「ええ、そうです」
九条刹夜は臆することなく、堂々と認めた。
――どうせ、砂川彰に隠し通せることではない。
「聞きましたよ。あのキムとかいう奴、あなたにボロボロにされたとか」
砂川彰は笑みを浮かべながら、まるで他人事のように話す。
「まあ、あれはうちの弟が馬鹿だった。大正グループの坊っちゃんとつるむなんて、ろくなことにならないのにさ」
「弟さんは我が刹淵組の大切なお客様です」
刹夜はあくまで冷静に返す。
「大正グループが勝手に口を挟んできたのは義理を欠いた行為。少しばかりのお仕置きは我々にとって当然だと思います。だからあのガキの耳を切り落として、砂川さんへの贈り物にしました」
そう言って、わざとらしく砂川彰の顔を見た。
彰ももちろんすべてを知っていた。
自分からこの話題を出したのも、それを確認するため。
――この場面で取り繕ったら、それこそ裏があると見なされる。
だから刹夜は、真っ向から認めるという選択をしたのだ。
「ふむ……弟から聞きましたよ」
砂川彰は頷く。
「やはり、極道たるもの――躊躇なく手を下すべきだ。あなたの判断は正しい」
だがその直後、彼は声色をほんの少しだけ低くし、続けた。
「ただね……うちの弟を殺したのがベトナム人の女だって話、知ってますかい?」
刹夜は表情を変えずに頷く。
「多少は。……弟さんがお亡くなりになったこと……本当に、残念です。
父もいつも、砂川さんはリーダーの器だと褒めていました。
ゴールデントライアングルとの関係を深めたいと考えておりまして、機会があれば、お二人ともに刹淵組にご招待しようと思っていたところでしが、まさかこんなことに……。本当に、世の中は分からないものですね。ご愁傷さまです」
「……ありがとうございます」
彰は、しばし遠くを見つめるように目を細めた。
「……うちの弟は、確かにロクでもない奴だった。
でも……あいつは子どもの頃、何度も俺の命を救ってくれたんだ。
俺が飢え死にしかけてる時、あいつはボロボロになりながら食いもんを盗ってきてくれてな……。だから」
ここで、砂川彰の視線が刹夜に戻る。
「俺は必ず、あいつの仇を討つ。殺した奴は――絶対に、許さない」
刹夜は静かに頷いた。
「ま、飯の席で暗い話はよそう。さあさ、我らゴールデントライアングル自慢の料理、ぜひ味わってください」
再び笑顔を取り戻し、食事が続けられた。
酒も入り、場の空気は次第に柔らかくなっていく。
そして――
宴もたけなわとなったころ。
どこからともなく、ベールをかぶった踊り子が登場した。
まっすぐな黒髪。
身体にぴったりと沿う、艶やかな民族衣装。
豊かな胸元が舞のたびに揺れ、男たちの視線を惹きつける。
鈴羽は、ふと横目で刹夜の表情を盗み見る。
……彼は特に反応していないようだった。
九条刹夜は女遊びをするようなタイプではないことを、鈴羽は知っていた。
この歓楽街のほとんどは刹淵組の縄張りだが、色恋沙汰の噂はほとんど聞いたことがない。
けど、彼は鈴羽にだけ執着し、決して手放そうとしない。
踊り子の腰につけられた鈴がカランカランと甘やかに鳴った。
軽やかなステップで刹夜のもとへと近づき――
くるりと一回転すると、そのまま彼の膝の上に座り込んだ。
「九条様、どうぞごゆるりと」
砂川彰が笑いながら茶化す。
――断れない。
これは彰が用意した特別な余興。
拒めば、相手の顔を潰すことになる。
踊り子は、艶やかな笑みを浮かべながら、口にくわえたワイングラスをそっと刹夜に差し出した。
その仕草は、どこまでも妖艶で――意図的に男の欲望をくすぐる。
刹夜は無表情のまま飲み干した。
だが、強い香水の匂いに思わず吐き気を覚える。
化粧品などの匂いが何より苦手なのだ、とくにこういう濃いタイプは。
踊りが終わり、艶やかな誘惑も幕を下ろす。
だが、踊り子の女は名残惜しげに刹夜の首に腕を絡ませた。
「あなた、きっと私の味が好きになるわ……少しだけ、味見してみない……?」
――甘く響く英語。
そう言いながら、彼女は意図的にベールを持ち上げ、素顔をちらりと見せつける。
鈴羽はその顔をはっきりと見た。
確かに、東南アジアの地元女性とは思えない――
タイとヨーロッパのハーフだろうか?
まるで今、人気絶頂のタイの女優のような美貌。
名残惜しそうに身を離した彼女に、砂川彰が問う。
「九条様、今夜の演出……ご満足いただけましたか?」
「……ええ。ありがとうございます」
「そろそろ遅い時間ですし、ホテルまでお送りしますね」
――こうして、再び部下の手引きでホテルに戻ることとなった。
道中、鈴羽は何も言わず、慎重に彼の後ろをついていく。
エレベーターに乗り込んだあと、ようやく彼女が口を開いた。
「……さっきの人、あなたに敵意を持っているみたい」
「ほう? どうしてそう思った?」
九条刹夜は胸元のシャツのボタンを緩めながら、尋ね返す。
「勘、かな。目つきが……何かを疑ってるように見えた」
英語が堪能ではない鈴羽だったが、表情の読解はできる。
刹夜はそれ以上は何も言わなかった。
砂川彰は、試しているのか、それとも疑っているのか。
どちらにせよ、油断はできない。
一つのミスが命取りになる。
本来なら、あと1〜2年待ってから動くべきだった。
そうすれば、疑いを招かずに済んだはず。
だが、我慢できなかった。
あの大男が鈴羽をあのまま殺していたかもしれない――
その怒りが理性を超えた。
だから、第三国で殺し屋を使い、砂川を消すことを選んだ。
殺し屋は今も逃走中。
5百万ドルの懸賞金がかけられているにも関わらず、今も行方は掴めていない。
殺し屋が捕まらない限り、刹夜が関与しているとは誰にも断定できないはずだ。
*
ホテルに戻ると、部屋の前でボディーガードたちがきちんと敬礼した。
「若」
「ああ、外で見張っておけ。全員、気を抜くな」
「はっ!」
数人のボディーガードが即座に部屋の外に出された。
「お前は……」
刹夜は鈴羽を指差した。
「中には入りません。私はリビングでいいです。ソファもありますし」
刹夜に触れられるのが怖くて、鈴羽は慌てて口にした。
「……好きにしろ」
刹夜はそれ以上言わず、やや苛立った様子で寝室へと入っていった。
彼は、彼女が妊娠していることを知っている。
だから決して手を出すつもりはない。
――だが、それでも。
常に自分を拒絶し、恐れ、避けようとする彼女の態度には、どうしようもない苛立ちが湧いてくるのだった。
*
その頃――
とある町の温泉付き別荘。
神楽坂流河のもとに、一人の私立探偵が現れる。
「神楽坂様。重要な情報を掴みました」
「ほう……?」
銀髪の男は、赤ワインのグラスをくるくると回しながら、気怠げに微笑む。
「月島さんが失踪する直前――病院で検査を受けていました。その結果が……妊娠されてるようでした」
――ガシャッ!
手にしていたワイングラスが、床に落ちて粉々に砕けた。
妊娠……!?
「……間違いないのか」
「はい。何度も確認しました。妊娠四週目だそうです」
「……ふん、ますます面白くなってきたな」
流河がこれまで興味を持った唯一の女性が、約束をすっぽかしたばかりか――
すでに妊娠していたとは?
つまり、町に来る前からすでに妊娠していたということか。
「誰の子か調べろ。それと……彼女の居場所を見つけたら、即座に連れて来い」
その言葉に宿るのは、所有欲とも、復讐心ともつかぬ、歪んだ熱。