様々な視線を気にすることなく、真希は贈り物を受付に預けると、静かな隅の席に腰を下ろした。
佳穂は駆のパートナーとして、当然ながら彼と共に社交の場を回ることになる。
出発前に、佳穂は真希のために一皿分の料理を持ってきてくれた。
「ここで待っててね。すぐ戻るから。」
皿の上にはフルーツやお菓子が山のように盛られており、両手でやっと持ち上げられるほどだった。真希は思わず苦笑する。
「まるで私を子ブタみたいに餌付けしてるみたいじゃない?」
手術後の真希は食欲がなく、たまに何か口にしてもすぐ吐いてしまうことが多かった。
佳穂はそんな真希を見ていつも心を痛めていたが、医者からはしっかり食事を摂るようにと言われている。
無理にでも食べなければ、体がどんどん弱ってしまい、せっかくの手術の意味もなくなってしまう。
そのため、佳穂は家にさまざまなスイーツや果物を用意し、あの手この手で真希に食べさせようとしていた。
真希に食べ物を勧めるのは、もはや佳穂の日常の一部となっており、真希を見るとまずは何か食べさせなきゃ、と反射的に思ってしまう。
「今朝は、ラーメンを食べたの。」
この一言の重みを理解できるのは、佳穂だけだった。
名門・黒澤家のお嬢様である真希が、どんなご馳走も食べ慣れているはずなのに、ラーメンでこんなに嬉しそうにするなんて。
本当に、久しぶりにまともに食事を摂れたのだ。
佳穂は真希をそっと抱きしめる。
本当によかった、助かったんだ、本当によかった……
真希は佳穂を軽く押し返す。
「もう、早く行ってきて。私はここでちゃんと待ってるから、どこにも行かないよ。」
「うん。」
佳穂はドレスの裾を持ち上げ、しっかりした足取りで駆の元へと向かった。
二人が人混みの中へ消えると、真希は少し退屈になり、バッグからスマートフォンを取り出してパズルゲームを始めた。
会場には音楽や人々の会話があふれている。
時折知り合いが近づいてきては挨拶をしてくるが、その話はどれも探りを入れるようなものばかりだ。
今の真希と拓海の関係はどうなのか、拓海と小雪の関係は?
などなど、うんざりするほど同じような質問が続く。
真希は表情を崩さず、巧みに受け答えをしながらも、内心では今日兄が来ていないことに安堵していた。
もし兄がターゲットにされたら、自分の秘密も隠しきれなかっただろう。
だが、一度死線をさまよったことで、こうした形だけの付き合いにはすっかり疲れてしまった。
ようやくみんなが去り、真希は深く息をついて、バルコニーで少し風に当たろうと立ち上がった。
ちょうどその時、二人の人影が連れ立ってこちらに近づいてくる。
五十代くらいの男性は体型も引き締まっており、穏やかな笑みを浮かべている。
その隣には真紅のドレスに身を包み、首には眩しいほど大きなダイヤのネックレスを下げた女性。
もともと整った顔立ちだったが、その宝石が逆に派手すぎて、まるでメモをたくさん貼り付けられた孔雀のように見えた。
そのジュエリーは、以前江藤家で見たことがあり、数千万円は下らない代物だ。
「真希。」
声をかけてきたのは、木村凛と、その父で木村家の当主・木村剛だった。
年齢からして「真希」と呼ぶのも不自然ではないが、黒澤家と木村家はかつて競い合ってきた関係だ。
表向きは当たり障りのない社交辞令を交わしていたが、黒澤家が勢力を拡大すると、木村家は陰でさまざまな嫌がらせを仕掛けてきた。
しかも、両家は真希と木村凛が犬猿の仲であることも知っている。
学生時代には二人の騒動で親たちが何度も頭を下げに来たこともあるほどだ。
そんな中でのこの親しげな呼び方、真希としては警戒せざるを得ない。
真希は軽く微笑みながらも、距離を置いて「木村社長」と呼びかけた。
木村剛はその呼びかけをまるで聞かなかったかのように、真希をじっと見つめる。
白の上品なドレスはまるで往年の貴族のようで、かつて「薔薇」と呼ばれた華やかさが、今は静かな月光のような気品に変わっている。
重い病を患い、痩せてしまってもなお、人を惹きつける魅力は失われていなかった。
これだけのことがあっても、彼女を忘れられない人がいるのも無理はない。
木村剛は笑いながら真希を指差した。
「もう私たちのことを根に持ってるのかい?『叔父さん』とも呼んでくれないとは。」
真希は会場でも注目の的の一人であり、今夜のホストである江藤家の将来の親戚として、木村親子もまた、周囲から一目置かれている。
そんな二人が真希に声をかけ、しかもその声が会場に響き渡ったことで、その一帯は一気に静まり返った。
みんな、拓海の婚約者と元妻がどんなやり取りをするのか、興味津々だった。
真希は目立たないように、入場してからずっと静かにしていたのに、なぜ彼らは自分を放っておいてくれないのか。
そう思い、真希は声を抑えず、はっきりと答えた。
「木村社長、冗談はやめてください。私が木村家を恨む理由なんてありませんよ。」
そんなレッテルを貼られたら、自分も黒澤家も評判を落としかねない。
木村剛の言葉には裏がある。
「最近、君と凛が少し揉めたと聞いたよ。あれはうちの凛が悪かった。もうきつく言っておいたから、凛のことは許してやってくれないか。」
周囲の人々は、この発言から大事な情報を探る。
拓海の婚約者と元妻が揉めていた?原因は拓海なのか?
真希はあくまで礼儀正しく、笑顔を崩さない。
髪を引っ張ったり、平手打ちまでしたことを「少し揉めた」と表現し、あたかも真希が凛に難癖をつけたように印象づける。
上流社会の人間は、言葉巧みに自分に不利な出来事を美談に仕立て上げるのが得意だ。
今こうして木村剛が謝罪の言葉を口にすると、事情を知らない人は、まるで真希が木村凛をいじめたかのように受け取ってしまう。
木村家は自分の娘を叱り、わざわざ謝罪にまで来た。これで体面も評判も手に入れることができる。
真希は思わず吹き出した。
周囲はその理由が分からず、戸惑いの表情を見せる。
「何がおかしいの!」
木村凛が苛立ちを隠さず口を開く。眉間には明らかな敵意が浮かんでいる。
さきほど父親に連れられて真希に謝りに行くと聞かされた時から、凛は納得できずにいた。
これからは自分が拓海の妻、江藤家の若奥様になるのに、真希に謝るなんて立場が逆だと思っていた。
それでも父親の意向で大人しく従っていたが、真希のその笑いに、つい我慢しきれなくなった。
真希は冷ややかに凛を一瞥し、木村剛に視線を移す。
「本当に驚きましたよ。いきなり“私が木村家を恨んでる”なんて言い出すから、てっきり最近また何か後ろ暗いことでもやったのかと思いました。」
木村剛の表情がさっと険しくなる。
この娘、なかなか口が達者だ。
真希は口元に冷笑を浮かべる。
年寄りだからといって、侮らないでほしい。
自分は、木村凛のようなお気楽な女じゃないから。