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第48話

拓海は呆然としたまま、手を彼女の平らなお腹の上に置いていた。

まさか、ここに子どもがいるなんて——。


「あなたとの子どもよ。」

真希は恥ずかしそうに顔を上げ、「嬉しい?」と尋ねた。


拓海は、自分が嬉しいのかどうか考える暇もなく、まるで神経が麻痺したように、ゆっくりとうつむいた。

しかし、どうしても「嬉しい」とは言えなかった。


「いつ気づいたんだ?」

声はかすれ、胸の奥に得体の知れない感情が渦巻いた。


「この前、あなたが病院に来てくれたときに知ったの。本当は、黙っておくつもりだった。」


なぜ拓海に黙っていようとしたのか、二人には言葉にしなくても分かっていた。

もし最近の拓海の態度が変わってなければ、きっと彼はまだ知らされていなかっただろう。


結局、真希の妊娠が発覚したことで、その晩の食事は中止となった。


「何か食べたいものはある?」と拓海が尋ねると、真希はさっぱりしたものが食べたいと言い、厨房でお粥を作ってもらった。

食べ終わると、またすぐに眠気が襲ってきた。


拓海は真希が眠るまでそっと見守り、静かに部屋を後にした。


書斎に戻った彼は、巨大な財閥を率いる社長でありながら、インターネットで「妊婦の注意点」を一つひとつ検索し、スマートフォンにメモして、食事や睡眠、水分補給の時間になるとアラームまで設定した。


もし過去にあんなことがなければ、彼はきっと「理想的な夫」だったのだろう。


そのせいか、江藤グループの社員たちは気づき始めた。

ついこの間までピリピリしていた社長が、急に機嫌がよくなり、職場の空気も明るくなったのだ。


そして結婚式の招待状が届くと、皆は納得した。

「なるほど、社長に喜びごとがあったのか」と。


同時に、小雪の元にも拓海と真希が結婚するという知らせが届いた。


「小雪、どういうこと? お兄さん、どうして真希と結婚するの? 二人は別れたんじゃなかったの?」

凛も続けた。

「小雪、あなたが拓海と結婚するって言ってたじゃない。真希さんが何か仕掛けたんじゃないの? 拓海を奪ったとか——」


「絶対そうよ。真希って、欲しいものは手段を選ばず手に入れるタイプだもの。小雪、こんなことで引き下がっちゃだめ。私も凛も応援するから、一緒に真希と戦って拓海を取り戻そう!」


拓海は東京の名家すべてに招待状を送り、海外の取引先にも知らせを届けた。

まるで世間に堂々と宣言するかのようだった。


佐々木春香や木村凛の家にも招待状が届いた。

二人はすぐに小雪のいる病院へと向かった。


小雪は手にした金色の招待状を握りしめ、目には怒りが渦巻いていた。

新婦:江藤真希

新郎:江藤拓海

挙式は十月三十日。

ご臨席を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。


——ふん。

真希もよくやるわ。自分の子どもじゃないのに、拓海と結婚式を挙げるなんて。まあ、せいぜい夢を見ていればいい。どうせすぐにその夢は壊れるのだから——


「分かったわ。この件は私が何とかするから、あなたたちはもう帰って。」

二人がいつまでも話し続けるのが鬱陶しかった。


二人が去ると、小雪は真希に電話をかけた。軽く挨拶してやるつもりだった。


ちょうどその頃、真希は食事を終えて庭で散歩しながら、池の錦鯉に餌をやっていた。


小雪から電話が来るのは予想していたが、思ったより遅かった。

てっきり、小雪なら自分の妊娠を知った時点で、すぐに拓海のところへ行って悪口を吹き込むと思っていた。

待てども小雪は何もせず、仕方なく自分から拓海に妊娠を告げたのだった。


「もしもし。」

真希はスピーカーモードにして、携帯をそばに置いた。背後には江藤家の使用人たちが立っていた。

拓海の命令で、真希に何かあったら困るから、常に付き添うように言われていたのだ。


「まさかあなたから電話が来るなんて、ちょっと意外だったわ。」


小雪は真希の言葉の裏を気にもとめず、ただその言い方に苛立ちを感じた。


「妊娠したって本当?」


真希は餌をやる手を止め、口元に微かな笑みを浮かべた。

「さすが小雪さん、情報が早いですね。」


「いつから?」


「一ヶ月くらい前です。」


小雪の予想通りだった。

「お兄さん、もう知ってるの?」


「知ってるわ。」


——拓海は知っていて、それでも真希と結婚するつもりなのか。

きっと真希が拓海を騙しているんだ。この子どもは拓海の子だと信じ込ませて。

拓海はそういう男だ。冷たく見えても、内心は自信家で独善的。

何でも自分で支配できると思い込んでいるけど、女心は分かっていない。

女は目的のためなら、何年でも自分を偽って、男を手のひらで転がすものなのに——。


小雪は、そんな拓海の性格を見抜き、無垢で従順な妹を演じてきた。

彼に守られ、信頼され、すべてをコントロールされていると思わせてきたが——

本当に優れたハンターは、獲物の顔をして現れるものだ。


しばらく沈黙が続いた。真希は小雪が何かきついことでも言うのかと待っていたが——


「真希、今の生活を大事にしなさい。」


ツー、ツー……。

電話が切れた。


真希は手のひらの餌をすべて池に投げ入れた。

——小雪、行動は早めにお願いね。


「奥さま、ご主人がお戻りです。玄関までお願いします。」


拓海が玄関に立っていた。


真希が入ってくると、拓海は彼女の手を取って、一人分よりも大きな黒いベールで覆われた何かの前まで連れて行った。


後ろから目を覆われ、真希は少し不安そうに眉をひそめた。

拓海が執事に合図を送り、執事がベールをさっと外す。


「見て。気に入った?」


真希は思わず目を見開いた。


ウェディングドレス——。


豪華なクリスタルのショーケースの中、ドレスはライトに照らされて輝いていた。

ふんわりと広がるスカートにはダイヤモンドで星が描かれ、キラキラと眩しかった。


このドレス、真希は昔、国内外のトップデザイナーによるドレスの中で一番気に入っていたものだった。

写真を集めて拓海に送り、彼の意見を聞いたことがあったが、拓海は「忙しいから結婚式は当分しない」と言ったのだった。

その後、このドレスは超高級ブランドのコレクションとなり、展示のみでレンタルもできなくなったと聞き、真希はとても残念に思っていた。


「気に入った?」


真希はクリスタルケースに手を触れた。

——なんて美しいのだろう。

このドレスを着て、愛する人と結ばれたら、どれほど幸せだろう。

私は、本当は一番美しい時期に、美しさも愛も幸せも手に入れられるはずだったのに——


選ぶ相手を間違えたせいで、美しさも、愛も、幸せも遠ざかってしまった。


「どうして泣いてるの?」

拓海は彼女を抱きしめる。


「そんなに嬉しいの?」


真希は頬の冷たい涙に気づいた。

嬉しくて泣いたのではない。

もう二度と、この美しいドレスを着て、一番愛する人と結ばれることはないと分かったから——。


もう、その日が訪れない。


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