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第72話

昨夜の深夜、彼が帰宅した時、使用人がわざわざ待っていて、真希がまた食事を取っていないと伝えた。


このままでは、真希の体がもたないのではないかと、彼はとても心配していた。

真希の健康に比べれば、他のことはどうでもよかった。


真希は鼻の奥がツンとし、胸が締め付けられるように苦しかった。

泣きたかったが、泣くわけにはいかなかった。


兄が自分を誤解していて、離婚したことで拓海に未練があるからこんなふうに自分を追い詰めていると思われているのに、それを説明することもできない。

本当はもう拓海への気持ちは吹っ切れている、愛していないし、戻るつもりもないと伝えたい。

でも、今の自分の異常な様子はどう説明すればいい?


もし兄が、拓海にここまで傷つけられたことを知ったら、絶対に拓海を許さないだろう。


黒澤家のすべての力がすでに海外に移っているとはいえ、仮に日本に残っていたとしても、江藤家に正面からぶつかれば、勝てるかどうかは別として、黒澤家も大きな損失を被るに違いない。


自分のわがままのせいで、もう十分な代償を払った。

これ以上、黒澤家まで巻き込むわけにはいかない。

このまま、誤解されたままでいい……


「失恋したら、食欲なくなるのは普通でしょ」

真希は目の奥の悲しみを隠し、何でもないふりをして言った。


「昨日、拓海が会いに来たって聞いたよ……」


彼女がどれだけ拓海を好きだったか、家族はみんな知っている。

長い間、冷たくされたり拒絶されたりしても、諦めずに想い続けられるのは、本当に愛しているからこそだ。

だからこそ、黒澤の家族は拓海が真希のことを好きではないと知りながらも、真希の気持ちを尊重して、結婚を認めた。


北文にはたった一人の妹しかいなかった。

小さい頃から大事にしてきて、彼女が望むものなら何でも叶えてやろうとしてきた。

だから、もし真希が「また拓海のそばに戻りたい」と言えば、北文はどんな手を使ってでも、その願いを叶えようとするだろう。


「お兄ちゃん、私はもう彼と完全に終わったの。もうこの男はいらないし、気持ちも吹っ切れた」


真希は真剣な顔で言った。


「これはただの禁断症状だから、しばらくすれば落ち着くよ。心配しないで。そんなふうにされると、私が余計に申し訳なくなっちゃう」


北文はため息をつき、真希の頭を優しく撫でた。


「バカだな、お兄ちゃんが心配するのは当たり前だ。でも、早く元気になってくれよ」


「うん、お腹すいた、ご飯ある?」


「あるよ。キッチンでお粥を温めてる」


北文が答えると、真希はダイニングへ。使用人が料理を運び、真希は美味しそうに食べ始めた。


北文は真希がしっかり食事をする姿を見て、少し安心し、着替えて再び仕事に向かった。


北文が出て行くと、真希はすぐに洗面所へ駆け込み、激しく吐き続けた。

食べたものをすべて吐き出し、そしてよく見ると血まで混じっていた。


「お嬢様、大丈夫ですか?」


使用人が慌ててドアを叩く。

北文に「しっかり世話をするように」と言われていたのに、兄が出て行った途端に真希がトイレに駆け込み、激しく吐いている。

いったいどうしたのだろう。


真希はトイレを流し、水道の水で口をすすいだ。


「大丈夫、ちょっと気分が悪いだけよ」


そして付け加えた。


「お兄ちゃんには言わないで」


使用人は一瞬黙ったが、「わかりました」と答えた。


真希は口をすすいだあと、壁に寄りかかりながら、体のだるさと吐き気を必死に抑えた。

壁に背を預けてゆっくりと床に座り込み、膝を抱えた。

彼女は生きたい、生きて家族に会いたい。両親にも、兄の結婚や子供も見届けたい。この広い世界、まだ行ったことのない場所も、見たい景色もたくさんある……


このまま諦めるわけにはいかない。自分のために何かしなければ。


真希はネットで薬物中毒の治療法を必死に探し続けたが、自分の体に投与された「NO1」という薬物には、どれも効果がなさそうだった。


研究所にいたころ、医師からこの薬について少しだけ話を聞いたことがある。

この新しい薬物は、従来のものと違い、通常の薬物は純度を高めて依存性を高めるものだが、NO1は純度99%以上の薬物に化学薬品を加えて精製されており、依存性が格段に高く、人体へのダメージも従来の比ではないという。


この薬物を克服するには、まだまだ時間がかかる。

真希はすべてを研究所に任せてはいられないと感じていた。


そして、不眠不休で情報を集め続けた結果、ついに一つの希望を見つけた。

世界的な研究の権威、宮崎明博士が、最近日本に滞在しているという。

宮崎博士は、これまで数多くの薬物治療法を生み出してきた人物で、今まさにこの新型薬物の研究に取り組んでいるらしい。


もしかすると、彼なら自分を助けてくれるかもしれない。

真希はさまざまな手を使って調べ上げ、今夜、宮崎博士が「やすぎ」というクラブで友人たちと会うことを知った。


真希は早めに「やすぎ」へと向かった。

かつての常連だったため、スタッフたちは彼女のことをよく知っている。


だが、黒澤のお嬢様は亡くなったはずでは?

——マネージャーはその場で動揺し、近づくべきか迷った。

夜遅く、もしや幽霊でも見たのではと、背筋が寒くなる。


真希は自らマネージャーに声をかけた。

「すみません。」


マネージャーは床にしっかりと影があるのを見て、ようやく安堵する。

影がある——生きている。

生きている!黒澤のお嬢様は死んでいなかったのか!?


プロとしてすぐに気持ちを切り替え、丁寧に応じた。


「真希さん、本日はどのようなご用件でしょうか」

「人を探しているの」


いろいろと話を聞き出し、宮崎明が三十三階の個室にいることを教えてもらった。

真希は礼を言い、エレベーターに乗り込む。


その様子を見て、スタッフたちがざわつき始めた。


「真希さんって、生きてたの?」


黒澤家のお嬢様を知らない者はいない。以前からの常連で、最近の出来事もあって、この顔を見間違えることはない。

彼女が現れた瞬間、皆は「亡くなったはずなのに」と恐怖を感じていた。

公に死亡の報道までされ、多くのスタッフが残念に思っていたのだから。

死んだはずの人が突然現れれば、幽霊を見たと思うのも無理はない。


「実際、亡くなってなんかいないよ」

マネージャーは複雑な表情で、エレベーターに乗り込む真希の後ろ姿を見送った。


あの結婚式は今でも語り草だ。

「禁断の兄妹」「哀れな黒澤のお嬢様」——あの結婚式の生中継で、多くの人が、愛のためにすべてを犠牲にした女性が、兄妹の圧力の中で、悲惨な最期を迎える様子を目の当たりにした。

血まみれで倒れる黒澤のお嬢様の姿は、多くの人の涙を誘い、江藤家への怒りは頂点に達した。


抗議やボイコットの動きが広がった。

結婚式の後、江藤家の評判は地に落ち、莫大な損失を被ったとされる。

江藤拓海も職を失い、悲しみのあまり記憶をなくしたとも噂されている。

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