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第60話 踊り子と甘い戯れ


「ええ、そうです」


九条刹夜は臆することなく、堂々と認めた。

――どうせ、砂川彰に隠し通せることではない。


「聞きましたよ。あのキムとかいう奴、あなたにボロボロにされたとか」


砂川彰は笑みを浮かべながら、まるで他人事のように話す。


「まあ、あれはうちの弟が馬鹿だった。大正グループの坊っちゃんとつるむなんて、ろくなことにならないのにさ」


「弟さんは我が刹淵組の大切なお客様です」


刹夜はあくまで冷静に返す。


「大正グループが勝手に口を挟んできたのは義理を欠いた行為。少しばかりのお仕置きは我々にとって当然だと思います。だからあのガキの耳を切り落として、砂川さんへの贈り物にしました」


そう言って、わざとらしく砂川彰の顔を見た。


彰ももちろんすべてを知っていた。

自分からこの話題を出したのも、それを確認するため。


――この場面で取り繕ったら、それこそ裏があると見なされる。

だから刹夜は、真っ向から認めるという選択をしたのだ。


「ふむ……弟から聞きましたよ」


砂川彰は頷く。


「やはり、極道たるもの――躊躇なく手を下すべきだ。あなたの判断は正しい」


だがその直後、彼は声色をほんの少しだけ低くし、続けた。


「ただね……うちの弟を殺したのがベトナム人の女だって話、知ってますかい?」


刹夜は表情を変えずに頷く。


「多少は。……弟さんがお亡くなりになったこと……本当に、残念です。


父もいつも、砂川さんはリーダーの器だと褒めていました。

ゴールデントライアングルとの関係を深めたいと考えておりまして、機会があれば、お二人ともに刹淵組にご招待しようと思っていたところでしが、まさかこんなことに……。本当に、世の中は分からないものですね。ご愁傷さまです」


「……ありがとうございます」


彰は、しばし遠くを見つめるように目を細めた。


「……うちの弟は、確かにロクでもない奴だった。

でも……あいつは子どもの頃、何度も俺の命を救ってくれたんだ。

俺が飢え死にしかけてる時、あいつはボロボロになりながら食いもんを盗ってきてくれてな……。だから」


ここで、砂川彰の視線が刹夜に戻る。


「俺は必ず、あいつの仇を討つ。殺した奴は――絶対に、許さない」


刹夜は静かに頷いた。


「ま、飯の席で暗い話はよそう。さあさ、我らゴールデントライアングル自慢の料理、ぜひ味わってください」


再び笑顔を取り戻し、食事が続けられた。

酒も入り、場の空気は次第に柔らかくなっていく。


そして――

宴もたけなわとなったころ。

どこからともなく、ベールをかぶった踊り子が登場した。


まっすぐな黒髪。

身体にぴったりと沿う、艶やかな民族衣装。

豊かな胸元が舞のたびに揺れ、男たちの視線を惹きつける。


鈴羽は、ふと横目で刹夜の表情を盗み見る。

……彼は特に反応していないようだった。


九条刹夜は女遊びをするようなタイプではないことを、鈴羽は知っていた。

この歓楽街のほとんどは刹淵組の縄張りだが、色恋沙汰の噂はほとんど聞いたことがない。


けど、彼は鈴羽にだけ執着し、決して手放そうとしない。


踊り子の腰につけられた鈴がカランカランと甘やかに鳴った。


軽やかなステップで刹夜のもとへと近づき――

くるりと一回転すると、そのまま彼の膝の上に座り込んだ。


「九条様、どうぞごゆるりと」


砂川彰が笑いながら茶化す。


――断れない。

これは彰が用意した特別な余興。

拒めば、相手の顔を潰すことになる。


踊り子は、艶やかな笑みを浮かべながら、口にくわえたワイングラスをそっと刹夜に差し出した。

その仕草は、どこまでも妖艶で――意図的に男の欲望をくすぐる。


刹夜は無表情のまま飲み干した。


だが、強い香水の匂いに思わず吐き気を覚える。

化粧品などの匂いが何より苦手なのだ、とくにこういう濃いタイプは。


踊りが終わり、艶やかな誘惑も幕を下ろす。

だが、踊り子の女は名残惜しげに刹夜の首に腕を絡ませた。


「あなた、きっと私の味が好きになるわ……少しだけ、味見してみない……?」


――甘く響く英語。

そう言いながら、彼女は意図的にベールを持ち上げ、素顔をちらりと見せつける。


鈴羽はその顔をはっきりと見た。


確かに、東南アジアの地元女性とは思えない――

タイとヨーロッパのハーフだろうか?

まるで今、人気絶頂のタイの女優のような美貌。


名残惜しそうに身を離した彼女に、砂川彰が問う。


「九条様、今夜の演出……ご満足いただけましたか?」

「……ええ。ありがとうございます」

「そろそろ遅い時間ですし、ホテルまでお送りしますね」


――こうして、再び部下の手引きでホテルに戻ることとなった。


道中、鈴羽は何も言わず、慎重に彼の後ろをついていく。

エレベーターに乗り込んだあと、ようやく彼女が口を開いた。


「……さっきの人、あなたに敵意を持っているみたい」

「ほう? どうしてそう思った?」


九条刹夜は胸元のシャツのボタンを緩めながら、尋ね返す。


「勘、かな。目つきが……何かを疑ってるように見えた」


英語が堪能ではない鈴羽だったが、表情の読解はできる。


刹夜はそれ以上は何も言わなかった。

砂川彰は、試しているのか、それとも疑っているのか。


どちらにせよ、油断はできない。

一つのミスが命取りになる。


本来なら、あと1〜2年待ってから動くべきだった。

そうすれば、疑いを招かずに済んだはず。


だが、我慢できなかった。


あの大男が鈴羽をあのまま殺していたかもしれない――

その怒りが理性を超えた。


だから、第三国で殺し屋を使い、砂川を消すことを選んだ。


殺し屋は今も逃走中。

5百万ドルの懸賞金がかけられているにも関わらず、今も行方は掴めていない。


殺し屋が捕まらない限り、刹夜が関与しているとは誰にも断定できないはずだ。



ホテルに戻ると、部屋の前でボディーガードたちがきちんと敬礼した。


「若」

「ああ、外で見張っておけ。全員、気を抜くな」

「はっ!」


数人のボディーガードが即座に部屋の外に出された。


「お前は……」


刹夜は鈴羽を指差した。


「中には入りません。私はリビングでいいです。ソファもありますし」


刹夜に触れられるのが怖くて、鈴羽は慌てて口にした。


「……好きにしろ」


刹夜はそれ以上言わず、やや苛立った様子で寝室へと入っていった。


彼は、彼女が妊娠していることを知っている。

だから決して手を出すつもりはない。


――だが、それでも。

常に自分を拒絶し、恐れ、避けようとする彼女の態度には、どうしようもない苛立ちが湧いてくるのだった。



その頃――

とある町の温泉付き別荘。


神楽坂流河のもとに、一人の私立探偵が現れる。


「神楽坂様。重要な情報を掴みました」

「ほう……?」


銀髪の男は、赤ワインのグラスをくるくると回しながら、気怠げに微笑む。


「月島さんが失踪する直前――病院で検査を受けていました。その結果が……妊娠されてるようでした」


――ガシャッ!

手にしていたワイングラスが、床に落ちて粉々に砕けた。


妊娠……!?


「……間違いないのか」

「はい。何度も確認しました。妊娠四週目だそうです」

「……ふん、ますます面白くなってきたな」


流河がこれまで興味を持った唯一の女性が、約束をすっぽかしたばかりか――

すでに妊娠していたとは?


つまり、町に来る前からすでに妊娠していたということか。


「誰の子か調べろ。それと……彼女の居場所を見つけたら、即座に連れて来い」


その言葉に宿るのは、所有欲とも、復讐心ともつかぬ、歪んだ熱。


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