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第68話

執事の佐藤が説明した。


「こちらは市崎家が独自に開発したスマートフォンで、世界に二台しかありません。一台は若様が、もう一台は真希さんにお届けするよう仰せつかりました。」


真希は半信半疑で考えた。郁、まさか変な粗悪品を押しつけてきたんじゃないでしょうね……。


「電話番号も新たにご用意しておりますし、若様の番号もすでに登録済みです。今後、何かありましたら、いつでも若様にご連絡いただけます。」


そう言うと、執事は丁寧に頭を下げて去っていった。


気のせいかもしれないが、執事のそばにいた青い髪の少女が、こちらを睨むような鋭い目つきをしていた気がする。


黒澤家の別荘を出て、専用車に乗り込んだ。


その瞬間、後部座席から冷たい女性の声が響いた。


「どうしてその女なんだよ!」


執事は無表情で答える。


「若様のご指示です。これからは、真希さんにも若様と同じように敬意を持って接してください。」


「嫌だよ!」


「藍、これは若様の意思だ。」


藍はふてくされたように鼻を鳴らし、窓を閉めた。




「郁と、まさか……」

しまった、兄がまだいたんだ!


「お兄ちゃん、勘違いしないで。郁が私のスマホ壊しちゃったから、その代わりをくれただけよ。」


真希は口を尖らせた。


「でも郁ってば本当にケチ、よくわからないスマホしか返してこないし!」


「それは、違うよ。」


「お兄ちゃん、このスマホのこと知ってるの?」


黒崎北文はスマホを手に取り、しばらくいじってから小さく笑った。


「郁のこと、正直侮ってたな。」


「?」


どういうこと?


「お兄ちゃん、このスマホ、何かあるの?」

「いや、問題ない。このスマホは今出ているどの機種よりも優れている。安心して使いなさい。」


妹の顔をじっと見つめながら北文は答えた。

彼女はすっかり痩せてしまい、拓海がどれだけ冷たく当たったのかがよくわかる。



郁のことは信用できなくても、兄の言葉には全幅の信頼を寄せている真希は、スマホの秘密に興味津々だった。さっそくいじってみようとしたその時――


「夜、拓海も誘って食事でもしよう。」


ドン。

スマホが床に落ち、何度か跳ねた後、突然激しく振動し始めた。


同時刻、市崎家の主寝室でも、郁のスマホが大きく振動し始めた。

彼は素早くスマホを操作し、画面に監視映像を映し出す。

そこには、真希の顔が大きく映し出されていた。


真希はスマホを拾い上げ、何度も裏返しながら傷がないか確かめていたが、どうやら無傷のようだ。


「でも……この振動、なんなの?」


そう呟いた直後、スマホの振動はぴたりと収まった。


郁は静かに息を吐き、「本当に間抜けだ」と呟いた。


ノックの音が聞こえる。


「入って。」


執事が医師を連れて入室した。


「若様、薬を塗り替える時間です。」


郁はシャツを脱ぎ、片手でベルトを外すと、右下腹部にある鋭い三角形の傷跡を露わにした。


医師は淡々と薬を塗りながらも、念を押した。


「しばらくは安静にしてください。もう無理は禁物です。」


郁は何も言わず、手で退出を促した。


廊下に出ると、医師は執事に声を潜めて言った。


「佐藤さん、若様をもう少し説得してくれませんか?あの傷は毒も塗られていて治りが遅いのに、国内外を飛び回るなんて……。」


「若様には考えがあります。私たちは自分の仕事をしっかりやっていればいい。」


医師はただ溜息をつくしかなかった。若様は本当に強いが、頑固さも人一倍だ。




黒澤家。


真希は背筋を伸ばしてソファに座っていた。両手は膝の上、姿勢はきちんとしている。


さっき、兄に拓海と離婚したことを伝えた。細かい事情は言わなかったが、拓海が他の女性を好きになったので、自分には受け入れられなかったのだとだけ話した。


兄は何も言わず、ソファに座ったまま何かを考えているようだった。


佳穂がそっと真希の袖を引き、言葉を促す。


真希は唇を噛みしめた。


「お兄ちゃん、私、わがままだったのかな……。」


黒崎北文はため息をついた。


「真希がしたいことなら、俺も両親もいつだって応援するよ。でも、なぜ相談してくれなかった?」


真希はうつむいて答えた。


「お兄ちゃん、私、自分が情けなくて……。」


十八歳で拓海を追いかけ、二十歳で結婚し、二十四歳になった今まで、全てが拓海中心の人生だった。自分の仕事も夢も何もなく、この二十数年を振り返ると、ただ空回りしていただけのように思えた。


「これからはどうするつもりなんだ?」


真希はゆっくり首を横に振った。


「わからない……。」


「まだ絵を描いてるのか?」


真希の目がぱっと輝いた。


「お兄ちゃん……」


「今回帰国したのは、国内でデザイン会社を立ち上げるためなんだ。興味はあるか?」


真希は佳穂の手を握った。


「私たち、やりたい!」


こうして、真希と佳穂の未来に新たな道が開かれた。


数日間、二人は黒崎北文と一緒に新会社の準備に取り組んだ。


「見間違いじゃないよな?」


橋本家の息子、橋本誠が目をこすりながら、隣の友人の肩を掴んだ。


「あれ、真希じゃないか?」


小林優斗はうなずいた。


「間違いない、真希だよ。」


小林優斗は小林絵心の兄で、誰よりも早く真希が生きていることを知った。

情報は妹の絵心から聞いたものだった。


「急いで拓海に知らせないと」


誠は拓海に電話をかけに走った。


小林優斗は真希が一人になったのを見計らい、声をかけた。


「真希。」


真希は振り返り、すぐに誰か気づいた。


この人のことはよく覚えている。かつて自分に好意を寄せていた一人だった。


拓海と結婚する前、真希には多くの求婚者がいた。容姿も家柄も申し分なく、彼女を手に入れたいという男性は後を絶たなかった。


たとえ彼女が拓海を追いかけていると知られていても、それでも諦めずにアプローチしてくる者もいた。


小林優斗は礼儀正しく距離感も心得ていて、真希にとって好感の持てる人物だった。

贈り物や言葉遣いもスマートで、その紳士的な態度が彼女には心地よかった。


拓海と結婚してからは、ほとんど旧友たちとも縁を切っていたので、小林優斗の存在も久しぶりに思い出すほどだった。


そういえば、彼は小林絵心の兄だったはず。


「小林さん、お久しぶりです。」


小林優斗は複雑な表情で言った。


「絵心から君が生きてるって聞いた時、本当に驚いたよ。」


やはり絵心が伝えたんだな、と真希は肩をすくめた。


「私も、自分が生きてるなんて思ってなかったですよ。」


小林優斗は近くのカフェを指さした。


「あっちで少し話そう。外は寒いから。」


真希も寒さを感じていたので、温かいコーヒーでも飲みたかった。


二人はカフェに入り、席についた。


小林優斗は真希のためにココナッツラテを注文した。


「間違ってなかったよね?」


真希は微笑んだ。


「ちゃんと覚えてくれてたんですね。」


コーヒーが運ばれてくる。


真希は温かいカップを両手で包み、ほっとしていた。


「君と絵心のこと、全部聞いているよ。」


真希は驚かなかった。


「ああ、そうなんですね。」


「今回は絵心が悪かった。」


真希は黙ったままだ。


小林優斗は少し躊躇いがちに聞いた。


「君と郁、最近仲がいいみたいだね?」


「どうして?」


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