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第86話


彼は知らないのだろうか。自分がもうすぐ拓海の妻、江藤家の未来の女主人になるということを。

私を怒らせれば、お前を日本から消してしまうことだって簡単なのに!


一体どこの誰なの?よくもまあ、こんな風に私に挑戦してくるものだわ。


木村凛は宮崎明をじっと観察した。

彼の身なりは明らかに上品だが、その顔には見覚えがなかった。


この東京の上流階級の御曹司たちなら、ほとんど顔は知っている。

目の前のこの男にはまったく心当たりがない。

もしかして、自分の考え違い?

本当は真希が連れてきたホストだったりして?

いや、真希ならやりかねない。あんなにプライドの高い人間だもの。


夫を私に奪われて、きっと悔しくてたまらないはず。

ホストでも雇って見せつけようとしたのかもしれない。

それなら納得できる。


木村凛は自分の推測に納得し、真希がそんな恥ずかしい真似をしたことが許せなかった。

こんなことで済ませてたまるものか。


「まあ!」

木村凛はわざと声を上げて、周囲の注目を集めた。


「真希、ホストなんて連れてパーティーに参加するなんてどういうつもり?パートナーが見つからなかったからって、ホストに頼むなんて…


あなたの気持ちはわかるわよ。私が拓海と結婚することを妬んでるんでしょ?でも、そんなことで見栄を張る必要なんてないのに。笑ったりしないから。」


ホストだって?

この人が?


真希と宮崎明は互いに目を合わせ、そこにかすかな笑みが浮かんだ。

宮崎明にとって、ホストと間違われるのは生まれて初めてのことだ。


真希は説明しようとしたが、宮崎明に制された。


「木村さん、なぜ私がホストだと思うのですか?」


理由?それは彼が見知らぬ顔だからに決まっている。


「だったら、どこの家の人間か言ってみてよ。あなたの名前は?」


宮崎明は素直に答えた。


「江藤家の者です。」


「今なんて?」


木村凛は鼻で笑った。どこかの名家の遠い親戚だとでも言い張るかと思いきや、まさか江藤家を騙るとは。

これは自滅も同然!


「ここで、江藤の姓を持つ名家は一つだけよ。」


彼女は隣の拓海を見やる。その意味は明らかで、拓海の家のことだ。


「あなた、私の婚約者と同じ家だって言いたいの?」


「もしかしたら、そうかもしれませんね。」


木村凛は思わず吹き出しそうになった。

拓海の家族構成はとっくに調べてある。

拓海は長男で、兄はいない。目の前のこの男は、どう見ても拓海より年上だ。


まさか、江藤家のご当主の隠し子だとでも言いたいの?そんなこと、あり得る?


真希もよくこんな馬鹿を連れてきたものだ。江藤家を騙るとは!


「皆さん、聞きました?この人、自分は江藤家の人間だって言うのよ。私の記憶違い?江藤家にこんな人いました?見たことある?」


その場の視線が一斉に静かな拓海へと向けられ、誰もが木村凛に同調した。


「見たことないわ。」

「私も。」

「確か、江藤家の今の代は拓海さん一人だけのはず。それにこの方、どう見ても拓海さんより年上だし。」


みんなが集まってヒソヒソと話し始める。


「でも…なんとなく江藤家の方だと名乗るこの人、拓海さんと雰囲気が似てる気が…」


周囲の賛同が、木村凛をますます勢いづかせた。

隣に拓海がいる以上、もしこの男が江藤家の人間なら、とっくに拓海が話しているはずだ。

でも、ここまで何も言わない。

それが何よりの証拠じゃない!


ああ、今日は本当に愉快だわ。真希がこんなにも恥をかく場面を見られるなんて、最高!


「真希、子供が産めないからって、こんなふうになっちゃダメよ。」


木村凛は真希に冷ややかに言い放つ。

「ホストなんて、よく手を出せるわね。」


木村凛はふと何かを思いついた。


「せっかくのご縁だし、うちの叔父の息子、つまり私の従兄なら、あなたにお似合いだと思うわ。叔父の家はうちほどじゃないけど、資産もあるし、嫁いだらちゃんと家と従兄を支えてあげればいいのよ。」


「ねえ拓海、どう思う?」


だが、拓海の意識は木村凛にも宮崎明にも向いていなかった。

さっきの会話から、彼が気にしたのはたった一つのことだけ。


「子供が産めないって、どういう意味だ?」


真希が子供を産めない。

それは、これで二度目に聞く言葉だ。最初はクラブで、木村凛が真希と口論したとき、思わず口にした。

そしてそのときの真希の落ち込んだ様子を思い出す。

だが、彼女はその場で一言も否定しなかった。


今回も否定しない。つまり、それが事実だと認めているということか。


拓海には、これがとても重要なことのように思えた。

それも、自分にとっても関係があるような気がしてならない。


木村凛も、自分で自分の首を絞めたことに気づいていなかった。

拓海が自分に同調してくれると思ったのに、なぜ真希が子供を産めるかどうかにこだわるのか。


そんなことどうだっていい。むしろ、子供が産めない方が都合がいいのに。


今一番大事なのは、真希を早く嫁に出すこと。真希が独身のままだと、木村凛は不安で仕方がなかった。

最近、拓海が真希との過去を調べているという噂も聞いた。もし、あの日々の記憶を取り戻したら…絶対に自分のもとを離れてしまう。そんなの、絶対に許せない。


ただ、あまりにも愚かだった。

真希を誰かと結婚させればすべて解決すると思っていたけれど、拓海のような人なら、たとえ真希が他の男と結婚しても、簡単に真希を取り戻せる。

よほどの力がなければ、太刀打ちできない。


木村凛の従兄など、到底拓海の相手にはならない。


「拓海、こんなに人がいるんだし、他人のプライベートなことを公の場で話すのはやめましょう。こんなこと、噂になったら真希さんが可哀想よ。」


話題を切り上げたくて仕方がなかった。

もし拓海が真希の不妊を知って、失われた記憶が蘇ったりしたら、夢見てきた拓海との結婚がすべて消えてしまう。

今ここで、絶対に拓海が追及するのを止めなければ。


「拓海…」

そう言って、彼の腕に手を伸ばす。


しかし、拓海は冷たい視線でそれを拒んだ。


彼の穏やかな表情の奥には、今にも木村凛を飲み込まんとする激しい感情が渦巻いていた。


「君が言い出したことじゃないのか?」


「わ、私…」

木村凛は震え、言い逃れできなかった。

確かに、多くの人の前でわざと真希が子供を産めないことを暴露したのだ。


みんなに知ってほしかった。

真希が“使い物にならない女”だと知らしめ、名家たちから拒絶され、孤立し、足元にひれ伏すのを見たかっただけ。


だが、予想外だったのは、拓海が真希を拒絶するどころか、真相を問い詰めてきたことだった。


ムッとした木村凛は、真希を睨みつける。

全部真希のせいだ。父が黒澤家に招待状を送ったとき、止めるべきだったのに!


拓海は真希をじっと見つめ、低い声で言った。


「答えてくれ。」


時には、真希は拓海が羨ましくなる。記憶を失って、すべての罪や痛みを忘れ、今またこうして自分の前に立ち、真実を答えろと命じてくる。


でも、どうして彼の言いなりにならなきゃいけないの?



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