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第46話

拓海が寝室に入ると、真希はすでに眠っていた。

ベッドの上で横向きになり、穏やかな顔で静かに寝息を立てている。

拓海はじっとその寝顔を見つめ、思わず見惚れてしまった。


結婚した当初、周囲はみな拓海を羨ましがったものだが、彼自身はそういうのを軽薄だと思っていた。

彼にとって大事なのは容姿ではなく、心が響き合うかどうかだ。

だが今、彼はどこを見ても真希が愛おしくて仕方がない。

小さな鼻も、青白い唇も、病的なほどのその白ささえ、彼の目にはかけがえのない愛しさに映った。


拓海はそっと近づき、ベッドの脇にしゃがみ込むと、唇で真希の額にそっとキスを落とし、眉間、瞼、鼻先、唇へと優しく触れていく。

その時、真希が寝ぼけたように小さく声をもらした。拓海の心に火がつく。

彼は彼女の唇に視線を落とし、さらに顔を近づけようとした。


「何してるの!」

突然の叫び声が部屋の空気を一気に冷やした。


真希が不安そうに身じろぎしたので、拓海はすぐに手を伸ばし、彼女の背中を優しく撫でて、静かな声で寝かしつける。

その姿がさらに小雪の怒りを煽った。


小雪は部屋に入ってきて、拓海を掴もうとしたが、彼の鋭い視線に圧倒されて一歩引いた。


真希が再び静かになったのを見届けると、拓海はそっと部屋を出て、慎重にドアを閉めた。その一つ一つの動作に、まるでこの部屋が何より大切な宝物でもあるかのような慎重さが感じられた。


ドアが閉まった瞬間、ベッドの上の真希がゆっくりと目を開けた。

彼女は最初から眠ってなどいなかった。

ただ、拓海にかまうのが面倒で寝たふりをしていただけだ。

まさか彼がキスをしてくるなんて思わなかったし、小雪がちょうど入ってくるなんて予想外だった。きっと小雪は怒り心頭だろう。

でも、これが始まりに過ぎない——。


真希は起き上がり、ティッシュで拓海にキスされた部分を丁寧に拭きながら、廊下の音に耳を澄ませた。


「どうして来たんだ?」

小雪は目を真っ赤にしていた。自分を責めているのだろうか?

今や、彼はこんな風に小雪に話しかけるようになってしまった。

かつては、彼女が少しでも体調を崩すと一晩中でも看病してくれたのに。


「お兄ちゃん、この屋敷は私にくれるって、そう言ったよね?それなのに、どうしてあの人を住まわせるの!」

小雪は閉まったドアを指さした。


拓海も、その約束をしていたことを思い出した。

すっかり忘れていたのだ。


「好きな屋敷があれば、何でも選んでいい。兄さんが買うから。」

前に真希を連れてきた時、真希がこの家をとても気に入っていたこと、そして彼女のために医療器具を揃え、リフォームもしたことを思い出した。

真希がここに住むのが一番いい。

小雪には同じくらいの価値の家を買ってあげればいい——でも、この家だけは真希のものだ。


「嫌だ!私はこの屋敷がいいの。あの人を追い出して!ここは私のものなのよ!」

他の家なんて、ここには到底かなわない。

この場所はお金で買えるものじゃない、まさに地位と誇りの象徴だ。

ここに住んでこそ、彼女は江藤家の令嬢であり、拓海の大切な存在なのだ。絶対に譲れない!


「小雪!」

白いワンピースを着た妹の表情は、もはや純粋さとはほど遠い、歪んだものだった。

大きな目も、今にも飛び出しそうな勢いで彼を睨みつけている。


これが本当に、昔の可愛くて素直だった妹なのか。

小雪の最近の変わりようは、きっと自分が傷つけてしまったせいでもある。

悲しみや興奮、過ちも仕方がない——だからこそ、彼は彼女を責めるつもりはなかった。


「もし周りの屋敷が売りに出たら、すぐに買ってあげるよ。それでいいだろう?」

「嫌、絶対に嫌!」小雪は激しく首を振った。

「お兄ちゃん、どうして、どうして今は……」


人の心は一人しか入らない。昔は小雪、今は真希。

どちらか一人を選ばなければならないのだ。


「このことだけは、兄さんは譲れない。」

「じゃあ彼女と別れてよ!」

「それもできない……」

「嘘つき!嘘つき!」

小雪は拓海の胸を叩き続け、彼は抵抗せず、黙ってその怒りを受け止めていた。


その時——

バタン、と背後でドアが開いた。


真希はきちんと服を整え、鞄を手に部屋から出てきた。

申し訳なさそうに、「ごめんなさい。小雪、この家があなたのものだとは知らなかったわ。すぐに出ていくから」と言い、足早に部屋を後にしようとした。


拓海はすかさず真希の腕をつかんだ。

「どこに行くんだ?」

真希はその手を振りほどいた。

「家に帰るわ」

「ここが、君の家だよ」


真希は小雪を一瞥し、困ったように言った。

「拓海、私もここが好きだけど……でも、私が住んだら小雪さんが困るでしょう?」

ため息をついて、「あなたを困らせたくないの」と続けた。


一方は相手を思いやり、もう一方は感情をぶつけるだけ——どちらが大切か、拓海の気持ちはすでに決まっていた。


「小雪、もうやめなさい。君には新しい家を用意するから」

小雪は怒りに震え、これまで自分が真希に仕掛けてきた手段を、今度は真希に使われてしまったことに気づき、さらに苛立った。


「兄さん、あの人は全部演技よ!」

「本当かどうか、兄さんにはわかる。もうやめなさい、小雪」

彼の低い声には、明らかに警告の色があった。


理性の糸が切れ、特に真希が勝ち誇ったような視線を向けると、小雪は完全に我を失ってしまった。


この女、絶対に許さない!

——真希はわざとやっているのだ。

小雪が感情を抑えられなくなるのを、見越して仕掛けている。

かつての小雪なら耐えられたし、逆に真希を陥れることもできた。

だが、度重なるショックや、拓海からの冷たい言葉、そしてあの恐ろしい男のこと……

小雪の心はすでに限界を迎えていた。最後の一押しで、彼女は完全に壊れてしまう。

そして、その「一押し」こそが真希だった。


「全部あんたのせいよ!あんたなんかいなければ、兄さんは私に優しかったのに!」

小雪は真希に飛びかかった。


真希は驚いて思わず鞄で防御しようとした。

出来事は一瞬のことで、拓海が小雪を止めようとしたときには、すでに二人は鞄越しに揉み合っていた。

中身が床に散らばる。


真希は拓海の動きを見て、彼が近づいたタイミングで叫び声を上げ、鞄を投げ捨てて拓海の胸に倒れ込んだ。

拓海はすかさず真希を抱きとめる。


「大丈夫か?」

彼は心配そうに真希だけを見て、小雪には目もくれない。


真希は彼の腕の中で、眉をひそめた。

「足捻ったみたい……」


拓海は真希を横抱きにしてベッドに戻し、執事に「薬箱を持ってきて」と指示した。

執事はすぐに薬箱を取りに走った。


廊下には、髪を振り乱した小雪が呆然と立ち尽くしていた。

彼女にとって、世界中が自分を裏切ったような気分だった。

本当は自分こそが拓海に一番愛されるべき存在なのに、優しさも気遣いも、全部自分のもののはずなのに!


怒りと悲しみに体が震える中、彼女の視界に床に落ちた一枚の紙が入った。

その紙には、はっきりと二文字——

「妊娠検査」……


妊娠検査?

小雪は慌てて紙を拾い上げ、名前の欄に「真希」と記されているのを確認した。


真希、妊娠してるの……?

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