彼は知らないのだろうか。自分がもうすぐ拓海の妻、江藤家の未来の女主人になるということを。
私を怒らせれば、お前を日本から消してしまうことだって簡単なのに!
一体どこの誰なの?よくもまあ、こんな風に私に挑戦してくるものだわ。
木村凛は宮崎明をじっと観察した。
彼の身なりは明らかに上品だが、その顔には見覚えがなかった。
この東京の上流階級の御曹司たちなら、ほとんど顔は知っている。
目の前のこの男にはまったく心当たりがない。
もしかして、自分の考え違い?
本当は真希が連れてきたホストだったりして?
いや、真希ならやりかねない。あんなにプライドの高い人間だもの。
夫を私に奪われて、きっと悔しくてたまらないはず。
ホストでも雇って見せつけようとしたのかもしれない。
それなら納得できる。
木村凛は自分の推測に納得し、真希がそんな恥ずかしい真似をしたことが許せなかった。
こんなことで済ませてたまるものか。
「まあ!」
木村凛はわざと声を上げて、周囲の注目を集めた。
「真希、ホストなんて連れてパーティーに参加するなんてどういうつもり?パートナーが見つからなかったからって、ホストに頼むなんて…
あなたの気持ちはわかるわよ。私が拓海と結婚することを妬んでるんでしょ?でも、そんなことで見栄を張る必要なんてないのに。笑ったりしないから。」
ホストだって?
この人が?
真希と宮崎明は互いに目を合わせ、そこにかすかな笑みが浮かんだ。
宮崎明にとって、ホストと間違われるのは生まれて初めてのことだ。
真希は説明しようとしたが、宮崎明に制された。
「木村さん、なぜ私がホストだと思うのですか?」
理由?それは彼が見知らぬ顔だからに決まっている。
「だったら、どこの家の人間か言ってみてよ。あなたの名前は?」
宮崎明は素直に答えた。
「江藤家の者です。」
「今なんて?」
木村凛は鼻で笑った。どこかの名家の遠い親戚だとでも言い張るかと思いきや、まさか江藤家を騙るとは。
これは自滅も同然!
「ここで、江藤の姓を持つ名家は一つだけよ。」
彼女は隣の拓海を見やる。その意味は明らかで、拓海の家のことだ。
「あなた、私の婚約者と同じ家だって言いたいの?」
「もしかしたら、そうかもしれませんね。」
木村凛は思わず吹き出しそうになった。
拓海の家族構成はとっくに調べてある。
拓海は長男で、兄はいない。目の前のこの男は、どう見ても拓海より年上だ。
まさか、江藤家のご当主の隠し子だとでも言いたいの?そんなこと、あり得る?
真希もよくこんな馬鹿を連れてきたものだ。江藤家を騙るとは!
「皆さん、聞きました?この人、自分は江藤家の人間だって言うのよ。私の記憶違い?江藤家にこんな人いました?見たことある?」
その場の視線が一斉に静かな拓海へと向けられ、誰もが木村凛に同調した。
「見たことないわ。」
「私も。」
「確か、江藤家の今の代は拓海さん一人だけのはず。それにこの方、どう見ても拓海さんより年上だし。」
みんなが集まってヒソヒソと話し始める。
「でも…なんとなく江藤家の方だと名乗るこの人、拓海さんと雰囲気が似てる気が…」
周囲の賛同が、木村凛をますます勢いづかせた。
隣に拓海がいる以上、もしこの男が江藤家の人間なら、とっくに拓海が話しているはずだ。
でも、ここまで何も言わない。
それが何よりの証拠じゃない!
ああ、今日は本当に愉快だわ。真希がこんなにも恥をかく場面を見られるなんて、最高!
「真希、子供が産めないからって、こんなふうになっちゃダメよ。」
木村凛は真希に冷ややかに言い放つ。
「ホストなんて、よく手を出せるわね。」
木村凛はふと何かを思いついた。
「せっかくのご縁だし、うちの叔父の息子、つまり私の従兄なら、あなたにお似合いだと思うわ。叔父の家はうちほどじゃないけど、資産もあるし、嫁いだらちゃんと家と従兄を支えてあげればいいのよ。」
「ねえ拓海、どう思う?」
だが、拓海の意識は木村凛にも宮崎明にも向いていなかった。
さっきの会話から、彼が気にしたのはたった一つのことだけ。
「子供が産めないって、どういう意味だ?」
真希が子供を産めない。
それは、これで二度目に聞く言葉だ。最初はクラブで、木村凛が真希と口論したとき、思わず口にした。
そしてそのときの真希の落ち込んだ様子を思い出す。
だが、彼女はその場で一言も否定しなかった。
今回も否定しない。つまり、それが事実だと認めているということか。
拓海には、これがとても重要なことのように思えた。
それも、自分にとっても関係があるような気がしてならない。
木村凛も、自分で自分の首を絞めたことに気づいていなかった。
拓海が自分に同調してくれると思ったのに、なぜ真希が子供を産めるかどうかにこだわるのか。
そんなことどうだっていい。むしろ、子供が産めない方が都合がいいのに。
今一番大事なのは、真希を早く嫁に出すこと。真希が独身のままだと、木村凛は不安で仕方がなかった。
最近、拓海が真希との過去を調べているという噂も聞いた。もし、あの日々の記憶を取り戻したら…絶対に自分のもとを離れてしまう。そんなの、絶対に許せない。
ただ、あまりにも愚かだった。
真希を誰かと結婚させればすべて解決すると思っていたけれど、拓海のような人なら、たとえ真希が他の男と結婚しても、簡単に真希を取り戻せる。
よほどの力がなければ、太刀打ちできない。
木村凛の従兄など、到底拓海の相手にはならない。
「拓海、こんなに人がいるんだし、他人のプライベートなことを公の場で話すのはやめましょう。こんなこと、噂になったら真希さんが可哀想よ。」
話題を切り上げたくて仕方がなかった。
もし拓海が真希の不妊を知って、失われた記憶が蘇ったりしたら、夢見てきた拓海との結婚がすべて消えてしまう。
今ここで、絶対に拓海が追及するのを止めなければ。
「拓海…」
そう言って、彼の腕に手を伸ばす。
しかし、拓海は冷たい視線でそれを拒んだ。
彼の穏やかな表情の奥には、今にも木村凛を飲み込まんとする激しい感情が渦巻いていた。
「君が言い出したことじゃないのか?」
「わ、私…」
木村凛は震え、言い逃れできなかった。
確かに、多くの人の前でわざと真希が子供を産めないことを暴露したのだ。
みんなに知ってほしかった。
真希が“使い物にならない女”だと知らしめ、名家たちから拒絶され、孤立し、足元にひれ伏すのを見たかっただけ。
だが、予想外だったのは、拓海が真希を拒絶するどころか、真相を問い詰めてきたことだった。
ムッとした木村凛は、真希を睨みつける。
全部真希のせいだ。父が黒澤家に招待状を送ったとき、止めるべきだったのに!
拓海は真希をじっと見つめ、低い声で言った。
「答えてくれ。」
時には、真希は拓海が羨ましくなる。記憶を失って、すべての罪や痛みを忘れ、今またこうして自分の前に立ち、真実を答えろと命じてくる。
でも、どうして彼の言いなりにならなきゃいけないの?