会場がざわめきに包まれた。
もしこの言葉が真希の口から出たのなら、誰も信じなかっただろう。
しかし、これを口にしたのは小雪であり、しかも拓海も否定しなかった。
それはすなわち、事実だ。
皆が知っている通り、小雪は江藤家の義理の娘だ。拓海はこの妹を遠ざけるどころか、むしろ特別に可愛がっていた。
これまで、彼らはただ単に拓海が器の大きい人間だと思っていたし、小雪は運がよく、思いやりのある拓海に出会えたのだろうと感じていた。
だが、もし最初から拓海が小雪に特別な感情を抱いていたとしたら……。そう考えると、彼が小雪を特別扱いしてきたことも、彼女のために起こした行動も、すべて“愛”という名のもとに説明がつくのではないか……。
「真希さん、本当にかわいそう……。こんなに長い間、騙されていたなんて。」
誰かが小声で呟いた。
周囲も次々と頷き、共感を示す。
彼らの真希を見る目には、深い同情が宿っていた。
かつて、拓海と真希の結婚が発表されたとき、ついに真希が苦労の末に幸せを掴んだのだと思っていた。
まさか、彼女が拓海と小雪の関係を隠すための駒に過ぎなかったとは……。
あまりにも残酷だった。
真希の顔は真っ青だったが、心の中では高らかに笑っていた。
——拓海、人前であなたと小雪の偽りの姿を暴くのは、これが第一歩よ。
「そうだったのね、小雪のお腹の子はあなたの子供だったのね、拓海。私はこんなにもあなたを愛していたのに。彼女と一緒になりたいなら、私に言ってくれればよかったのに。どうして、どうして私を騙したの?」
「違うんだ、真希、聞いてくれ!」
拓海に説明なんてさせるはずがない。
「わかったわ、拓海。これはきっと私への罰なのね?」
「私を平手打ちして、土下座させて、乱暴しかけて、挙げ句の果てには拉致してドラッグまで……それでもまだ、怒りは収まらなかったの?
私が小雪から“あなたの妻”という立場を奪ったのがそんなに憎いの? だから私を、みんなの笑い者にしたかったんでしょう!」
立て続けに三つの問い。そのどれもが、より強い絶望を帯びていた。
「違う、違うんだ。今回は復讐なんかじゃない。真希、今までのことは俺が悪かった。でも今回は、本気なんだ!」
その言葉は、真希にとっても、拓海にとっても、痛みだった。
会場の招待客たちは次々と暴露される真実に、ざわめきながらも耳を澄ませた。
拓海と親しい者たちが、慌てて真希を止めようとした。
「きっと誤解だ!」
「そうだよ、拓海は君のためにこんな盛大な式を用意したんだ。君のことを大切に思ってるに違いない!」
彼らは壇上に駆け上がり、マイクを取り上げようとした。
その時、屈強な警備員たちが現れ、会場を囲んだ。
——周防駆の部下だった。
「周防、何をするつもりだ!」
誰かが叫ぶ。
駆は気怠そうに答える。
「別に。ただ、いい見世物だと思ってね。」
彼のそばに立つ大柄な警備員。駆には誰も逆らえず、その場に座り込むしかなかった。
他の招待客も、四大家族の一つ、周防家の跡取りである駆の権勢には及ばなかった。
駆の横暴さは今に始まったことではないが、誰も止めることができなかった。
この時になって、招待客たちはようやく気付いた。会場にいる中で一番年長でも五十歳前後。真に力を持つ年配の重鎮たちは、誰一人として姿を見せていない!
さらには、江藤家の当主である拓海の父や義母も来ていなかった!
まるで、これは単なる結婚式ではなく、何か別の目的の集まりのようだった。
拓海もまた、駆とその仲間の会話を聞いていた。
気付けば、真希は外にいるようで、彼らの会話が全員に聞こえるようにしていた。
これ以上、真希に喋らせてはいけない——
「真希、頼むから控室で待っていてくれないか?」
真希は気に留めることなく続けた。
「拓海、一つだけ聞きたいことがあるの。」
「真希!」
拓海は声を荒げる。
「本当は、あなたにサプライズを用意していたの。でも、もう言いたくなくなった……」
「なに?」
突然の言葉に、拓海の心は不安で満たされた。
「拓海、もう疲れたわ。これで終わりにしましょう。」
そして、拓海の心を引き裂く一言が続いた。
「皆さん、せっかくお越しいただいたのに申し訳ありません。いただいた贈り物やご祝儀はすべてお返しします。私、真希は今この場で、拓海との関係をきっぱりと断ち切ります。
ここにいる皆さんが、その証人です。」
だめだ、そんなの……!
骨まで染み渡る痛みが、体中を駆け巡る。
拓海はよろめき、目の前が真っ暗になった。
その時、電話の向こうから誰かの叫び声が聞こえた。
「血が、真希さんが血を流してる!」
ようやく、皆が気付いた。真希のドレスの裾が、鮮やかな赤に染まっていた。
本来なら幸せに輝いているはずの新婦の顔は、化粧でも隠しきれないほど蒼白で、今にも倒れそうだった。
マイクが手から滑り落ち、床にぶつかり、不快な音を響かせる。
真希の目尻には涙が一粒。お腹を押さえ苦しそうに身をかがめた。
「子供……私の子供……」
電話越しにも、真希の痛む声が拓海の胸を締め付けた。
「真希!」
凍えるような寒さが、足元から頭まで一気に駆け上る。
「真希……」
拓海はかすかに呼びかけたが、もう真希の返事はなかった。
真希の体が後ろに倒れ、佳穂が駆け寄ろうとしたが、肝心なところでハイヒールが邪魔をした。
二歩踏み出したところで、ヒールが芝生に引っかかり、転んでしまった。
佳穂は恐怖のあまり、真希がそのまま倒れるのを見つめて叫んだ。
「だめ!」
風のような影が、信じられない速さで目の前を駆け抜けた。
真希は背中に衝撃を感じ、誰かの腕に倒れ込んだ。痛みで意識が遠のきそうな中、生きたいという本能で、その人物の手を掴んだ。
「痛い……」
その人はしっかりと真希を抱きしめていた。誰か確かめたかったが、ぼんやりとした輪郭しか見えず、どこか懐かしい気がした。
「真希、真希……」
佳穂はヒールを脱ぎ、裸足で壇上に駆け上がり、真希のそばに膝をついた。
「大丈夫、もう救急車を呼んだから。すぐ来る、絶対に大丈夫だから!」
下腹部の激痛とともに、温かいものが脚を伝って流れる。小さな命の消失を感じ、涙が堰を切ったようにあふれ出す。
それでも真希は、必死に佳穂の手を握り、笑おうとした。
この純白の結婚式は、彼女のための祝福ではなく、別れの旅路を送るための色だったのだ——
ごめんね、佳穂。あなたを騙して。
もう、病院には間に合わない。
真希は深く息を吸い込み、両脚の間からはなおも鮮血が流れ続けた。まるで体中の血がすべて抜けていくようだった。
もう、生きられない……
拓海に復讐すると決めたあの日、誰にも告げずに病院で羊水検査を受けた。
そのとき医師から、もう体が限界だ、すぐに入院しなければいつ命を落としてもおかしくない、と告げられた。
それでも、彼女は最終的に入院を拒んだのだった。