ちょうどその時、執事が出てきた。
小雪は慌てて手を背中に隠した。
執事は小雪を一瞥し、お嬢様は今日は少し様子が変だと感じた。
拓海からの指示もあり、執事は余計なことはせず、急いで階下へ薬箱を取りに行った。
小雪の頭の中で様々な思いが駆け巡る。
真希が妊娠している、相手は誰なのか?
拓海なのか、それともあのチンピラたちの……?
検査結果には妊娠が一ヶ月とあり、拓海と真希が関係を持った時期も、不良たちに襲われた時期も、一ヶ月前だった。
小雪は何かに気づいたように、そっと部屋の扉に近づく。中では拓海がベッドのそばにしゃがみ込み、真希の足首を大きな手で優しく包んでいる。
あれほど威厳のある男が、真希の足元にひざまずいている。その姿を見た瞬間、雪の中で拓海への幻想が音を立てて崩れた。
二人の会話を盗み聞きしたが、妊娠については何も話していなかった。きっと拓海はまだ知らないのだろう。
真希が拓海に話していないということは、子どもが拓海のものではないと分かっているのか……
それなら、面白いことになりそうだ。
執事が戻ってきて、ちょうど階段を下りる小雪とすれ違う。
先ほどまで挙動不審だった小雪は、もう何事もなかったかのように、堂々とした足取りで去っていった。
執事は薬箱を拓海に手渡し、小雪はすでに帰ったと伝えた。
拓海は軽く頷き、「彼女の虹彩認証を解除しておいて」と指示する。
この屋敷のドアは、オーナーの虹彩でしか開けられない。
拓海がこの屋敷を手に入れた時、虹彩認証の虹彩も登録していたので、虹彩認証は自由に出入りできていた。
拓海は真希に視線を移す。
「後で、君の虹彩も登録しよう。これからは、ここが二人の家だ。」
そう言いながら、真希の足首を優しくマッサージする。
真希は微笑んで、どこか花が咲くような明るさを見せた。
「あっ、忘れてた。君の体の毒は……」
真希は一瞬黙り込む。その様子に、拓海の心臓が締めつけられる。
まさか、もうコントロールできないほど進行しているのか。
「ちゃんと薬は飲んでるわ。発作も前ほど頻繁じゃなくなった。」
薬を飲んでいるのは嘘で、発作が減ったのは本当だ。
妊娠が分かった日から、真希は薬をやめていた。
この子を産むことはできないと分かっていても、どうしても諦めきれなかった。母性というものなのだろう。
もしかしたら、この子のおかげなのか、以前のように毎日発作が起きることはなく、今は数日に一度、しかもすぐ治まる。
拓海は安心した様子で尋ねる。
「薬はまだあるか?」
真希は頷く。
「あるわ、カバンの中に。」
真希のカバンはすでに使用人が片付けて、執事が持ってきてくれていた。
拓海はバッグを手に取り、見慣れた薬瓶を取り出して数粒を手に取る。
薬は以前と同じものに見えるので、彼も特に疑うことなく、水を用意して真希に手渡した。
真希は素直に薬を飲んだ。
足も十分にほぐれたようだ。
「少し歩いてみて。動けるか?」
そう言って、拓海は真希を支えてベッドから下ろす。
真希はおそるおそる二歩ほど歩き、目を輝かせて言う。
「本当に痛くない、すごいわ。」
拓海はその言葉に胸が震える。
「君にはちゃんと幸せになってほしい。」
真希はじっと彼を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「これがあなたへの最後のチャンスよ。」
拓海は真希を抱きしめる。
「絶対に君を裏切らない。」
しばらく抱き合った後、真希がふいに言った。
「拓海、結婚式を挙げよう。」
結婚して三年、彼は彼女に式を挙げると約束していた。
「いいよ。どんな式がいい?」
真希は彼の胸に寄りかかり、目を遠くに向けた。
拓海にプロポーズされてから、真希は何度も結婚式の場面を想像した。
城の中、空の上、水の中——いろんな場所が浮かんだ。
でも最後は、隣に拓海がいてくれれば、たとえ十畳の部屋でも幸せだと思うようになった。
「華やかな部屋に、バラの花をいっぱい飾って……」
そう言いながらも、その瞳はどこか冷めていた。
「分かった、すぐに準備させるよ。いい日取りが決まったら、すぐに式を挙げよう。」
「日取りは、もう決めてあるの。」
拓海は驚いて真希を見下ろす。
「いつ?」
「半月後が一番いい日よ。」
「急ぎすぎじゃないか?」
盛大な式を用意して、彼女が自分のものだと世界に示したいのに。
「それ以上遅れると雪が降っちゃう。綺麗なウェディングドレスが着たいの、拓海ならできるでしょ?」
その声と信頼に、拓海は心を動かされた。
彼には力も資金もある。半月どころか、一日でさえも、最高の式を用意できる。
真希が結婚式を望んでから、拓海はますます忙しくなった。
「本当に決めたの?」
——また拓海が帰らない夜、電話の向こうで佳穂が心配そうに尋ねる。
「うん。」
真希は冷たいガラスに手を当てて答えた。
「その時は、お願いね。」
もうすぐ雪が降る。
真希は雪が好きだった。
佳穂は涙声で「分かった」とだけ言った。
電話を切ると、真希はベッドに倒れ込み、下腹部に鋭い痛みを感じる。
おなかを抱え、ベッドの上で体を丸める。
ごめんね、ごめんね。
先に行っててね。お母さんもすぐにそっちへ行くから……
嘘はついていない。
治療を始めてから、真希は自分の体調に敏感になり、拓海や医者が何かを隠していると感じていた。
誰にも言わず、こっそり病院に行って検査を受けた。
医者は「このまま解毒できなければ、もう長くは生きられない」と告げた。
特に今は妊娠していることで、毒素の進行が早まっている。
今すぐ子どもを諦めれば、もう少し生きられるかもしれない——そう医者は言った。
でも、真希は拒んだ。
子どもを諦めても、死が遅れるだけ。結局は同じことだと分かっていた。
死ぬことは怖くない。ただ、両親や兄、佳穂のことを思うと胸が痛かった。みんなが知ったら、どんなに悲しむだろう。
真希は目を閉じ、胸の奥の気持ちを言葉にできずにいた。
人は死ぬ前になると、昔のことをよく思い出すものらしい。
記憶の奥に消えかけていた場面が、今は鮮明に浮かぶ。
もしもう一度やり直せても、あの日、拓海に手を差し伸べただろうか。
きっとまた、同じ選択肢を繰り返すだろう。若さのせいで愚かなこともしたと思う。
そして、冷たくされ、無視され、少しずつ心が離れていった。
永遠に、もう縛られることはない。
ぼんやりとした意識の中で眠りに落ち、真希は優しいキスで目を覚ました。
目を開けると、拓海が微笑みながら見つめていた。
「お帰り。」
拓海は真希の鼻先を指でつつく。
「執事が、君が午後ずっと寝ていたと言ってたよ。夕食もまだだろう?好きな料理を作らせたから、一緒に食べよう。」
真希は素直に頷き、拓海に手を引かれて階下へ。
テーブルに並ぶ料理の匂いを嗅いだ途端、激しい吐き気がこみ上げる。
真希は口を押さえてトイレに駆け込んだ。
拓海は慌てて後を追い、真希がひどく嘔吐しているのを見つけた。
「どうした?大丈夫か?」
真希はうがいをして、苛立った目で彼を見る。
拓海は不安げに「まさか……」と口を開く。
真希は首を横に振り、彼の手を取って自分の下腹部にゆっくりと当てた。
拓海の目に驚きが広がる。
「まさか……」
真希は静かに頷いた。
私、妊娠してるの。」