「お願い、最後に一度だけ私を愛してくれない?この子を産ませて。約束するから、あなたとお義姉さんの邪魔はしない……」
女の子が、涙をこらえながら何年も隠していた想いを告白している。しかも、彼の目の前で、こんなにも必死に懇願しているのだ。
そんな姿を見て、何も感じない男はいないだろう。
ましてや、彼女はずっと可愛がってきた妹であり、長く愛し続けてきた女でもある。
拓海は、ほとんど本能的に小雪を抱きしめた。
「ごめん、小雪。兄さんは……そんなに長く想ってくれていたなんて知らなかった。」
もし一ヶ月前に小雪がこの言葉を口にしていたら、拓海はきっと彼女のために、世界を敵に回してでも守ったかもしれない。
だが、今の拓海の心は、不思議と静かだった。
長年心を苦しめていた「兄が妹に惹かれる」という重い罪悪感も、この瞬間、消えてしまった。
以前、真希が小雪の気持ちを教えてくれた時、彼は信じたくもなかったし、信じることもできなかった。道徳の重みが、大切な人を壊してしまうのが怖かったのだ。
だが最近、彼はますます自覚するようになっていた。
小雪と真希への気持ちは、根本的に違うということを。
真希がいなくなった時、彼は取り乱し、全てを壊してしまいたいほどだった。
一方で、昔、小雪が政略結婚させられそうになった時は、ただ悲しくて腹が立っただけだった。
もしかしたら、小雪のことを本当に愛した時期もあったのかもしれない。だが今、彼が愛しているのは間違いなく真希だ。
もう、真希との間に何も障害は許せない。
「この子は……兄さんは、産ませるわけにはいかない。」
小雪は一歩下がった。
「いやだ、だめだよ、お兄ちゃん。この子はあなたの子なのに!」
彼女は拓海の手を自分のお腹に当てて言う。
「他人の子どもは受け入れられるのに、どうして自分の子はだめなの?」
この言葉は、拓海の心に触れてはいけない部分を突いた。
最近、真希が他の男の子を身ごもっていることを考えるだけで、彼の中の怒りは抑えきれなくなっていた。
すでに金髪男の痕跡を追っている。あいつは絶対に許さない。
そして真希も、結婚式が終わったら子どもをおろすと約束している。
すべてが完璧に解決するはずなのに、彼の心のしこりはどうしても消えなかった。
「お兄ちゃん、私、お義姉さんの主治医に聞いてみたの。お義姉さんの体は、妊娠に全然向いてないって。だったらさ、この子を私が産んで、お義姉さんに育ててもらえばいいんじゃない?」
拓海は眉をひそめた。
真希が子どもを欲しがっていることは知っている。どんなに辛くても、薬を拒み続けている。
小雪の言う通り、主治医とも話したことがある。真希の体は、解毒が終わるまでは妊娠しない方がいい。それどころか、解毒後も数年は休養が必要だと言われている。
「お義姉さんは骨髄をくれたんだよ。私は、子どもでお返しするの!」
扉の外で、真希は小さく笑い、もうこれ以上聞くのをやめた。
リビングを通りかかると、執事が何か言いたげな顔をしていたが、真希は気にすることもなく、堂々と通り過ぎた。
拓海は現れなかった。
彼は小雪を連れて、街の中心にある高級マンションへ行った。
そのことは、小雪からメッセージで知らされた。
自慢げに、拓海がキッチンで料理を作っている動画を送ってきた。どう見ても隠し撮りだった。
「お義姉さん、明後日の結婚式、無事にできると思う?」
真希は返事をしなかった。
そもそも、結婚式が無事に終わるなんて、最初から期待していなかったのだから。
翌日、屋敷全体が慌ただしくなった。広大な庭園は華やかに飾られ、使用人たちもお祝いムード。
朝早く、真希が目を覚ますと、拓海からメッセージが届いていた。
明日が結婚式なので、地方によっては「前日に新郎新婦が会うと縁起が悪い」という風習がある。拓海は今日は帰らず、明日迎えに行くからここから出発してほしい、と伝えてきた。
真希はにこやかなスタンプだけ送り、スマホを置いた。
廊下に出ると、何十人もの使用人が次々に「おめでとうございます」と声をかけてくる。真希は静かに微笑み返すだけだった。
ウェディングドレスはずっとリビングのショーケースに飾られている。
一流のスタイリストチームが、必要なものをすべて持ち込んでいた。
美容機器がいくつもあり、特別な部屋を用意していた。
今日から、真希のためのブライダル準備が始まる。
全身を美しく仕上げるために、髪の毛一本まで手を抜かない。
真希の後ろには、常に十数人のスタッフがついている。
拓海から事前に指示があったのだろう。皆、真希が妊娠していると知っていて、動作も道具もすべて妊婦に配慮されたものだった。
真希は一日中スタッフの言う通りにし、午後は少し休んで、起きるとまた準備に追われた。
その間にも、拓海からは写真や動画が何度も送られてきた。
向こうもかなり忙しそうで、専属のスタイリストチームがついているのが分かる。
「奥さんを迎えるために、頑張ってるんだよ」と、どこか甘えた口調でメッセージが届いた。
真希が気になったのは、彼の背後に映る高級マンション。
そして、白いドレスの裾――あれは小雪だろう。
真希は鼻で笑い、「明日が楽しみ」とだけ返した。
翌朝、夜明け前から真希は起こされ、スタイリングが始まった。
数人のスタイリストが髪を整え、メイクをし、ドレスの準備をする。
四時間かけて、十数人の手で完璧に仕上げられた。
鏡の中の自分は、艶やかな美しさを湛えている。ただ、その目だけがあまりにも暗かった。
ピロン、と拓海からメッセージが届いた。自撮りの写真だった。
真っ白なタキシードに身を包み、まるで王子様のように眩しい。
「待っててね。」
真希は窓辺に立ち、拓海を待った。
一昨日降った雪はすっかり溶けていたが、まだ少し肌寒い空気が残る。
最初にやってきたのは、拓海ではなく佳穂だった。
「約束したでしょ?あなたのブライズメイドになるって。私、約束は守るんだから」と、淡いピンクのドレスに身を包み、目を赤くしながらも笑顔を見せた。
しかし、声は震えていた。
真希は優しく微笑み、手を差し出す。
佳穂はその手を取って、自然と真希の隣に立ち、ウェディングドレスの裾を整えてくれた。
「ね、やっぱり言った通り。あなたのウェディングドレス姿、本当に綺麗。」
三年前の真希なら、きっと今よりもっと美しかっただろう――
この三年の結婚生活は、彼女をすり減らし、傷つけた。
拓海、あなたの地獄の幕開けよ――
八時半、外から賑やかな声が聞こえ始めた。
拓海がブーケを手に、友人たちに囲まれて現れる。
真希は光の中に立ち、白いウェディングドレスを纏い、ダイヤモンドの輝きが彼女を神聖な存在のように際立たせていた。
その姿を見るだけで、拓海の呼吸が乱れる。
「迎えに来たよ。」
短い一言に、二度も言葉を詰まらせた。
真希が見つめるその姿は、かつて夢に見た通り。
白いタキシードに身を包み、端正な顔立ちにきちんと整えられた髪。まるで中世の王子のように気品が漂う。
差し出された手に、真希は微笑みを浮かべて自分の手を預け、彼に導かれるまま外へと歩き出した。
佳穂がその後ろにつき、真希はウェディングカーへ乗り込む。
いよいよ会場へ向かおうという時、拓海の携帯が鳴った。
ブーケを抱えた真希は、心の中で思う。――いよいよ、幕が上がるわね……