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第3話ー口付けー

夜会会場に入る。

「テオファーヌ王太子殿下の御入場です!!」

殿下が背筋をスッと伸ばし、会場に入って行く。俺はその後を付いて歩く。キラキラと殿下の長い髪が歩く度にサラサラと揺れる。俺はそんな殿下の後を歩きながら、警戒を緩めない。


一国の王太子、公式な場では誰がいつ殿下を狙うかは分からない。殿下は笑顔を崩さず、挨拶に来る者たちに応対する。ふと視線を感じてその気配の方を見るとそこには殿下にエスコートを断られたロズリーヌ・モラン嬢がこちらを睨むように見ていた。エスコートを断られた程度であの態度だ。警戒しなければいけないかもしれない。


殿下からエスコートの話を聞いてから、モラン家について、少し調べたが、怪しいものは何も出ては来なかった。ロズリーヌ嬢が少しワガママに育っているくらいだろう。とはいえ、一国の王太子を侯爵家の令嬢がどうにか出来る訳も無いのだが。だがそうは言えど侯爵家だ。こちらが予想もしない方法で何かを仕出かす危険は常にある。


夜会は順調に進み、ダンスの時間だ。遠目で殿下を見ていたロズリーヌ嬢もいつの間にか殿下の近くに来て、殿下からのダンスの申し入れを待っている。殿下は誰と踊るのだろう? そう思いながらも俺はその様子を見守る事しか出来ないのが歯痒かった。でも、今、この場では仕方のない事だ。

「アーデルハイト。」

急に名を呼ばれ、俺は少し驚く。

「はい、殿下。」

そう返事をすると殿下は俺に近付き聞く。

「誰を誘えば良いと思う?」

殿下がそう聞くという事は、殿下の選ぶダンスのお相手が政治的にも意味を為す相手だからだろう。

「ここはエスコートをお断りした事を考えてもモラン家のロズリーヌ嬢が一番の候補でしょうか。」

そう言うと殿下は少し考える素振りをする。

「そうか…お前がそう言うなら、そうしよう。」

殿下はそう言って、歩き出す。その背中を見ながら俺は切なくなる。こんな公の場所で俺如きが殿下の傍に居られるのは殿下の傍付きだからだ。


踊り出した殿下とロズリーヌ嬢を見ていたが、俺は殿下を見るのを止めた。視野を広く、殿下の周りの者たちを視界に入れるようにする。男同士で踊るなど、今まで見た事も無いし、誰もやっていない。でも俺は自分の頭の中で殿下にエスコートされたり、エスコートしたりを思い描く。殿下はどちらが好きなんだろうか…そんな在りもしない想像をする自分を笑う。

「アーデルハイト様。」

急に声を掛けられ、声の方を向く。そこには見た事も無い令嬢が立っている。

「お呼びになりましたでしょうか。」

そう聞くとその令嬢は恥ずかしそうに言う。

「あの、もし、よろしければ…その、ダンスを…」

あぁ、ダンスの申し込みかと思う。

「申し訳無いが、私は今、勤務中なので。」

そう言うとその令嬢があからさまにガッカリする。

「そうですか…。」

そう言って去って行く。悪い事をしたなと、普通ならそう思うんだろう。でも俺は別に嘘を言っている訳では無いし、興味が無いとハッキリ断った訳でも無い。視線を殿下の周りに移す。殿下はロズリーヌ嬢と踊っている。


ロズリーヌ嬢とのダンスが終わると、殿下はスタスタと歩いて来て、俺に言う。

「喉が渇いた。飲み物を持って来てくれるか。」

そう言われて俺は言う。

「はい、殿下。」

飲み物を取りに行こうとした時、殿下に言われる。

「バルコニーに居る。」

殿下はそう言い残してバルコニーの方へ歩いて行く。飲み物を取りに行き、それを持ってバルコニーへ向かう。バルコニーに入ろうとして、手が止まる。夜風に吹かれている殿下の髪がなびいている。キラキラと室内の光を反射する繊細な髪…。背が高く、スラッとしているその立ち姿。畏敬の念に打たれる。敬愛し、尊敬する殿下。そんな殿下に恋慕の情を持っている自分が汚れているのでは? と思ってしまう。

「失礼致します。」

そう言ってバルコニーに入ると、殿下が振り向き、俺を見て微笑む。その微笑みは気を許した者にしか見せないものだ。殿下に飲み物を差し出す。

「お持ちしました。」

そう言うと殿下がそれを受け取り言う。

「アーデルハイト、ありがとう。」

ほんの一瞬、指先が触れる。殿下は飲み物を受け取ると一口飲んで、そのグラスを俺に差し出す。

「お前も飲め。」

そう言われて俺は言う。

「私は大丈夫です。」

そう言うと、殿下が少し笑って言う。

「命令だ、飲め。」

そう言われてしまえば、断る事が出来ない事を殿下は知っていて、そう言っている。殿下からグラスを受け取り、殿下が口を付けた飲み物を飲む。アルコールが喉を焼く。殿下は飲み物を飲んだ俺を見て満足そうに微笑んでいる。


その時だった。


視界の端の方で何かが光った。俺は咄嗟に駆け出し、殿下を庇う。音もなくそれはバルコニーに居た殿下の方へ飛んで来ていて、殿下を庇った俺の肩にそれが刺さる。


「アーデルハイト!!」


殿下がそう俺の名を呼ぶ。肩に刺さったのは矢だった。痛みよりも俺は次の矢が放たれる危険性を考え、殿下に言う。

「身を隠してください…」

そう言って殿下を押し倒すようにバルコニーの下へ身を隠す。俺は殿下を庇いながら、バルコニーの入口を開け、すぐそこに居た護衛騎士に言う。

「急襲だ、殿下を頼む…」

護衛騎士は驚きながらも、素早く殿下を中に入れ、殿下を数人の騎士が囲む。

「矢は南東から放たれた、すぐに捜索しろ!」

殿下がそう言う。バタバタと騎士たちが数人、走って行くのを見ながら、立ち上がろうとした…が。


体に力が入らない。


その瞬間に悟る。…毒か。手足が痺れ、体が言う事を聞かない。

「アーデルハイト!」

耳に残るのは殿下の声…。あぁ、殿下、良かった…ご無事で…そう思った瞬間、俺は意識を失った。


◇◇◇


アーデルハイト、アーデルハイト


誰かが俺の名を呼んでいる。目を覚まさなくてはいけない。そう思っても目が開かない。体が重く、指一本動かす事も出来ない。


「では、もう…?」

誰かのそう言う声が聞こえる。

「えぇ、即効性のある毒です…致死量の毒が体を回ってしまっています…」

そういう声を聞いて、あぁ、これは俺の話なんだと分かる。そうか、俺は死ぬんだ…。死に際なのに、俺は自分の目頭が熱くなっている事に気付く。涙が溢れて閉じている俺の目から涙が落ちるのが分かる。

「アーデルハイト…」

呼び掛けられる。その声は殿下の声だ。


見たい、殿下の顔を一目だけでも…。


そう思って俺は必死にもがく。何とか目を開け、殿下を見る。殿下は優しく微笑んでいた。


なんて美しいんだろう。俺の愛した人は…こんなに急に別れが来るなら、俺の気持ちを伝えれば良かった…それが決して許されない事だとしても…。


「愛し…て…い、ます…」


━━ 愛しています ━━


そう言ったつもりだった。伝わっただろうか…。殿下は優しく微笑んだまま、俺では無い誰かに言う。

「二人きりにしてくれ。」

しばらくして、殿下は俺を見て、俺の頬を撫で、そして顔を近付ける。

「ダメだ、アーデルハイト、やり直しだ。」

殿下はそう言うと、俺に口付けた。


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