼でドアを開けた。


「……刹夜さま? もう帰って……」


ドアの前に立っていたのが花怜だと分かった瞬間、千紗の表情が凍りついた。


「なんであんたが……何の用よ!」


花怜は一切遠慮なく、千紗を押しのけて中へと入ってきた。

そして室内を見渡しながら、冷たい声で告げる。


「この家は九条家の持ち物。名義はすべて刹夜のもの。あなたと彼の間に法的な保障は何もない。

 けど私は――間もなく刹夜と正式に婚約する女。いずれここは私たち夫婦の共有財産になるの。

 そのときが来たら、あなたには出て行ってもらうわ」


花怜は嘲笑を浮かべながら言い放った。

千紗は顔を真っ赤にして怒鳴り返す。


「ふざけないで! 寝ぼけてんの!? この家は刹夜さまが私にくれたのよ! 

 一緒に暮らして、もうどれだけ経ったと思ってんの!?

 刹夜さまが一番愛してるのは私なのよ! 私が追い出されるなんて、あるわけないでしょ!」


「へぇ、じゃあ……」


花怜は勝ち誇ったように言う。


「刹夜が海外出かけたってのに、どうしてあなたは連れて行ってもらえなかったのかしら?」


その一言に――千紗の表情が固まった。


……そういえば。

刹夜が海外に出かけたなんて、聞いていない。


スマホを手に取り、メッセージを確認する。

――不在着信も、メッセージも、何もなかった。


「刹夜さま……どこに行ったの」


花怜は鼻で笑って答える。


「ゴールデントライアングルよ。刹夜は仕事で出張中。

もちろん、あなたみたいな“どうでもいい女”には、教える価値もないけどね。

 つまり、あなたはただの――刹夜の“おもちゃ”、ってことよ」


花怜は冷笑を浮かべたまま、さらにあざける。


だが、千紗も黙っていなかった。

ピシャリと反撃する。


「は? 今なんつった? 誰が“どうでもいい女”ですって?

 ……あんた、刹夜さまの前じゃ何も言えないくせに、私には強気なんだ? 笑わせないでよ。

 本当は怖くて言えないんでしょ? 刹夜さまの“本命”が私だって、あんたも気づいてるから、嫉妬してんのか」


花怜は言葉に詰まる。


「徳川家のお嬢様、忠告してあげるわ。あんまり調子に乗らない方がいいわよ。

 結婚するって決まったわけでもないのに、何を勘違いしてるの?

 それに――刹夜さまって、あなたに指一本触れたこともないんでしょ?」


その言葉に、花怜の顔がみるみる紅く染まる。


「月島千紗……貴様、なんてはしたない女なの!?恥を知りなさい!」


だが、千紗は一歩も引かない。


「恥? あら、事実を言ったまでよ?

 刹夜さまとは毎晩よ。朝まで何度も求められて、愛されて――ふふ、あんたには分からないでしょけど。

 彼がベッドに入ってくれる日が来たら、そのときに私のところへ自慢に来れば?」


「この――!」


怒りに震える花怜。

だが、千紗は勝ち誇ったように言い放つ。


「ここは私の家よ。出ていってちょうだい。警察呼ぶわよ?」


「……ふん、そんなに得意げになっていられるのも今のうちよ。すぐに刹夜は、あなたなんかに飽きるんだから。

 女なんて、あんたよりマシなやつ、いくらでもいるんだから!」


悔しさを滲ませながら、花怜は屋敷を後にした。


激しい口論のあと、千紗もどっと力が抜け、ソファに崩れ落ちる。

しばらく呆然と座ったまま、ようやくスマホを手に取って、刹夜に電話をかけた。


――海外に行ったって本当?

……でも、自分には何も言わなかった。

もしかして、心配させたくなかったのかも?


けれど、電話の向こうから流れたのは無情なアナウンス。

「申し訳ありません。おかけになった電話は、現在おつなぎできません……」


そのころ刹夜は、まだ専用機の上空にいた。

通信は遮断されており、繋がるはずもなかった。


それでも諦めきれない千紗は、ボイスメッセージを残す。


「刹夜さま、私だよ?お仕事で出張なの? 

 一言くらい、教えてくれてもいいじゃない……。本当に、心配してるんだからね。


 さっきね、徳川花怜が来て、すっごく意地悪なこと言われたの。

 “ここから追い出す”って……でも、この家、私のだよね?刹夜さまがくれたんでしょ? お願い、そうだって言って……」



――毎晩抱いてくれた男。

――あんなに優しかった彼が、自分を愛してないはずがない。


この屋敷くらい、きっとくれるはず。

千紗はそう信じていた。



一方そのころ――町では。


鈴羽の失踪は、大家と大空に大きな衝撃を与えていた。

警察にも届けたが、手がかりはゼロ。


姉妹二人が、まるで消えたかのように、跡形もなくなっていた。


町には監視カメラも少なく、

しかも相手が刹淵組ともなれば、どんな足跡だって容易に消される。


別荘では――

神楽坂流河の拒食症が再発し、何も食べられず、水を飲んでも吐いてしまう。

しかも今回は、強い躁状態も伴っていた。


部屋の中はめちゃくちゃ。

高級な美術品もすべて床に叩きつけられ、粉々に砕けている。

家具も壁も壊され、動かせるものはすべて破壊されていた。


その姿は、まるで――

狂気に取り憑かれた獣。


「……坊ちゃま、申し訳ありません……。できる限り探しましたが、彼女の痕跡は見つかりません……」


流河の目は、底知れぬ闇を湛えていた。


「生きた人間が、跡形もなく消えるわけがない。半径百キロ、どこだろうが掘り返してでも探せ。生きているなら連れてこい。死んでるなら……死体でもいい」


フィエルは驚き、言葉を失う。

――たかが介護人の一人に、なぜそこまで執着するのか。


まだ来て数日しか経っていないのに。

彼女のどこに、そこまで惹かれたのか。


「坊ちゃま……」

何か言いかけた彼女を、流河が冷たく遮った。


「――余計な口出しをするな。言う通りにしろ。僕が欲しいのは……彼女だけだ」


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