「つまり、凛が、拓海に頼って私に挑発してきたり、私に平手打ちして暴言を吐いたことを言ってるなら、安心して、これは私と凛の間の問題だから、木村家全体のことにするつもりはない。でも、もし木村家が木村凛の肩を持つって言うなら、話は別よ。」
真希の言葉は、遠慮のかけらもなかった。
木村凛の行動をその場のみんなに明かし、彼女の評判を大きく傷つけるだけでなく、木村家に明確な態度を迫ったのだ。
もし木村家が何も言わなければ、凛を庇うつもりだと見なされ、真希に対して大人げなく振る舞ったと世間から非難されるだろう。
逆にきちんと表明すれば、凛の非を認めたうえで彼女をかばわないという意味になる。
どちらに転んでも、木村家にとっては損しかない。
年功や立場を振りかざして、力で押し切れると思ったのか。
黒澤家が海外に拠点を移したからといって、私が簡単にやられるはずがないのに。
夢でも見てなさい。
「ははっ、真希さん、冗談がうまいですね。私たち木村家は、昔から誠実で公正な家柄です。どうか誤解しないでくださいよ。」
木村剛は商売の世界で生き抜いてきた老獪な人物。冷静に話題をそらし、返事をはぐらかした。
真希の目には、軽蔑の色が浮かぶ。
「私もそう思ってましたよ。木村社長のような立派な方なら、きっと公正に対応してくださるはず。だからこそ、凛が私に迷惑をかけたことを知って、彼女を連れて謝りに来てくださったんですよね?」
真希はにこやかに凛へウインクしてみせた。
凛の方は、最初から不満げで、早くこの場を切り抜けて拓海を探しに行きたがっていた。
小雪が思いがけず戻ってきたことで、決まっていた婚約がどうなるか不安で、目の前のやり取りもろくに意識していなかった。
だが、真希の最後の一言だけは、あからさまな挑発に聞こえた。
争いの当事者である凛は、真希が「謝れ」と言った言葉だけをはっきりと聞き取った。
思わず、反射的に口に出す。
「謝る価値もないわ!」
その一言で、真希の笑みは消え、視線を木村剛に向けた。
木村剛は、もともと真希に一泡吹かせてやろうと思っていた。
しかし、やり取りの中で完全に主導権を握られ、挙げ句の果てに凛の不用意な発言で追い込まれてしまった。
もし凛が素直に謝っていれば、まだ木村家の評判を保てたかもしれないのに、この愚かな娘は人前で暴言を吐く始末。
木村剛の表情が険しくなった。
もしこれが人前でなければ、凛を平手打ちしていたかもしれない。
同い年でも、真希の方がはるかに落ち着いていて、凛はいつもその差に苦しめられてきた。
「謝りなさい!」
剛の一喝が響く。
「お父さん、私が娘なのに、どうして他人の味方をするの?」
剛は、鋭い目で凛を睨む。
幼い頃から父を恐れてきた凛は、渋々頭を下げるしかなかった。
「ごめんなさい。」
だが、心の中では到底納得できず、低い声で悔しさをにじませる。
「真希、調子に乗らないで。勝つのはどっちか、見てなさい。」
そう吐き捨てるように真希の肩をぶつけ、ドレスの裾を掴んでその場を去った。
この屈辱、いつか必ず晴らしてやる。覚えていなさいよ、真希!
真希は、凛の捨て台詞などまったく気に留めなかった。
ここは相手の庭なのだから、ほどほどにしておくべき。
「若くていいね、ほんとによく喋る」
木村剛が皮肉っぽく言う。
「木村社長にはかないませんわ。」
真希も負けじと返す。
木村剛は鼻で笑い、そのまま立ち去った。真希は心底疲れを感じた。
周囲の人々も、騒動が終わるとそれぞれの場所に戻っていった。
やっと一息つけた真希は上着を羽織り、外の空気を吸いにバルコニーへ出た。
背後から落ち着いた足音が聞こえる。
「疲れた?」
穏やかな声だった。
振り返ると、金縁眼鏡の奥で、微笑む目と目が合った。
「宮崎さん……あなたもいたのね。」
今日の宮崎明は、白いシャツに黒いパンツというシンプルな格好で、パーティーに来たとは思えない雰囲気だった。
彼はグラスに入ったジュースを真希に差し出し、隣に立つ。
「ありがとう。」
真希は受け取ったものの、口をつけることはなかった。
「大丈夫、安全だから」
それでも真希は微笑むだけで、彼に対する警戒心は消えなかった。
あの日、本当は何があったのか、いまだに確信が持てなかった。
「この前、君を催眠にかけたんだ。」
宮崎明は静かに説明した。
真希は、彼がどうやって自分を催眠状態にしたのか、その時のことを思い出そうとした。
彼が眼鏡を外し、じっと見つめてきたこと――そこから先の記憶が途切れている。
まさか、視線だけで?そんなことができるなんて、信じがたい。
「許可も取らずにごめんね。少し強引だった。でも君は警戒心が強すぎて、こうでもしないと心の奥に入れなかった。助けることもできなかったんだ。」
あくまで淡々と語る彼に、真希は反発を覚えた。
「自分が救世主とでも思ってるの?この世の病人すべてを救うつもり?」
冷たい口調で言い返す。
宮崎はしばらく黙り込むと、低く静かな声で口を開いた。
「昔、恋人がいたんだ。」
その話が何になるのかと、真希は思う。
「彼女は捜査官で、ある任務で失敗し、組織に捕まって大量のドラッグを打たれた。」
真希を見かけた瞬間、心臓がどきりと跳ねた。
自分の恋人と同じように薬物を注射された経験があるからだ。
「必死で彼女を助けて、やっとの思いで薬物依存から救い出し、体の傷もすべて治した。」
彼の声に、ふっと安堵しかけたその時――
「でも、結局彼女は死んだ。」
「どうして?」
真希は思わず問い返す。体も治ったのに、なぜ――
「自殺だった。心の問題が残っていたんだ。」
宮崎明は横顔のまま、深い痛みをたたえた瞳で真希を見る。
「僕たちは彼女の身体だけに気を取られて、監禁された間に彼女がどれほどの地獄を味わったのか、まったく気づかなかった。」
「救出された時、彼女の体には無数の傷があった。でも目覚めて最初に言ったのは『大丈夫』だった。みんなを安心させようとして、痛みなんて感じていないふりをして。それを僕は真に受けて、彼女の笑顔があんなに色あせていることにも気づかなかった。結局、僕の不注意で、彼女は病院の屋上から身を投げてしまった。」
真希はその場で固まったまま、宮崎明の横顔を見つめる。言葉に抑えきれない震えが混じっていた。
彼の横顔には、あの日の絶望が刻まれていた。
「君は、彼女によく似ている。」