この数日、真希は頻繁にSNSに投稿していたが、その投稿はすべて小雪にだけ公開されていた。
結婚式の日が近づくにつれ、小雪もついに行動を起こし始めた。
自分が真希の住む屋敷に入れず、会社にも自由に出入りできなくなったことを知った小雪は、地下駐車場で拓海の車を待ち伏せした。
助手が後部座席で険しい表情の社長を見やりながら、「小雪さんです」と告げる。
拓海は小さく頷いて窓を下ろした。
「こんなふうに車を止めるのは危ないよ」
小雪は窓にしがみつき、今にも泣きそうな声で訴える。
「だって、お兄ちゃんは家にも入れてくれないし、会社にも入れてもらえない。電話も出てくれないし、どうしたらいいかわからなかったの」
かつて想いを寄せた相手だけに、小雪が弱音を吐くと、拓海の心も揺らぐ。
「何の用だ?」
小雪は大きくうなずいた。
「大事な話があって、お兄ちゃんに伝えたいの」
助手と運転手は気を利かせて遠くに離れ、車内には拓海と小雪だけが残った。
「話して」
小雪はどうしても二人きりで話したいようだった。
拓海も、小雪が何を言うつもりなのか気になっていた。
「お兄ちゃん、真希さん、妊娠してるよ」
真希の話題になると、拓海の神経はひどく敏感になる。
「どうしてそれを知ってるんだ?」
小雪は正直に答えた。
「この前、家で真希さんの妊娠検査の結果を拾ったの」
ちょうど、あの日真希と揉めたときのことだ。
拓海は眉をひそめる。
「そのとき、なぜ俺に言わなかった」
「言う勇気がなかったの」
小雪は拓海の手を握りしめ、心配そうに続けた。
「お兄ちゃんが傷つくと思って…」
なぜ自分が傷つく必要がある?真希が妊娠しているのは、自分の子どもなのに、嬉しいはずだ。
「だって、お兄ちゃんの子じゃないんだよ」
……
真希は、今日の拓海の視線にどこか痛みや後悔が混ざっていることに気づいていた。
それも当然だ。
拓海が帰宅する前に、佳穂がすでに小雪を尾行した動画と情報を送ってくれていたのだ。
この間、佳穂は真希のために動いてくれていた。
小雪が拓海の車に乗る様子や、車が揺れている映像まで撮ってくれていた。
その動画だけ見れば、誰もがよからぬ想像をしてしまうだろう。
だが、実際はほんの数分の出来事で、小雪はすぐに車から降りた。服装も乱れておらず、顔色も変わっていない。何もなかったことは明らかだ。
けれど、結果はどうでもいい。大切なのは“過程”なのだから——
今、真希は小雪が拓海に何を吹き込むのかが気になっていた。
「体調が悪そうね?」
拓海は自分の感情の揺れを悟られたことに気づき、湯呑みを手にして一口飲んだ。
「会社のことで少しな。君は早く休んでくれ、俺はまだやることがある」
拓海が書斎に入ったあと、真希はしばらく廊下でその扉を見つめていた。
部屋に戻ると、すぐに小雪にメッセージを送る。
「お兄ちゃんに何を言ったの!」
小雪から返信が来る。
「焦ってるの?怖いの?真実がバレるのがそんなに嫌?真希、お兄ちゃんから離れたら、許してあげるかもしれない。でも、あなたは図々しく結婚式までしようとしてる。絶対に許さない。覚悟しておきなさい、あなたがどこまで耐えられるか見ものだわ」
真希は落ち着いて文字を打つ。
「お願い、私を傷つけないで。私は拓海と結婚するの。本当に彼を大切に思ってるし、愛してる。どうか彼を奪わないで、お願い」
そのあと、小雪からの返信はなかった。
真希は笑みを浮かべ、そのやり取りをスクリーンショットに残した。
そのとき、手首に激しいかゆみが走る。
真希は必死にかくものの、かゆみは全身に広がる。
お腹をそっと撫でながら、「もう少しだから、もう少しだけ頑張ってね……」と心の中で語りかけた。
書斎。
拓海は部屋に入ってから、椅子に座ったまま呆然としていた。
向かい側には慈悲深い仏像が置かれている。
拓海は無意識に数珠を撫でながら、小雪の言葉が頭から離れなかった。
「真希さんはお兄ちゃんを騙してる。お腹の子はあのチンピラたちの子だよ。お兄ちゃん、騙されないで!」
この話を聞いたとき、拓海は受け入れられなかった。
小雪は、拓海と真希が関係を持った時期と、あの事件が起きた時期が重なっていることを指摘した。
さらに、真希がなかなか妊娠を打ち明けなかったのは、自分の子どもではないからだと。
本当にそうなのか?
もし、あの日自分が彼女の異変に気づかなければ、きっとずっと隠していたのかもしれない。
そして、真希があんなに結婚を急いでいるのは、本当にただウェディングドレスを着たいからなのか?
考えれば考えるほど、数珠を回す手が早くなる。
拓海は真希を信じたいと思う。しかし、小雪の言葉が何度も頭の中でこだまする。
真希に問いただしたい。
「お腹の子は誰の子なんだ」と。
だが、同時に恐れていた。あの出来事を思い出させ、過去の自分の過ちを真希に突きつけてしまうことを。
葛藤に引き裂かれ、拓海はこめかみを押さえて頭を抱えた。
ドンドン!
激しくドアを叩く音が響く。
「旦那さま、奥さまが発作を起こしました!」
拓海はすぐに立ち上がった。迷いも悩みもすべて心配と緊張に変わる。
駆けつけると、医師たちが真希を囲んでいた。
再び発作を起こした真希を見ると、胸が締め付けられる。
彼女はベッドの上で身を丸め、まるで小動物のように自分を抱きしめていた。
医師の接近も拒否している。
拓海の姿を見つけると、震える手を伸ばした。
「ダメ、注射はイヤ…子ども…ダメ…」
拓海はその言葉の意味をすぐに理解した。真希は赤ちゃんを守ろうとしていた。
「大丈夫、赤ちゃんはまたできるよ。まずは体を治そう?」
彼は真希の手を握りしめた。その手は大きく震えていた。
一瞬、もしこの子がいなくなったら…という悪い考えが頭をよぎる。
だが、真希は必死にこの子を守ろうとしている。
拓海は視線をそらしたまま、ベッドに上がり真希を抱き寄せる。そして医師に合図を送り、彼女が暴れないよう手足を固定するよう頼んだ。
手足が固定されると、他の人たちを部屋から出してもらった。
拓海は、崩れそうな真希をしっかりと抱きしめる。
時間を戻せるなら、あの時の自分に問いただしたい。なぜあんなふうに真希を傷つけてしまったのか、と。
なぜ、拓海は……。
拓海は腕に力を込めた。
真希は唇を深く噛みしめ、鉄のような味が口に広がる。
「自分を噛まないで」と、拓海は自分の腕を差し出した。
「俺を噛め」
真希はその腕に噛みついた。
しばらくして、薬の禁断症状が収まると、真希は戦いを終えたように全身汗まみれで、力を使い果たしていた。
拓海は自分の血の滲む腕を気にすることなく、真希を抱えて体を拭き、ベッドに戻した。
その間に使用人がシーツを取り替えた。
真希は拓海に寝かされると、意識を失ったように深く眠った。
拓海は一階のリビングで、医師に傷の手当てをしてもらった。
そして、真希が飲んでいた薬を差し出した。
「この薬の成分を調べてくれ」
医師が調べた結果、「ビタミン剤ですね」と答えた。
なるほど、ビタミン剤だったのか。