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第67話

彼女は無理をすることなく、自分の体が今どれだけ弱っているかを自覚していた。できる限り自分を大切にし、絶対に病気にならないよう気をつけている。


真希はコートを羽織った。裾はふくらはぎまであり、袖も長くて手がすっかり隠れるほどだった。


下を向いて自分の姿を見てみると、まるで大人の服をこっそり着ている子どものように思えた。


実際は、身長は165センチもあり、長い脚はまっすぐで、メリハリのある体つき。

ただ、薬物ですっかり痩せてしまい、以前のような活力は感じられなくなっていた。


執事が彼女の姿を見ると、嬉しそうに笑顔になった。


「このプライベートジェットで、今まで女性のお客様は真希さんだけなんです。だから女性用の服がなくて。このコートは、うちの若様のものです。」


真希は少し驚いた。


もし記憶が正しければ、郁は今年で二十七歳のはず。まだ彼女がいないのか?


そんなはずない。前に彼が女性と一緒にいるところを偶然見かけたはず……。


ああ、わかった。この執事はきっと郁の体面を守っているんだ。


本当に忠実な執事だこと。


「あなた、いい執事だね。」


佐藤は一瞬きょとんとした。


「……」


真希さん、褒める相手を間違えてませんか?


タラップまで歩いていくと、冷たい風が一気に吹き付けてきた。


真希は思わず身震いした。


遠くの空港ビルを見ると、屋根に雪が積もっているのが見えた。


考えてみれば、仮死状態で逃げてからもうすぐ一ヶ月。時間が経つのは本当に早い。


去年の今ごろは、使用人に雪を集めさせて大きな雪だるまを作り、その雪だるまに拓海の名前を書いていた。


また冬が来て、彼女の人生はすっかり変わってしまった。


手すりを握りしめて、タラップを降りる。


郁の車がすでに待っていた。


ドアを開けると、冷ややかな視線がぶつかる。それは郁だった。


「……後ろに座ってるの?」


まあ、これは彼の車だし、どこに座ろうが彼の自由だ。ここまで送ってもらったのに、まだお礼も言っていなかった。


後部座席に乗り込み、真希は心から感謝の言葉を伝えた。


「市崎さん、送ってくれてありがとう。」


郁は眉をひそめた。


「今、何て呼んだ?」


「市崎さん……」


「郁兄ちゃん、って呼ばないの?」


「!」


この呼び方は、小学校五年生の頃だ。


本来なら、真希ほどの家柄なら四大家族以外は誰も手出しできないはず。


しかも兄と相良たちも仲が良かったから、小学五年生までは何の問題もなかった。


ところが、五年生の前期に転校生がやってきた。


この子は郁の遠縁にあたる市崎家の女の子だった。


市崎家の人間だと威張り、クラスで一番可愛がられていた真希にも高圧的に接し、突然机をひっくり返し、「自分をリーダーと呼べ」と言い出した。


もちろん真希は従わず、二人は口論に。


彼女は力も強く、言い負かせないと髪を引っ張ったり殴ったりしてきた。


真希はやられっぱなしで、悔しくて兄に助けを求めるため中学部へ駆け込んだ。


中学部は少し離れていて、ボロボロの姿でたどり着いたとき、先に郁に出くわした。


彼は彼女の襟をつかみ、「どうした」と聞いてきた。


その時の真希は本当に悔しかったし、その子が「郁は自分のいとこだ」と言っていたのも思い出し、思わず郁の足を蹴り、「あなたのいとこがいじめた!」と訴えた。


「兄たちに頼んでも無駄だ、市崎家の人間には手出しできない」


単純だった真希は郁の言葉を信じ、どうしたらいいか尋ねた。


「俺を郁兄ちゃんと呼べば助けてやる」


真希は悔しい気持ちのまま仕方なくそう呼んだ。すると翌日から、その女の子はもう現れなかった――


思い出して、真希は納得いかない顔をした。


「郁兄ちゃん」と呼ばせるなんて、ふざけてる!


「え、もう車動いてる、佳穂は?」


「後ろの車にいる。」


真希は後ろに車がもう一台ついてきているのを見て、ようやく安心した。


「途中で降ろしてくれればいいよ。自分たちでタクシーで帰るから。」


郁は何も言わず、聞こえているのかどうかも分からない。


空港を出て、二台の車が並んで路肩に停まる。


真希は車を降りてドアを閉め、後ろの車に佳穂を迎えに行った。


佳穂と手をつなぎ、離れようとした時、車の助手席の窓が下がった。


「真希さん、コートはクリーニングして市崎家に返してください。お手数ですが、よろしくお願いします。」


黒澤家の屋敷に戻ってきても、真希はまだ考え込んでいた。

郁は本当にこのコートが惜しいのか? 

彼は誰かが触ったものには絶対二度と使わないはずなのに……


考えは電話の着信音で遮られた。


兄からだった。


もう飛行機を降りて、家に向かっているらしい。


真希と佳穂はすぐに掃除に取りかかった。

屋敷が広すぎて、黒崎北文が帰ってきた頃には、何とかリビングだけ片付け終わった。


ドア口に立つキャメル色のコートを着た、少し疲れの見える紳士な男性を見た途端、真希の目から涙が溢れ出した。


「お兄ちゃん……」


真希は声を詰まらせ、北文が両手を広げると、彼の胸に飛び込んで思い切り泣いた。


これまでのすべての辛さが、一気に溢れ出すようだった。


北文は妹を抱きしめ、彼女の黒髪をやさしく撫でた。


「どうした?そんなに泣いて、もしかして、拓海がいじめたの?」


拓海の名前を聞くと、真希はますます泣き出し、北文の疑いを認めるかのようだった。


頭の上から優しいため息が聞こえた。


「大丈夫、兄さんが帰ってきたから、もう心配いらないよ。」


「……お兄ちゃん、もう行かないの?」


「しばらくはここにいるよ。」


ドキッとした。


今までの哀しみが、急に不安に変わった。


兄はただの出張で、すぐに戻ると思っていた。

でもしばらくいるとなると、隠していることがバレるのも時間の問題だ。


真希は佳穂を部屋に連れて入った。


二人ともどんよりと重い表情だった。


「もう隠しきれないかも……」


佳穂は小さく頷いた。


「だったら、自分から話したほうがいいんじゃない?」


真希もそれを考えていた。兄が怒るのが怖いというより、もし自分のことが明るみに出たら、兄が傷つくのが嫌だった。


「真希!」


北文の声がドアの外から聞こえた。


「君の客だ。」


誰だろう?


階下に降りると、リビングの真ん中に白い手袋をした執事が立っていた。


郁の執事。その隣には、青い髪の女の子もいる。


真希が階段を下りてくると、佐藤はにこやかに箱を差し出した。


「真希さん、若様からの新しいスマートフォンです。お詫びとしてお渡しいたします。」


真希は箱を受け取った。真っ黒な箱で、ロゴなどは何もない。


箱を開けると、中から赤いスマートフォンが現れた。

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