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第54話

拓海は車の外に立って電話していた。

真希には彼が何を話しているのか聞こえなかったが、その表情は重く沈んでいるのが見て取れた。


彼女に視線が向けられると、真希はちょうどいいタイミングで目を合わせた。


「どうしたの?」


拓海は困ったように言った。

「急ぎの用事ができてしまって、どうしても行かなきゃならない。」


「じゃあ、行ってきて。」

真希は気遣うように微笑んだ。

「私は待ってるから。」


拓海は一瞬だけためらい、再びスマートフォンが鳴ったが、今度は出ずに身を乗り出し、真希の額に軽くキスを落とした。


「すぐ戻るよ。」


真希は目を伏せ、その瞳には冷たい光が宿っていた。


新婦を迎えたばかりなのに、新郎がその場を離れるとは——。


周囲の人々はみな驚きの目で婚礼車を見つめていた。

まるで鋼鉄の車体を通して彼女の表情を見ようとしているかのように。

悲しんでいるのか、憔悴しているのか。


真希は落ち着いた様子でドアのボタンを押した。


運転していたのは拓海の秘書だった。


彼は何度もバックミラー越しに真希の様子をうかがった。新婚の日に新郎がいなくなるなんて、普通の花嫁ならとても耐えられないだろう。


だが、彼らの奥様は、まるで泰然自若としたままだった。


前から思っていたが、やはりこの人はただ者じゃない。あのクールな拓海を追い続け、ついに勝ち取っただけのことはある。


真希はやはり黒澤家が誇る名家のお嬢様、拓海にはぴったりだ。


車の列はゆっくりと式場へと向かっていった。


その道中、真希のスマートフォンが何度も鳴った。


小雪から送られてきたのは、病院で拓海が彼女のために奔走している写真ばかりだった。


「ごめんね。あなたの新郎、私がいただいちゃった。」


「できるなら、そのままずっと彼を留めておいて。」


一見すると挑発だが、実際にその通りだった。


小雪を怒らせて拓海を引き留めてもらうことで、真希は自分の計画を進めたかったのだ。


式場は拓海が選んだ郊外の百年の歴史を持つ寺院だった。


寺の裏手には広い芝生が広がる。


もともと寺側もあまり乗り気ではなかったが、拓海の提示した条件が良すぎて断れなかった。


真希は仮設の控室に座り、目の前の大きなモニターで外の様子を見ていた。


広い芝生には、空中から滝のように流れる花々でできた道が続いている。


まるでおとぎ話の世界のように会場は飾り付けられていた。


スタッフの話が耳元で続いている。


これらの花はすべて今朝プロヴァンスから空輸され、何百人もの作業員が昼夜を徹して仕上げたものだとか。


花代だけで一千万、テレビでしか見たことのない有名司会者や歌手まで呼ばれている。


とにかく、拓海がこの結婚式のために莫大な費用をかけ、真希のためにどれだけ尽くしたかという話だった。


真希は聞き流していた。


まもなく10時58分、式の開始時間になっても拓海は現れなかった。


人々の間にざわめきが広がる。


「開始時間は10時28分って聞いてたけど、もう30分も過ぎてるのに、どうなってるの?」


「新郎がいなくなったって噂だよ。」


「えっ、江藤が?まあ、江藤が黒澤さんを好きじゃないってのはみんな知ってるけど。でも、式を決めた以上、花嫁を一人にするなんて非常識だよね。」


「でも結局、どれだけ冷たくされても、真希さんは拓海じゃなきゃダメなんでしょ。」


多くの人が、真希の拓海への執着を陰で笑い物にしていた。


表立っては両家の立場もあり口には出さないが、陰では真希を揶揄する声も少なくなかった。


中でも一番あざ笑っていたのは、佐々木春香と木村凛。二人はすでに、拓海が小雪に呼び出されたことを知っていた。


多くの人前で真希が恥をかくのを面白がっていた。


「ふん、結婚式じゃなくて、葬式にしたほうがいいんじゃない?」


「今日の式はもうダメだろうし、私たちも病院に小雪を見に行かない?」


「私は帰らないよ。」

春香がにやりと笑う。

「真希の恥ずかしい瞬間、しっかり動画に撮って何度も見返さなきゃ!」


四人の有名司会者にも、式の延期が伝えられた。


彼らは経験豊富で、現場の混乱をうまく収め、歌手たちにもう数曲歌ってもらい、新郎の到着を待つことにした。


せっかくの結婚式が、まるでライブ会場のようになってしまった。


佳穂はずっと真希のそばにいた。


「真希……」


真希はまばたきし、深く息を吸い込んだ。


時計を見れば、もうすぐ正午だった。


よし。


彼女は立ち上がり、外へと歩き出した。


スタッフたちは驚いた。新郎がいないのに、新婦はどこへ?


「真希さん、どちらへ行かれるんですか?」


新婦の登場に、すべての視線が集まった。


長いドレスの裾が後ろに広がり、眩いほどの輝きで人々の目を奪う。


ベールはなく、ふんわりとした長い髪をそのまま流し、明らかに結婚式の入場という雰囲気ではなかった。


「お、来た来た。見ものだな。」


群衆の後ろの方では、正装をしていない三人組が並んで座っていた。


端にいるのは、少し長めの髪で寝起きのような様子の周防駆。真希がドレスの裾を持ち上げて現れると、急に元気になり、隣の市崎郁の肩を叩いた。


「なぁ、この展開、最高だろ?わざわざA国から呼び戻した甲斐があったよな!」


郁は腕を組み、冷ややかな雰囲気をまとっていた。


一番奥の山口相良は、手を合わせて小さく拍手したい気分だったが、ここは真希の舞台だと心の中で応援していた。


「真希ちゃん、がんばれ。」


華やかなドレスの裾が色とりどりの花々を踏みしめて進み、高いヒールで一歩一歩、その美しさも価値も踏みつぶしていく。


新郎が現れない中で新婦だけが登場するという、司会者たちでさえ経験のない場面だった。


真希は司会者の一人からマイクを受け取り、前に進み出た。


言葉は発さず、スマートフォンを取り出し、拓海の番号に電話をかける。


マイクを電話に向けると、すぐに拓海の声が会場中に響き渡った。


「拓海、今どこにいるの?」


拓海は真希が控室にいると思っていた。彼も焦ってはいたが、小雪の容態が悪かった。もともと白血病を患っているうえに妊娠中で、流産しかけていた。


さっきまで戻ろうと思っていたが、小雪が再び出血し、まだ救急治療室にいるため、今は彼女を置いていくわけにはいかなかった。

何より、お腹の子は自分の子供だった。


「真希、ごめん。今はどうしても…」


真希は会場を見渡し、その視線が郁の深い眼差しとぶつかった。


なぜ彼がここに?


一瞬だけ気を取られたが、すぐに気を取り直した。


「どこにいるの?」


拓海は嘘をつきたかったが、不運なことに——


ちょうどそのとき、小雪がベッドで運ばれてきた。


拓海が電話しているのを見て、相手が真希だとすぐに察した小雪は、わざと大きな声で言った。


「お兄ちゃん、よかった、私たちの子供が無事で……!」


拓海はハッとし、電話を切ろうとしたがもう遅かった。

真希はほほえんだ。小雪、思った以上に協力的ね。


彼女はどうやってみんなに、小雪がお腹に兄の子を宿していることを伝えようかと考えていたが、自ら暴露してくれたなんて。


ありがたい。


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