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第73話

結婚式で起きたあれこれの出来事は、今でも街の人々の間で熱く語られている話題のひとつだ。

そして、その騒動の中心人物だった真希が、まさかの生還を果たしたのだ。


マネージャーは真希のことを心から喜んでいた。

あの時も、彼は真っ先に真希の味方だった。


江藤家は厳しく口止め令を出し、拓海と真希に関する話題や情報の流出を禁じていたが、世間の目はごまかせない。みんな、真希の側に立っていた。


マネージャーと数人の従業員が、しみじみとした表情を浮かべる。


「しまった!」


「どうしたんですか?」

驚いた様子の従業員たち。


「拓海も、あの上にいるんだ!」


真希はエレベーターのゆっくりと上昇する数字を見つめていた。

マネージャーの話では、今日宮崎明と一緒に来ているのは、どれも一流家系の跡取りばかりだという。


六年前は、黒澤家のお嬢様として、誰もが一目置く存在だった真希。

そんな彼女だからこそ、これだけの面々を集められる宮崎明の力が、どれほどのものか、肌で分かる。


かつて一緒にパーティーや社交の場で顔を合わせた面々と、今また対峙するとなれば、どうしても気後れしてしまう。

特に、あの結婚式騒動の後では、自分が生きていると知られた時のみんなの反応も、マネージャーと大差ないだろうと想像がついた。


幸いなことに、マネージャー曰く、この宮崎さんはとても物腰の柔らかい人らしい。

真希の目的は、宮崎さんにちょっとだけ話をして、助けをお願いすること。

それ以外は、できるだけ気にしないことにした。


個室の中は、賑やかな雰囲気に包まれていた。

どの男性の隣にも、美しい女性スタッフが付き添い、酒を注ぎ、料理を取り分けている。

真希は部屋に入らず、半開きのドア越しに中を覗いた。


主賓席には、白いシャツに金縁メガネをかけた男性が座っている。写真で見た宮崎明と、まさに同じ人物だ。

彼は穏やかに微笑みながら周囲と会話し、その笑顔はまるで優しい風が吹き抜けるような雰囲気だった。


真希は無理に入ろうとはせず、休憩スペースのソファに腰掛け、宴が終わるのを静かに待つことにした。

時計の針は、誰を待つこともなく進み続ける。

八時、九時、十時――

個室からは、宴が終わった余韻だけが漏れ聞こえてくる。


立ち上がった真希が部屋のドアを開けると、華やかな装いの人々が、白シャツ姿の宮崎明を中心にぞろぞろと出てくる。

見知った顔ばかりだった。しかも、どれも彼女にあまり好意的でない連中だ。

真希はうつむき、自分の存在が目立たないようにしながら、どうやって宮崎明に声をかけるかを考えていた。


「ちょっとトイレに行ってくるよ。」


柔らかな声が耳に届く。


真希の目が動いた。

――これがチャンスだ。

彼女は宮崎明の後を追い、トイレの前で待つことにした。


宮崎明が出てきた時、壁際に立つ真希に気づき、思わず男性用トイレのマークを確認した。


「私を待っていたのかな?」

優しいがどこか鋭さを感じる声が響く。

真希の胸に、その一言が心地よく染み渡る。

同時に、鋭い洞察力も感じさせた。


真希は小さく会釈しながら、


「突然お時間を取らせてしまい申し訳ありません。黒澤真希と申します。」


宮崎明は、細く白い手をじっと見つめる。彼は多くの人の手を見てきたが、こういった手の持ち主には、ある共通点があることを知っている。

彼はメガネの奥から真希をじっと見つめ、その視線は鋭くも冷静だった。


「黒澤家のお嬢さん……拓海の元、奥さんだったね?」


「ええ、でも私たちはもう離婚しています。」

真希は静かに答えた。


宮崎明は小さく笑みを浮かべる。

「それで、僕に何か用かな?」


彼の声は柔らかくも、どこか奥底に冷たさを含んでいるようだった。


「実は、宮崎先生にお願いしたいことがあって来ました。」


真希は真剣な眼差しで訴える。

「もしよろしければ、少しだけお時間をいただけませんか?」


廊下には人の出入りが多い。今日の宴には、かつての知り合いも何人もいた。

中には、昔彼女に好意を寄せていた人もいる。この場で話すのは、どうしても避けたかった。

今の自分は、やつれ切った姿で、結婚式で拓海との関係もすべて暴かれてしまった。

ただ一つ、薬物に手を染めたことだけは、必死で隠し通してきた。

誰にも知られたくない――。

だからこそ、宮崎明と落ち着いて話せる場所が必要だった。


「明、何してるの?」


やはり――真希が恐れていたことが起きた。背後から足音が近づいてくる。

宮崎明は、メガネの奥の目を静かに細め、真希の緊張した手元を見て、ふっと微笑んだ。

そして突然、真希の手をつかみ、ぐっと引き寄せた。


思わずバランスを崩した真希は、気がつけば彼の胸の中にいた。

驚いて大きな目を見開く。


「ちょっと用があるから、先に行っててくれ。」


宮崎明がそう言うと、その場は静まり返り、皆が意味ありげな視線を送り合った。


「宮崎先生、焦らなくても大丈夫ですよ。いくらでも待ちますから!」

「宮崎先生って、女性なんて興味ないって噂だったけど、やっぱり違うんだな。」


周りからからかいの声が聞こえる中、真希は宮崎明に引かれるようにして歩いていった。


彼は真希の手をしっかりと引いて、空いている個室に入ると、ソファに彼女を押しやった。


「宮崎先生……」


真希は一瞬戸惑った。


個室は大きな円卓に休憩用のソファ、ビリヤード台、専用トイレまである作りだ。

彼女は用件だけを伝えるつもりだったので、たとえ宮崎明の態度が多少強引でも、感情を表に出さないように努めた。


落ち着いて座り、顔を上げて宮崎明を見つめる。


「宮崎さん、今日はご相談があって……」


だが、宮崎明はベルトを手にしたまま、にこやかに彼女に近づいてくる。

何かがおかしい。

その距離感、目線、手にしたベルト、そして笑顔――どれも真希の警戒心を強く刺激する。


「もし今日はご都合悪ければ、また改めて時間をいただきます。」


真希はその場から逃げ出したくなり、バッグをつかんで出口へと急いだ。

できるだけ宮崎明から遠いルートを選んで、ドアの方へと回り込む。


足音が乱れ、宮崎明は目を細めてベルトをいじりながら、その様子を無表情で見つめている。

彼は引き止めることなく、真希の行動を黙って見守っていた。


ドアノブを握りしめた時、真希は小さく安堵の息をつく。

力を込めてドアを開けると、廊下の明かりが差し込む。

その向こうには、見覚えのある人影が壁にもたれていた。


その一瞬、真希の表情が固まる。


「んっ……!」


開けるか閉めるか迷ったその瞬間、大きな手が彼女の口を塞いだ。

叫び声は喉の奥にかき消される。


力は強くはなかったが、逃れる隙は与えられず、真希は再び個室の中へと引き戻された。


気がつけば、手首にはベルトが巻かれ、両手はしっかりと縛られている。

見上げると、宮崎明の冷ややかな顔がそこにあった。彼の目の奥の光は、感情を読み取らせなかった。


彼は静かに、真希へと手を差し伸べた。


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