鈴羽はずっとおとなしくしていたのに、急に反抗的になったのがちょっと面白かった。
それに、その反抗はただご飯を作ってくれないだけだし。
刹夜もその程度で怒るわけがない。
彼が本当に怒るのは、彼女が逃げようとしたり、離れようとしたり、自分を大事に思っていないと感じた時だけだ。
「はいはい。でもホントに腹減ってんだ」
「外で豪華なディナーでも食べたんじゃないですか」
鈴羽は少し意地になった口調で言った。
刹夜はその言葉に一瞬驚いた顔を見せた。
「そんな目で見ないでくださいよ。別に尾行したわけじゃないんですから。……ニュースで見たんですっ」
鈴羽が言い終わると、リモコンでテレビをつけた。
ニュースチャンネルでは、彼と女性歌手とのディナーが取り上げられていた。
『――今夜、刹淵組の若頭・九条刹夜氏が歌手・星宮恋夏氏と共にディナーをしているところがキャッチされた。
刹淵組が彼女を他の組織から救ったという噂があり、その後二人の関係が取り沙汰されている。
交際しているかは不明で、星宮氏本人は肯定も否定もしておらず、刹淵組側もコメントはありません。続報をお待ちください』
このニュースが注目を集めた理由は、もちろん九条刹夜自身の手によるものだった。
彼は徳川花怜に見せつけるために仕掛けたのだが、
予想に反して、鈴羽がそのニュースに気にしている様子だった。
「なるほど……つまり俺が他の女と食事してるのが気に入らなくて、嫉妬したんだー」
刹夜はその口元を少し緩め、どこか得意げに言った。
図星を突かれ、鈴羽は途端に落ち着かなくなる。
「ちがうし!嫉妬なんてするわけないんじゃないですか!私……別にあなたと何の関係も……」
鈴羽が顔を背けようとしたその時、刹夜は一気に歩み寄り、彼女を無理矢理抱きしめた。
「ちょっ、なにするんですか!」
鈴羽は驚いて声を上げた。
「作ってくれないなら……キス、するぞ」
刹夜はそう言うと、鈴羽の唇を強引に奪った。
久しぶりに感じるその感覚が、一気に胸に押し寄せてくる。
実は刹夜だけでなく、鈴羽もまた、彼に近づく度に特別な匂いをほんのりと感じていた。
香水のようなものではなく、男特有の汗の匂いに近い……。
うまく言えないが、ネットで調べたところ「フェロモンの香り」だとか。
でも、なぜか不思議なことに、
他の男性といる時には全く感じなかった。
以前のパン屋の大空や、別荘で一緒だった神楽坂流河といるときには、全く感じなかった。
十数秒にも及ぶキスで、鈴羽の頭は真っ白になる。
刹夜を押し離し、息を荒げながら彼を見上げる。
「……どう? まだ飯作る気ないなら、これ以上キスしてほしいってことだよな。
俺は全然続けても構わないけど……一応言っておく。
俺も普通の男だからな。これ以上キスしたら、もっと進んじゃうかもなー」
言いながら、彼は自分のベルトをゆっくりと解き始めた。
もちろん、彼はただ鈴羽をからかっているだけ。
鈴羽が妊娠していることを知っているから、無茶なことはしない。
しかし、鈴羽はそれを知らず、本気だと思い込み、慌てて後ずさる。
「ちょっ、待ってよ! 作るから! 作ればいいんでしょ……!」
「ふん。はよ行って来い。じゃないと……」
「……っ!」
鈴羽はすぐさまキッチンへ駆け込んだ。
まるでウサギのように慌てて走る鈴羽の姿に、刹夜は思わず笑みを浮かべた。
しばらくして、彼はふと気づいた。
自分は生まれてから、あまり笑ったことがなかった。
組や家の中でも、両親や他の人といても、笑うことはなかった。
でも、鈴羽と一緒にいると、不思議と心からリラックスできる。
彼女には、なぜかそんな魔力があるような気がする。
30分後、鈴羽は料理を持って出てきた。
熱々のラーメンだった。
「食材があまり揃ってなくて、ちゃんとしたのは作れませんでしたけど……まあ、我慢してください」
鈴羽は本当に適当に作ったつもりだった。
それでも、彼女の手料理は刹夜にとって特別だ。
一緒に暮らしていた一年間、何度も食べてきた。
決して絶品というわけではないけれど、どこか温かくて、忘れられない味。
刹夜は黙ったままダイニングに座り、ラーメンを食べ始めた。
食べ方はとても上品で、ゆっくり静かだった。
鈴羽は、ついその顔をじっと見つめてしまう。
くっきりとした顔立ち、完璧な容姿。
しかもスタイルも良く、ファッションセンスも抜群だ。
どんな服を着ても、絶妙に似合っている。
「そんなに見てどうした? あー、もしかしてさっきので欲しくなった?」
「ち、ちがう!勝手に言わないでください!」
鈴羽は顔を真っ赤にして反応する。
「じゃあじーっと見ないで、さっさと水を持って来い」
鈴羽は急いでキッチンに向かい、速やかに水を持ってきた。
そのラーメン、刹夜は満足げに食べ終えた。
そして、食べ終わった後も帰る気配はなく、そのまま鈴羽のベッドに上がり込んだ。
鈴羽は呆れて、今夜は他の部屋で寝るつもりで寝室を出ようとする。
「待て」
「な、なんですか」
「一緒に寝ろ」
鈴羽は少し怒り気味に言った。
「九条さん、私はあなたの添い寝係ではありません。勘違いしないでください」
「……とにかく今夜は一緒に寝ろ」
鈴羽がまだ何か言おうとしたその時、刹夜が再び口を開いた。
「別に何もしない……ただ寝るだけ。お前が望まない限り、俺は手は出さないから」
「……っ。望んだりしませんよ……」
鈴羽は小声でぶつぶつ言いながらも、さすがにそれ以上は逆らえず、
変なことをされるのが怖くて、ベッドに戻った。
妊娠初期は無理をするとダメだと、鈴羽も分かっていた。
無言のまま、そっと隣に横になった。
思えば、こうして一緒に何もせず寝るのは久しぶりだった。
以前も、生理の日は刹夜が何もせず、ただ一緒に寝てくれていた。
あの静かな日々は、もう随分昔のことのように思える……。
ベッドに入って間もなく、刹夜の大きな手がそっと鈴羽の腰に回された。
心臓が跳ね上がる。
けど次の瞬間、隣からは静かな寝息が聞こえてきた。
とても穏やかで、ぐっすり寝ているようだった。
鈴羽はそっと顔を向けると、彼は本当に眠っていた。
思わず、ほっと息をつく。
鈴羽は両手を、自分のまだ平らなお腹にそっと当てた。
今日、彼女は急に決意を変えた。
もう、この子を諦めたくない。
いつかチャンスを見つけて、刹淵組からも九条刹夜からも離れるつもり。
そして、誰も知らない場所で、この子を産んで育てたい。
だって、これから先、九条刹夜ほどの男にはもう出会えない気がしたから。
父親がこれだけ格好いいなら、きっと子どもも可愛く生まれてくるに違いない。
どんな気持ちであれ――
鈴羽は、この子を残したいと思った。
「ねぇ、刹夜さん……あなた、実はもうすぐパパになるんだよ」
小さな声で、そっと呟いた。
隣で眠っていた男のまつげが、かすかに動いた。