他の領地での視察を終え、王宮に戻る。自分の気持ちを自覚したけれど、その気持ちは本来、持ってはいけない感情だ。だから俺はその気持ちをひた隠しにする。誰かに悟られてはいけない。もちろん。殿下本人にも。
そう思っていたのに。
殿下は俺を事あるごとに呼び出し、傍に置く。殿下の一挙手一投足に俺の心が揺れる。
「アーデルハイト。」
そう呼ばれるだけで、俺は気持ちが浮き立つのを抑えるのに苦労する。今も殿下は俺を傍に置き、執務をされている。長い髪…俺が洗って差し上げた事のある髪…艶やかな金色の髪は殿下の肩から滑り落ち、揺れている。カリカリと何かを書き込む音、スッスッと紙が滑る音、考え込む時に息を吐く音…殿下から発せられる全ての音が、こんなにも俺の心をかき乱して行く。俺は平静を装いながら、胸の高鳴りをひた隠す。
「アーデルハイト。」
そう呼ばれて殿下を見る。
「はい、殿下。」
殿下は俺に一枚の紙を差し出す。
「読んでみてくれ。」
そう言われて紙を受け取る。その紙には殿下の書かれた文字が並んでいる。内容は殿下に送られた手紙の返信のようだ。流れるような文章、礼節を欠かず、それでも殿下の意志が感じられる。相手を思いやって優しくはあるが、内容的には断りの文章だ。
「それを送っても問題無いと思うか?」
そう聞かれ、俺は頷く。
「はい、とても礼儀正しく、お相手への敬意もあり、簡潔にまとめられていると思います。」
そう言いながら殿下にその紙をお返しする。殿下は俺を見て聞く。
「もし仮に、これをお前が受け取ったらどう思う?」
そう聞かれ、頭の中で内容を反芻する。
「そうですね、礼儀正しくはありますが、断りの文章なので、多少の落胆はあるでしょう。」
殿下はそれを聞いて微笑む。
「そうか…これはな━」
そう言って殿下が俺に話し出したのは、この手紙の相手との経緯だ。
手紙の相手はこの国の侯爵家令嬢ロズリーヌ・モラン様からのもので、近く開催される夜会で殿下にエスコートをして欲しいとの内容だそうだ。
「それをお断りになった、という事でしょうか。」
そう聞くと殿下が微笑む。
「そうだ。」
それを聞いて俺は心のどこかでホッとしていた。だがそんな自分を戒める。殿下は王太子だ。いつかはその身を固め、伴侶を決め、愛し合い、子を設けるのは至極、当然の事…。頭では分かっている事でも、こうして現実となって目の前で見てしまうと、心が痛む。
「この夜会では、誰のエスコートもしない…強いて言えば、俺の傍付きであるアーデルハイト、お前が俺と共に入場するのだから、お前がエスコート役だな。」
そう言って笑う。それが冗談だと分かっていても、そう言われて少し嬉しくなる。
「あぁ、そうだ。」
殿下は時計を見て、立ち上がる。
「これからその夜会に向けての衣装を作るんだが、お前も来い。」
◇◇◇
王宮の衣装室、そこで今、俺は何故か、体の採寸をされている。
「やはり騎士様でいらっしゃると、胸周りと腕、太ももの辺りが一般の方とは違って、サイズが大きいですね。」
採寸をしてくれている衣装室のテイラーがそう言う。
「あの…殿下、何故、私が…」
そう言うと殿下が笑う。
「言っただろう? 今回の夜会では誰のエスコートもしないが、お前が私の傍付きである以上は、お前は私と共にあるのだから、お前の装いは私への評価にもなるんだ。」
テイラーは一通り、採寸を終え、紙にその採寸したサイズを書き込む為に少し離れる。殿下が俺に近付き、俺の耳元で囁く。
「私と同じ色でまとめ、統一感を出そうと思うが、どうだ?」
ほんの少し、殿下の方を見ただけで、互いの息が掛かる程、距離が近い。
「それは…良いと思います…」
そう言うのがやっとだった。殿下はそんな俺を見て微笑み、更に囁く。
「顔が赤いな…熱でもあるのか?」
「エドモンド、少し出ていてくれるか?」
テイラーが承知致しましたと言って、その部屋から出て行く。殿下はそれを見届けると、不意に俺の頬に触れ、聞く。
「顔が赤いままだが、大丈夫か?」
そう聞かれ俺は視線を下に向け、言う。
「大丈夫です…」
こんなに近くに殿下が居て、俺の頬にその手が触れている…。殿下の手はそのまま俺の胸板に滑り落ちる。採寸の為に薄着になっている俺の胸板を確認するように殿下の手が押し当てられる。
「うん…確かにエドモンドの言う通り、お前の上半身は大きいな。」
そう言いながら今度は殿下の手が俺の肩に触れ、腕周りを触る。
「毎日の鍛錬の賜物だな。」
そして急に肩を組み、俺を見て笑う。
「お前に似合う色を選ぼう。」
◇◇◇
衣装の打ち合わせが終わり、殿下は次の公務に向かわれる。俺はその後を付いて歩きながら、殿下に触れられた胸板や腕周りを意識する。男同士で互いの筋肉を見て、触れて確かめ合う事くらい、今までだって何度もあった。
こんなに鍛えたんだ、お前のはどうだ、まだまだ鍛錬が足りないんじゃないか、そんなやり取りなんて、日常のものだった。さっきの衣装室でのやり取りだって、殿下が俺の鍛錬を褒めてくれただけの事…そう思うようにした。でないと、持ってはいけない希望を、あらぬ希望を持ってしまう。
その日の公務を終え、俺は席を外し、夜の訓練場へ来る。殿下の護衛は他の騎士がやってくれている。とは言ってもお休みになっている殿下の部屋の前を護衛騎士が立っているだけだが。俺は夜の訓練場で、木刀を振る。
雑念を払うんだ
そう言い聞かせ、一心に木刀を振り、汗を流す。汗と共に流れてしまえば良い、俺の不埒な考えも、あらぬ感情も。春の嵐のなのか、風が強く、俺の体に伝った汗が風に晒されていく。風邪をひかぬように俺は鍛錬を止め、浴場へ行く。服を脱ぎ捨て、汗を流す。
◇◇◇
夜会当日。
衣装に身を通す。殿下の装いは完璧だった。
「お前も良く似合っているな。」
殿下はそう言うと、俺の前に立ち、俺の髪に触れる。
「お前の髪色は美しいな。」
そう言いながら目を細める殿下の方が何倍も美しい。
「私の髪色はただの黒です。」
そう言うと殿下は少し笑って言う。
「お前の髪色は光を通すと少し青いんだ。青みを帯びた髪はそれ程、多くは無いのだぞ?」
そう言い、微笑む殿下のタイに手を伸ばす。タイの歪みを直し、手を離すと、殿下が言う。
「ありがとう。」
殿下はそう言って俺から離れる。そして自身のデスクの中から何かを取り出す。それを持ってまた俺の前に立つと、それを差し出す。差し出されたのは青い石が綺麗なラペルピンだった。
「これは…?」
そう聞くと殿下は笑って俺の服のフラワーホールにそのラペルピンを挿す。
「お前の為に作らせたんだ。」
そう言って微笑み、俺のフラワーホールにあるラペルピンを満足気に見る。
「これはブルーダイヤモンドだ。貴重だぞ?」
悪戯っ子のようにそう言って微笑む殿下の胸にも同じものが挿さっている。