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第76話

自分に頭を下げさせたいと思っていたのは確かだが、真希がこれほどあっさりと従うとは、木村凛にとっても意外だった。


子供の頃から真希とはライバル関係で、何年も争ってきたが、勝つことは少なく、いつも悔しい思いをしてきた。いつか真希を足元にひれ伏させて、その屈辱を味あわせてやろうと、ずっと心に決めていた。


真希が死んだとき、木村凛は心の底から喜んだ。自分の上にのしかかっていた重苦しい雲が晴れ、やっと陽の光が差し込んだように感じた。


しかし、数日前、真希の写真が業界内で突然広まった。


冬服を身にまとい、道端に立つ真希。横顔はまるで妖精のように美しく、少しやつれて色白なその姿さえも幻想的な魅力を放っていた。


その時初めて、木村凛は真希が死んでいなかったこと、あの葬式は拓海を苦しめるための茶番だったことを知った。


木村家は以前から江藤家との縁談を望んでいたが、以前は真希にその機会を奪われていた。真希がいなくなった後、再び話が持ち上がった。


そしてさっき、ついに江藤家から承諾の返事が来た。木村凛は飛び上がるほど嬉しかった。子供の頃から拓海のことが好きで、今まで好きになったのも彼だけだった。


拓海と結婚すること。それは彼女の人生最大の夢だった。


念願が叶い、どうしてもこの喜びを拓海に伝えたくなった。周囲に、自分こそがこれからの拓海の伴侶だと宣言したかった。


本当は、真希が戻ってきて、また拓海を奪われるのが怖かった。


だが、なんという偶然だろう。彼のもとに駆けつけた途端、拓海が女性を抱きしめている場面を目撃した。


長くて艶やかな黒髪――それだけで木村凛には真希だとすぐに分かった。


拓海を失う恐怖にかられ、我を忘れて駆け寄り、彼がまだ呆然としている隙に、彼の頬に自分の痕跡を残した。


さらに、拓海の腕を解かせ、真希を大勢の前で辱めた。


ついに、真希が人前でプライドを捨てて頭を下げた。木村凛は長年の鬱憤が一気に晴れたような気がした。


腕を組んで言う。


「謝ったからって、許すつもりはないわよ。」


なおも真希を困らせてやろうと考えていた。


「それなら、どうしてほしいの?」


木村凛は窓の外に目をやる。大きな雪が静かに舞い、あたり一面が白く染まっている。


「拓海、彼女に雪の中で立たせて罰を与えましょうよ?」


「ただ立たせるだけでは誠意が足りない。跪かせた方がいいんじゃないか」


真希は信じられないという表情で拓海を見つめる。


このまま背を向けて立ち去りたかった。もう拓海に侮辱されるのはごめんだった。


けれど、兄や会社――全てが彼女の肩に重くのしかかり、簡単に逃げ出せない。


跪くことはできない。ならば――


「きゃっ!」


次の瞬間、場の空気が一変した。


さっきまで拓海の腕に寄り添い、したり顔で真希を挑発していた木村凛は、今や真希に髪をつかまれている。


「この狂女!離しなさい!」

木村凛は拓海に会うため、身体のラインが際立つタイトなドレスにショートのファーコート、高いヒール、腕にはブランドバッグという格好だった。


だが、その全てが自分の動きを邪魔している。


髪を必死で守りながら、まるで喧嘩腰のように叫び続ける。


「真希、あんたなんて誰にも必要とされない狂女よ!拓海も捨てて当然、子どもだって産めない女なんて、一生孤独に決まってる!」


――何ですって?


真希の手が止まった。


木村凛は驚いた顔の真希を見上げる。


「今、なんて言ったの?」


木村凛は少し考えてから答える。


「狂女、クズ女。」


「違う、最後の言葉。」


ああ、あれか――


「子どもを産めない女ってことよ。」


木村凛は一語一語、はっきりと告げた。その言葉は岩のように真希の胸に重くのしかかった。


真希には、その意味がはっきりと伝わった。


産めない?どういうこと?


嫌な予感が胸をよぎり、無意識に手が離れてしまった。


自由になった木村凛は、すかさず真希の頬を平手打ちし、それでも怒りが収まらない。


今度は真希の髪をつかみ返し、

「知らなかったの?あんたね、もう子どもは産めないのよ!」


この話は、小雪から聞いたものだった。


小雪は真希の妊娠を知ったとき、医者に相談したことがある。真希の体は薬物によってすっかり壊れており、子どもを守るどころか、今後妊娠することさえも不可能だと。


だがこの事実は、拓海には伝えず、自分と佐々木春香だけが知っていた。


小雪はこの情報を利用して、真希と拓海の仲を引き裂こうとしていた。木村凛にとっては、絶好の切り札になった。


もし真希に殴られなければ、今この話を持ち出すこともなかった。


真希が打たれても呆然としている様子を見れば、この事実がどれほど彼女を打ちのめしたか、想像に難くない。


哀しい?苦しい?


名家は血筋の継承を何より重んじる。子どもを産めない女など、誰が望むだろうか。


真希は頬を打たれ、しばらく立ち尽くしたままだった。


自分は、もう子どもを産めないの?


そんなはずがない……


もし健康を取り戻したら、好きな人と出会い、かわいい子どもを産んで、穏やかに人生を送りたい。そう思っていたのに。


その夢はもう叶わないと言われたのだ。


そして、全ては拓海のせいだった。


真希は後ずさりした。苦しくて息もできない。

ここから逃げ出したかった。拓海のそばから遠く離れたかった。もう二度と、絶望の元凶であるこの男の顔を見たくなかった。


だが、次々と襲いかかる絶望に、体は言うことをきかない。


彼女はただ、シャンデリアの下で、皆の前にさらされる飾り物のように立ち尽くすしかなかった。男の作品として、傷だらけの戦利品として、目の前に晒されている。


――いや、こんなの嫌だ!


誰か、誰か助けて。


真希は助けを求めるように、周囲を見渡した。


降りしきる雪の中、光の中から一人の男が現れた。


黒いロングコートに黒い手袋、整った顔立ちの男が、まるで異世界の王のように現れた。


その隣には白髪の執事がいて、黒い傘を差している。

全身黒ずくめなのに、彼だけが光を放つかのようだった。


その瞬間、真希の目に涙がにじむ。


彼女の視界には、もう彼しか映らなかった。


周囲の人々が息を呑む声が聞こえた。

誰かが彼を「市崎様」と呼ぶのが耳に入る。


市崎郁――いつも彼女に絡んでばかりの男、意地悪ばかりする男。


――でも、いつも助けてくれた男。


人々の驚きの視線の中、真希はありったけの力を振り絞って、彼に手を伸ばした。救いを求めるように、声を震わせて呼びかける。


「郁……」


助けて、もう一度だけ助けて。


ここに立ち尽くし、最後の誇りまで皆に踏みにじられるのは、もう嫌だ。


真希は震える手を高く掲げ、必死のまなざしで郁を見つめた。


拒まれるのが怖くて、去られるのが怖くて、切なる願いをその瞳に込めて。

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