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第60話

これが、十数年も大切にし、愛し、宝物のように扱ってきた人だった。


小雪がほんの少しでも傷つくことがあれば、拓海は決してそれを許さず、彼女を泣かせた相手は徹底的に叩き潰してきた。

彼女が海外にいた数年間、たった一言「外国のご飯は口に合わない」と言われただけで、自ら料理を学び、年に何百回も渡航し、仕事も新婚の妻も放り出して、彼女に手料理を作ってやった。


彼女のために、父親とも敵対し、世界すらも敵に回した。

その結果が、すべて嘘だったとは――


彼女は嘘つきで、ずる賢く、冷酷な女だったのだ!


そして、彼女のために、自分の妻と子供まで死なせてしまった。

拓海は激しく小雪を突き放す。

もう二度と、この顔を見たくない。吐き気すら覚える。


護衛が近づき、まるで汚いものに触れたかのように、慎重に拓海の指先を丁寧に拭いた。

執事は護衛二人に命じ、小雪を金髪男の元へと引き戻させた。


小雪はあまりの衝撃に、涙を流すのも忘れていた。


いつもなら、こんなふうに悲劇のヒロインを演じれば、兄はすぐに心配して、抱きしめて慰め、たくさんのプレゼントや高級品を与えて機嫌を取ってくれていた。

今日は、慰めてくれないどころか、彼女を汚らわしいと拒絶したのだ。


執事はそんな小雪の驚きを冷静に見つめる。


「先に白状した方が、生き残れる。」


小雪は金髪男がすべてを暴露するのではと怯え、彼を睨みつける。

お腹の中の子供は二人の子、しかも将来の江藤家の後継者だと、必死に目で訴えた。


金髪男は険しい顔で、顔に刻まれた醜い傷が蠢く虫のように見えた。

生きていたいのは当然だ。


だが、もし死ぬことで大きな利益が得られるのなら?

たとえば、拓海に何十年も騙され、彼の「子供」が江藤家を継ぎ、一気に財閥の頂点に立つ。自分の血筋が世に残るのだ。この誘惑は、命を投げ出すだけの価値がある。


それに、彼はよく分かっていた。権力者である拓海をここまで怒らせてしまっては、もう拓海が自分を許すことはないと。

自分の境遇を思い返す。

親もなく、幼いころから社会の底辺で生き、荒っぽさだけが取り柄で裏社会に入り、小さな組織で頭領も務めた。

だが内紛で追い出され、路地裏で子分を集め、みかじめ料を巻き上げたり、後ろ暗い仕事ばかりして生き延びてきた。


自分なんて、所詮は取るに足らない人間だ。それがどうした?

拓海は高みに立つ権力者だが、そんな彼の頭を踏みつけてやったのだ。

彼の女を抱き、妻子を死なせ、築き上げた帝国も、結局は自分の息子のものになる。

ははははは!


いつか拓海が、育て上げた子供が自分の子ではないと知ったとき、きっと怒りで死ぬに違いない。

今ここで死んでも、ざまあみろという気分だった。


「何を聞かれても、俺は絶対に口を割らない!」

金髪男の目は狂気で光っていた。

自分の命と引き換えにしてでも、拓海を苦しめてやろうと決めていた。


小雪はほっと胸を撫で下ろした。

どうやって金髪男を消そうかと考えていたが、もし拓海がやってくれるなら、それ以上のことはない。


金髪男さえ消えれば、もう自分を脅かす者はいない。

お腹の子供を盾に、拓海に責任を取らせることができるのだ。


執事は静かに小雪に尋ねる。


「小雪さん、お腹の子供は本当に旦那様の子ですか?」


小雪は即座に頷く。


「山田さん、私のことは分かってるでしょう。嘘なんてつきません。」


山田は江藤家に長年仕えてきた執事であり、五十を過ぎ、様々な人間の裏表を見てきた。

小雪が善良な人間でないことなど、とっくに理解している。


長々と話し続けてきたのも、彼女が本当にご主人を少しでも想っているのか確かめたかっただけだ。

だが今や、小雪はご主人を弄んでいるだけで、微塵の情もないことがはっきりした。


小雪は真剣な表情を崩さず、拓海が自分を疑うことも分かっていた。


今は余計なことを言わず、子供が拓海の子だと言い張るしかない。

彼が信じようが信じまいが、しばらくは手出しできないだろう。

ここから出さえすれば、子供は何としても拓海のものにしてしまうつもりだった。


その場の誰もが静かに様子をうかがい、信じているのかどうかも分からない。

ただ一人、金髪男だけが小雪の言葉を信じ、怒りを露わにした。


「この嘘つき女め!」


金髪男は小雪を殴ろうとしたが、護衛に肩を押さえつけられ、床にねじ伏せられた。必死に暴れても、まったく身動きが取れない。

目を血走らせて小雪を睨み、口汚く罵声を浴びせる。

小雪は腕を抱えて身を縮め、怯えたふりをしながらも反論しない。

いつものように、相手の怒りを煽っておきながら、可哀想なふりで同情を引こうとするのだ。

そんな見え透いた芝居に、彼は十年以上も騙され続けてきた。


そのとき、ナイフの刃先が誤って拓海の指先を切り、真っ赤な血が掌に滴り落ちた。

背後の護衛が目を見開き、すぐに医者を呼ぼうとしたが、

拓海が手で制した。

この程度の傷など、痛みはどうでもいい。痛いのは、心だ。


真希が血まみれでベッドに倒れていた姿が脳裏をよぎるたび、息もできないほど苦しい。

心臓が細い糸で締め付けられるように、少しずつ締め上げられ、バラバラに引き裂かれる思いだった。


あれほど血を流し、ウェディングドレスの裾まで真っ赤に染めて――どれほど痛く、どれほど怖かったのか。

やっと真希を受け入れ、彼女と本当の夫婦として生きていこうと決意したばかりだったのに。

なぜ、どうしてまた間違えてしまったのだろう?

またしても小雪のせいで、真希を失い、今度こそ取り返すこともできなくなってしまった。


ナイフは掌を深く切り裂き、指に力を込めるほど血が流れ出す。

誰もこの男の狂気を止められず、ただ神のごとく崇めてきた彼が、自分を傷つける様を見つめるしかなかった。


執事は冷ややかに微笑む。


「どうやら、お二人とも最後まで白状するつもりはないようですね。」


小雪は動揺し、金髪男も観念したように黙り込む。二人の視線が執事の示すモニターに移る。


先ほどから護衛の近くにあったモニターが、何のためのものか分からなかったが、

今、その意味を悟った。

モニターに映し出されていたのは、二人の犯行の証拠だった。

そのほとんどが小雪によるものだ。


時間軸は、拓海が彼女を様々なパーティーに連れて行った頃から始まる。

人を陥れ、トラブルを意図的に起こし、いじめを仕掛けたこと、拓海の父・江藤達也に計略がばれて政略結婚を命じられ、涙ながらに拓海に訴えた挙句、江藤達也から三千万円を受け取り、自ら家を去ったこと――

海外にいた三年間だけは調査記録が空白だった。


帰国後は、真希を罠に陥れ、金髪男を買収し、自分が強姦されたと偽り、屋敷に火を放ち、真希を誘拐させ、金髪男に真希を殺させ、共に逃走した――

ひとつひとつ、すべてが動かぬ証拠となっていた。

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