ゆっくりと開く扉、そこには俺の最愛の人が居る…。
「アーデルハイト、ついて来い。」
王太子殿下にそう言われて俺は頭を下げ、従う。
「はい、殿下。」
殿下は今日も颯爽と歩く。風になびく髪、後ろに控えて一緒に歩くだけで、香るほのかな爽やかな香り…。お守りしなければ、何としてでも。
殿下が向かわれたのは騎士団の訓練場だった。時折、殿下は自ら、騎士団の訓練場に来ては自身も騎士たちに混ざり、訓練をされる。殿下も騎士たちに負けず劣らずその腕は確かだ。俺は殿下のすぐ傍に控え、様子を見守る。
俺が殿下に召し上げられたのは、もう何年も前だ。伯爵家の次男坊で、家督は兄が継ぐ事が既に決まっている。俺はそのまま伯爵家の次男として嫡男である兄を支えながら、屋敷の傍にまた別の屋敷を建て、結婚しても良かったのだが、俺はその道を選ばなかった。俺は剣の腕を磨き、騎士団に入団し、王国騎士団で生きて行く事を決めたのだ。そうは言っても、皆、適齢期には婚約をして、政略結婚であろうと、身を固めていくのが普通だったが、俺はその選択肢を排除し、一生、騎士団の一員として、生きて行くと決めていた。婚約の申し入れは後を絶たない。でもそれは俺が殿下に召し上げられたからだ。殿下の傍付きにもなれば、それは騎士団の中でも高位、更に言えば王宮内でも指折りの、いわば高官だ。その婚約者や、伴侶ともなれば、引く手数多なのは誰もが知っている事だ。
だが、俺は誰からの申し入れも受け入れて来なかった。それは俺が忠誠を誓い、そして密かに愛を誓っているのが他の誰でも無い、殿下お一人だからだ。
初めて殿下をお見かけしたのは騎士団に入ってからだ。騎士団に入って、俺は毎日、剣の腕を磨き、ただひたすらに騎士としての日々を送っていた。伯爵家の次男坊とは言え、騎士団に入ってしまえば、爵位など、何の役にも立たない。ここは実力主義の世界だ。剣の腕が立つ者が上へ行く。現に騎士団長を務めているカーティスは若くして騎士団長になったが、元々の爵位は男爵だ。そんな男所帯の中、俺は剣の腕を磨き、ただひたすらに上を目指した。そして騎士団の中で上位に入るようになり、王太子殿下の目に留まった。殿下の目に留まったのは幸運だった。
その時の事は今でも鮮明に覚えている。
騎士団の訓練の最中、急に呼び出しを受けた俺は、カーティスに連れられ、騎士団の宿舎の中にある一室に入った。
「お連れ致しました、殿下。」
入った瞬間、部屋の真ん中に居た人物に目が吸い寄せられる。長い金髪の髪、澄んだ碧眼、その佇まいだけで、その場に居る全員を圧倒する存在感。
「アーデルハイト、と言ったか。」
殿下に見惚れていた俺はハッとして、頭を下げる。
「王国の星、テオファーヌ王太子殿下にご挨拶申し上げます。」
俺が慌ててそう言ったのがおかしかったのか、殿下がクスっと笑う。
「アーデルハイト・デュメリー。頭を上げろ。」
そう言われて俺は顔を上げ、殿下を見る。殿下は微笑んで言う。
「気に入った、今日からお前は私の傍付きにする。」
その一言で俺は殿下の付き人となった。
◇◇◇
それからは殿下の行く先々に護衛をしながら付き従うようになった。殿下はそのお立場ゆえに、清廉潔白で高潔に振る舞わなければいけなかったが、俺と二人で居る時には、リラックスしてくださるようになった。
そして。
俺が自分の気持ちを自覚した最初の出来事が起こる。それは何気ない日常の中にあった。
その日、俺は殿下に付き従い、領地への視察に行った。王都から近い事もあって、付き人は俺だけ。それ以外には護衛騎士が何人か付いて来た。王都から近い領地だったが、急な雨に見舞われて、その領地を治めている領主の家に厄介になる事になった。普段は殿下の居る部屋には立ち入らないが、その日は殿下が俺を呼んだ。
「お呼びでしょうか、殿下。」
そう聞くと殿下はおもむろに来ていたシャツを脱いだ。目の前に殿下の裸体の上半身が入る。俺はハッとして目を伏せる。
「何故、下を向く?」
そう聞かれ俺は下を向いたまま言う。
「殿下のあられもないお姿を見る訳には…」
そこまで言うと殿下が笑う。
「そうか、でもそれでは私が困る。」
そう言われて俺は聞く。
「お困りになるのですか?」
殿下は歩き出して言う。
「あぁ、湯浴みをしたいからな。」
通常であれば、殿下の湯浴みは殿下お一人でされる。それは王宮での整った浴場での事だ。ここは領主の館。それ程、浴場が整っている訳では無さそうだった。それならば、付き人である俺がお手伝いをするのは至極、真っ当な事だ。殿下に続いて、浴場に入る。殿下は湯船に入っていた。俺は失礼致しますと言ってから、殿下の髪に湯をかけ、流す。
「あぁ、気持ち良いな…」
目を閉じ、そう言う殿下を意識しながら、俺は全神経を殿下の髪に集中させる。
「アーデルハイト。」
呼ばれて俺は返事をする。
「はい、殿下。」
殿下は俺に髪を梳かれながら、言う。
「お前ももっと楽にして良いぞ。」
そう言われてそれが何を意味するのか、分からない。何も言わないでいると、殿下が言う。
「ここには私とお前しか居ないんだ。」
そう言いながら殿下が振り向き、俺に手を伸ばす。
「もっと素直になって良い…」
そう言いながら殿下が俺の頬を撫でる。自分でも顔が真っ赤になっているのが分かる。それでも下を向き、殿下の手が離れるのを待つ。胸がドキドキして、息が苦しい。湯船から上がる真っ白な湯気の中で体の奥から熱い何かが湧き上がって来るのが分かる。殿下の手が離れる。
「そういう顔をするな。」
そう言って殿下が笑う。俺は恥ずかしいのか何なのか、分からないまま殿下の髪を梳く。
◇◇◇
その日の夜、俺は殿下の隣の部屋でベッドに入った。浴場での事が頭の中で繰り返される。殿下の脱衣も、その長い髪に触れるのも、別に初めてでは無い。なのに、今日は胸がいつになく高鳴って、息が苦しい。自分でも薄々勘付いていた感情だった。それを今日、俺は自覚させられた。
もっと素直になって良い…
どういう意味だろうか。そして俺の頬を撫でたのは何故なんだろうか。俺は殿下が好きなんだろう。それが恋愛という部類に入るのか、親愛の情なのか、尊敬の高ぶりなのか、忠誠心なのかずっと考えて来た。でも今日、それがハッキリとした。
俺は殿下が好きなんだ。
こんな感情を殿下に対して持つのは間違っていると思っているのに、殿下はそんな俺の感情をあっさりと飛び越え、そして受け入れるかのような言動をなさった。
混乱する。
俺はずっと騎士として生きて行く道を選んだ。そしてその忠誠を誓ったのが殿下だった。女性に興味が湧かなかった事も、これで腑に落ちた。政略結婚だとしても、女性と関係を築く事も、ずっとして来なかった。俺はそれをずっと騎士の道に邁進しているからだと言い訳して来た。
でも違う。
本当の俺は殿下が好きで…いや、最初は騎士の道を極めようとしていたんだ。いつの間にか俺の心の中にはいつも殿下が居た…殿下をお守りしなくてはいけないんだから、それは当たり前の事だと思って来た。
「テオファーヌ様…」
そう呟いてみる。名を呼んだだけで、心がざわめき立ち、胸が苦しい。
その日の夜、夢を見た。夢の中の俺はベッドに横になっていて、殿下が俺を優しく見下ろしている。
「アーデルハイト…今度はうまくやるんだ。」
そう言いながら殿下は俺の頬を撫でている…。