# “男装女子”はどこへ消えたのか──視覚メディアにおける“中性美”の興亡とジェンダー規範の再編成
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## 第1章 はじめに──消失した“中性美”の違和感
90〜00年代、アニメや漫画、少女誌・少年誌を問わず「男装女子」は視覚メディアの主要な表象ジャンルでした。代表例として『美少女戦士セーラームーン』(天王はるか)や『少女革命ウテナ』(天上ウテナ)、宝塚系ヒロインに至るまで、中性的装いと女性性の融合は幅広い読者・視聴者に支持されました。
それが2020年代に入ると、こうした「男装+女性」のキャラは姿を消し、“ボーイッシュ”“姉御タイプ”といった要素に分解され、純粋な中性美ではなくなっていったように見えます。本論ではこの変化こそ、“中性美”的表象の興亡とジェンダー規範の再編を象徴すると考え、なぜ消えたのか、代替として何が台頭しているのかを探ります。
問いは以下の三点です:
1. なぜ「男装女子」はかつて支持されたのか?
2. なぜ今は敬遠/分断されているのか?
3. それはジェンダーに対するメディアと社会の構造变化を反映しているのではないか?
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## 第2章 中性美の形成期──宝塚から90年代アニメへ
### 2.1 宝塚歌劇における男役観
宝塚男役は過剰に女性的でありながら性別の境界を超える存在でした。美しく硬質なフェミニンさと、強さ・包容力を兼ね備えるその表象は、少女たちにとって“男性とは違う自分の憧れ”を映す鏡でした。
### 2.2 90〜00年代アニメにおける中性性
この文脈がアニメに流用されたのが、『はるか/ウテナ』型のキャラたち。『セーラームーン』の天王はるかは高身長・ショートカット・スーツ路線で、感情表現はタフだが内面は優しい。『ウテナ』のウテナは学園革命の“王子”として描かれ、伝統や権力、青春の欲望と絡む象徴的中性性を示します。
この時代、中性美は「女性が憧れ、男性が憧れる異性愛対象でもある」表象として成功していました。
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## 第3章 消費構造と支持基盤の分析
### 3.1 少女誌における理想と読者投影
少女漫画において“男装女子”は、「憧れ」「包容」「友情」「可能性」の全てを併せ持つ存在として機能しました。読者は彼女たちに自己投影しつつ、異性のように恋する構造が受容されました。
### 3.2 男性向けアニメやBLとの接点
一方、男性向けアニメでは「ボーイッシュに見えてスーツ着てても胸ある女キャラ」「姉的存在」「姉後輩」などが、女性エロにおける“安全な郷愁”要素として登場。BL・百合との境界で自己表象を探す読者も多数いました。
これら作品はキャラクター人気ランキングを賑わせ、キャラグッズも大量展開。まさに商業・ファン消費の流行期でした。
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## 第4章 衰退する理由とメディア環境の変遷
### 4.1 表象の細分化と萌え属性化
00年代後半から“男装”は「ショートカット」「ボーイッシュ」「姉御キャラ」など細分化され、「中性美」ではなく女性属性の派生として扱われるようになります。純粋な“中性”の掴みどころが失われ、可愛さや姉属性に代替されるフェイク中性が主流に。
### 4.2 同性婚・ジェンダー開放下での“売りにくい曖昧性”
現実社会で男性同士の恋も法的認可され女性の選択も多様化するなか、中性的存在は「男性でも女性でもない曖昧さ」が商業においてリスクと見なされやすくなりました。特に男性向け作品では中性性鮮明なキャラより「可愛い女の子」の方が消費しやすい状況が優勢に。
### 4.3 異性愛マーケットの復権
アニメ・ゲーム市場の収益モデルが回復して以降、「ヒロインは女性らしさ重視されるべき」という構造的回帰が強まり、中性美は商品設計上割愛されやすい立場となりました。
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## 第5章 中性性の変遷:代替と再構築
### 5.1 男の娘・フェミ少年の台頭
代替されたのは「男装女子」ではなく、言語上で“男が女性に寄せる姿”であり、客観的ジェンダー役割の翻覆です。男性キャラが中性的に振る舞う「男の娘」「フェミ少年」ジャンルが商業・同人を席巻し、これが新たな中性性の象徴に置き換わられました。
### 5.2 VTuber時代のジェンダーインタラクション
VTuberでは中性性を超えた多様な表象が可能となりましたが、そこには身体よりも“キャラとしての存在感”が重視され、「中性的な女の子」はまたもや中性よりも“癒せるアイドル”として再配置されました。
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## 第6章 視覚メディアとジェンダー規範の再編成
消失の背後には、視覚媒体に求められる「分かりやすさ」「願望の反射」「取引可能性」が存在しました。中性美はジェンダー規範の中で「わかりにくい」「扱いにくい」とされ、段階的に排除されていったと考えられます。
また一方で、「男装女子が減った」ことは「多様性が縮小した」というよりも、「異なる多様性(男の娘やクィア表象)が進化した」と捉えることが可能です。
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## 第7章 筆者の視点──消えた中性美への遺失感
かつて天王はるかや刑事風美少女、少年制服の女の子に胸を打たれた身として()、“中性の自由さ”が失われたことに喪失感を抱いています。ジェンダー規範の再編成は時代とともに起こるものですが、「中性美」は唯一無二の美学だったという喪失はリアルです。
私はそこに、「女性であるまま強さと包容を同時に受け止めたい」という夢の延長線を見ています。それが消えたのは、娯楽商品としていよいよ「女の子」の輪郭が質的に強化される時代性によるものなのでしょう。
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## 第8章 結論と今後の展望
- **男装女子の消失は、ジェンダー規範の明快化・消費モデルの単純化と一致している**
- **中性美を望んだ読者・視聴者の内側には、今もその感性を求める欲望が残っている**
- **その余白を埋めるのが「男の娘」「フェミ少年」など、新たな“曖昧性”である**
未来において中性美が復活するには、“女性でも男性でもない”曖昧性が再び商業として扱えるような文化的潮流が必要です。視覚表象は、取り扱われるジェンダーを映す鏡である以上、これを問い直すこと自体が、私たちの性の選択肢と自由の再評価につながるのではないでしょうか。
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### 参考文献
- タカラヅカ歌劇検証書、天王はるか・ウテナ作品資料、BL論集、少女漫画研究誌
- ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』
- 東浩紀『動物化するポストモダン』
- カタログ:VTuber論文、クィアメディア研究