真希が姿を消して十五日目、ついに拓海の元に真希の情報が届いた。
彼女は第一病院に現れたらしい。
病院?何かあったのか、体調でも崩したのか?
拓海はすべての仕事を投げ出し、急いで第一病院へ車を走らせた。
晩秋の風が冷たさを増している。真希は長いコートを羽織り、病院の前に立つ。
車が急ブレーキで停まり、拓海が車のドアを開けて大股で彼女のもとへ駆け寄る。
真希は口元に微笑みを浮かべた。
待っていた人が、ついに来た。
「真希!」
彼女はひんやりとした香りのする腕の中に飛び込んだ。
拓海はシャツ姿のまま駆けつけ、その鋭い目は真希の青白い顔を映し出している。
唇を噛みしめ、声を震わせて言った。
「どこに行ってたんだ?この間、どこで何をしてた?」
真希は軽く笑いながら尋ねた。
「それ、関係ないでしょう。拓海。」
鋭く言い返され、拓海の顔色が少し険しくなる。
それでも彼は彼女の肩を離さず、さらに詰め寄った。
「教えてくれ、あの日何があったんだ?」
真希の目が赤くなりかける。
「気にしてるの?」
その瞳から深い哀しみがあふれ出す。
「本当に私に何があったか、気にしてくれるの?」
「もちろんだ。」
彼の視線は真剣そのものだった。
「じゃあもし、あの日、小雪が私を殺そうとしたって言ったら、信じる?」
長い沈黙のあと、拓海は口を開いた。
「それは……何かの誤解じゃないか……」
誤解、誤解――やっぱりこの人は小雪を疑わないんだ。
「あなたが誤解だと言えば、それでいいんでしょう。」
真希はもう彼と無駄な会話を続ける気もなかった。
何年も前から、拓海は小雪だけを信じ、彼女をかばい続けてきた。
それが当たり前になってしまった。
この習慣を壊すのは簡単ではない。
一歩ずつ進むしかないのだ。
真希はひとりで歩き出した。
拓海も彼女のあとをぴったりと追いかける。
彼女が車に乗り込むと、拓海も助手席に滑り込んだ。
真希は苛立ちを隠さず言った。
「なぜまだ私に関わろうとするの?私が死ねば、あなたたちの思い通りじゃない?」
拓海は黙り込み、突然彼女の手をつかんだ。
「真希、俺が悪かった。」
――聞き間違い?
拓海が謝るなんて?
「俺が悪かった。君を傷つけるべきじゃなかった。」
拓海は気づいていた。目の前の真希は、もう以前の真希ではないことを。
彼女が現実を受け止めた今、ふたりの関係は元に戻ることはない。
真希はすぐに自分から離れてしまう。そんなの嫌だ、真希を失いたくない。
あの日、小雪に「真希とちゃんとやり直したい」と告げたのは、本心だった。
真希がいなくなった間、拓海は苦しみ、悩み、もし本当にこの世から真希が消えたら自分はどうなるのか、と何度も考えた。
その時、やっと自分の本当の気持ちに向き合ったのだ。
知らず知らずのうちに、彼女を好きになっていた。
「もう一度、最初からやり直せないか?」
真希は動きを止め、震える声で言った。
「自分が何を言ってるか、分かってるの?」
「はっきり分かってる。真希、君の勝ちだ。俺は君を好きになってしまった。」
真希は彼を見つめ、やがて涙が頬を伝った。
「皮肉ね拓海。私が離れる時に、好きだなんて言われても……じゃあ、今まで私が受けた傷はどうなるの?全部なかったことにされるの?私はあなたに傷つけられて当然、小雪にいじめられて当然だったの?」
拓海は息を詰まらせる。
慌てて彼女の涙をぬぐおうとした。
「全部俺が悪い。君が望むなら、どんな罰でも受ける。」
「そう……じゃあ――」
真希は彼の手を振り払い、涙を拭い、病院の入口を見つめた。
「昔、ここであなたのボディガードに押さえつけられて、百回も平手打ちされたの。今度はあなたがあそこで立って、自分を百回叩いてみてよ。」
拓海は真希をじっと見つめ、しばらくしてからうなずいた。
「わかった。」
彼は車のドアを開けて病院の入口に向かった。
あまりにも目立つ男が突然入口に立ち止まり、人々の視線を集める。
次の瞬間、彼は自分の頬を思いっきり平手打ちした。
辺りにいた人々はみな驚いている。
「ごめんなさい。」
と言いながら、もう一度自分を叩く。
一回叩くごとに「ごめんなさい」。
車の窓越しに、二人の視線がぶつかる。
真希には分かった。拓海は本気で自分を責めている。
だけど、壊れた鏡は、どれだけ同じものを買い直しても、もとの鏡には戻らない。
彼が五十回目に近づいた時、真希は自分の太ももを強くつねって、涙をこぼした。
そして車のドアを開け、ふらつきながら拓海へ駆け寄った。
「もうやめて、お願い、やめて!」
拓海は真希を抱きしめた。頬は真っ赤に腫れている。
「まだ四十九回だ。あと五十一回残ってる。ちゃんと全部終わらせてから許してくれ。」
真希は彼の手をつかみ、必死に首を振った。
「もういい。許す、許すから。」
拓海は真希をしっかりと抱きしめた。
「本当?」
真希はうなずき、彼の胸に顔を埋めて冷たい視線を隠した。
拓海と一緒に家へ戻る。
真希はこの庭を見渡し、記憶をたどった。ここに戻ったのは二度目の記憶が混乱した時。数日間、夫婦のふりをして過ごした場所だ。
確かに、拓海が自分に感情を持つようになったことは感じていた。でも、それはもう遅い。
彼が小雪と一緒にやったこと――小雪が全ての元凶であり、拓海もその手先だった。決して許さない。
二人とも、必ず破滅させてみせる。
拓海が案内したのは、以前と同じ主寝室だった。
「疲れてない?少し休む?」と彼は真希の前にしゃがみこんだ。
真希は首を振る。
「大丈夫。顔を冷やしてあげる。」
心配そうな顔でそっと彼の頬に触れようとするが、拓海の方から手を彼女の手にすり寄せてきた。まるで従順な子犬のように。
「ゆっくり休んでて。俺が自分でやるよ。」
拓海は足取り軽く部屋を出て行った。
真希は心配そうな表情を消し、無表情に戻ると、スマホを取り出し、小雪だけが見られるポストを投稿した。
――すべて、ここから始まる。
小雪、期待を裏切らないでよ……
ホテルを出た小雪はそのポストを見て、怒りで震えた。
見覚えのある背景――拓海の家だ。
以前、拓海になぜこの家を買ったのかを尋ねたことがあった。
彼は「君の成人のお祝いに、大人になったら渡す」と答えた。
けれど、小雪は成人直後に海外に送られ、その話も流れてしまった。
帰国してからは真希との戦いに夢中で、この家のことはすっかり忘れていた。
まさか今になって、拓海が真希を住まわせているとは――。
あの日、拓海は本気だったのだ。真希とやり直すつもりなのか!
小雪は怒りに任せてハンドルを叩きつけた。
そして、我を失ったまま車を走らせ、屋敷へと向かった。