ふと、目が覚める。ここは…? 体を起こして辺りを見回す。
そうだ、自分の部屋じゃないか。俺は何をしていたんだ? 部屋の窓からは朝陽が差し込んでいる。
何をしていたか? じゃない。これから起きて、騎士団の訓練場に行かなくては。起き出して支度をする。
でも。
何故か、俺はこの日を何度も迎えているような気がしている。そんな訳無い。毎日、同じような日々の連続だから、そう思うのかもしれない。…疲れているのか?
その日は訓練場で木刀を振り、騎士団の仲間と共に剣術の腕を磨いていた。そして呼び出される。騎士団長カーティスに。
緊張しながら部屋の前に立つ。
「連れて参りました、殿下。」
カーティスがそう言う。部屋に入ると、部屋の窓際にその方はいらっしゃった。日の光を背後に、美しい金色の髪がその方の輪郭を浮き立たせている。
「アーデルハイトと言ったか。」
その方にそう言われて俺はハッとする。
「王国の星、テオファーヌ王太子殿下にご挨拶申し上げます。」
そう言いながら片膝を付く。
◇◇◇
殿下は俺を傍付きにした。それからの日々は殿下と共に過ごす事になった。どこへ行くにも殿下は俺を従えた。美しいその人は俺の中にまるでずっと居たかのように、鮮烈な印象を残す。形容しがたいその感情は、俺を悩ませた。
何度、振り払っても俺の中の「ある感情」は絶対にその存在を消さない。美しいその人を視界に入れる度に俺の心は浮き立ち、そして現実に打ちのめされて行く。
俺のこの感情は本来持ってはいけない感情だ。殿下に恋慕するなんて…。俺はどこかおかしいのだろうか。そう思ったが、何度振り払っても俺の中のこの感情は消える事は無かった。もう受け入れるしかない。そう思った時、俺の中の誰かが言う。
もっと素直になって良い
誰かに言われたような気がするこの言葉に、俺は不思議な感覚になる。
◇◇◇
殿下の視察に付き添う。王都から近い領地で、視察は滞りなく終わろうとしていたが、急な雨に降られ、慌てて領主の屋敷に入る。
「濡れてしまわれましたな、すぐに湯浴みの準備を。」
領主がそう言う。
「アーデルハイト、一緒に来い。」
殿下にそう言われ、殿下の滞在する部屋に入る。殿下は濡れた服をおもむろに脱ぎ出す。
「お前も濡れただろう?」
そう言われ自分の服を見る。
「はい、ですが、大丈夫です。」
そう言うと殿下は微笑んで言う。
「一緒に入るか?」
その顔は悪戯っ子のように笑っている。
「私が殿下と一緒に入るなど、あってはなりません。」
そう言うと殿下が笑う。
「私とお前以外に誰も居ないのに、そう言うのか。」
殿下は上半身の服を脱ぎ捨て、俺に近付く。
「私と一緒は嫌か?」
俺は目の前に居る殿下を見られない。
「そういう問題ではありません。」
殿下の手が俺の服のボタンを外して行く。
「殿下…」
そう言いながらボタンを外す殿下の手を止める。殿下は俺の手を取り、俺の指の背を撫でながら言う。
「命じれば従うか?」
殿下からの命令であれば、従う外ない。深く考える事は無い。騎士団の宿舎でも男同士で風呂に入った事もあったのだから。そう言い聞かせても、俺はまた別の問題にぶち当たる。殿下と一緒の風呂など、俺のような者が一緒に入って良い訳が無い、そう言い訳しないと俺の理性が崩壊するのは分かり切っていた。ふと殿下が笑う。
「お前を困らせたい訳じゃない…命令する気も無い…」
殿下はそう言うと少し寂し気に微笑み、俺の頬に触れる。
「もう少し素直になって貰いたかっただけだ…」
そう言って殿下の手が離れる。
その手を取りたい…
切にそう願っているのに、そうしたいのに、出来ない自分が居る。
「アーデルハイト、髪を洗ってくれ。」
殿下が浴場に向かいながらそう言う。
「はい、殿下。」
そう返事をして、腕まくりをする。雨に濡れたシャツが背中を冷やして行く。
殿下の髪を流し、髪を梳く。髪以外を見ないように。
「アーデルハイト。」
そう呼ばれ、殿下の方を見る。
「はい、殿下。」
殿下は目を閉じている。
「お前にして欲しい事があるんだ。」
殿下は目を閉じたまま、その口元で少し笑う。
「何でしょうか。」
そう聞くと殿下が言う。
「名を…名を呼んでくれ。」
殿下の名…テオファーヌ様…。髪を梳きながらふと気付く。
殿下のバスタブの上に置かれている手が、その指が少し震えていた。
殿下の名を呼ぶ者…今は殿下の名を呼ぶのは国王陛下と王妃殿下くらいだろう。お寂しいんだろうか。そんなふうに考えた事も無かった。そして今、殿下は他の誰でも無いこの俺に、今この瞬間に名を呼んでくれと仰っている。俺と殿下の二人しか居ないこの空間。俺を意を決する。
「テオファーヌ、様…」
上手く言えただろうか。そう思っていると、クスッと殿下の微笑むのが感じられた。
「あぁ、やっぱりお前に名を呼ばれるのは良いな…」
そう言われて思わず笑みが漏れる。殿下が目を開け、俺を見る。
「お前の笑みも私は好きだぞ、だが。」
そう言って言葉を切り、殿下の手が伸びて来て俺の頬に触れる。
「私以外にその笑みは見せるなよ?」
殿下の隣の部屋でベッドに寝転がりなら、殿下が触れた俺の指や、俺の頬を意識する。いつも殿下には心を揺さぶられる。胸の真ん中を鷲掴みにされているような気がする。胸が苦しい。
視察からの帰り道、普段は殿下とは同じ馬車には乗らないが、今回は殿下に同じ馬車に乗るように言われ、そうした。殿下は馬車の窓から外を見ている。美しい顔立ち、存在そのものがまるで神のようだと思う。
「アーデルハイト。」
殿下は外を見ながら声を掛ける。
「はい、殿下。」
そう返事をすると殿下は外を見たまま言う。
「そんなに見つめられると穴が開きそうだ。」
そう言いながら殿下が笑う。俺は殿下に見惚れていた事を見透かされて、恥ずかしくて下を向く。
「それから。」
殿下がそう言って俺を見る。
「二人きりの時は名で呼んでくれ。」
殿下の美しい碧眼が揺れる。
「かしこまりました…テオファーヌ様…」
殿下はクスっと笑って、そして言う。
「こっちへ。」
そう言って殿下は自分のすぐ横の席を軽く叩く。
「いえ、それは…」
そう言うと殿下が言う。
「良いから、来い。」
そう言われて俺は立ち上がり、殿下の隣へ座る。殿下は隣に座った俺の手を取り俺の手を握ったまま、自身の膝の上に載せる。殿下の手は俺の手を握り、その指で俺の手の甲を撫でている。
「こちらを見ずに聞け。」
殿下の言葉を聞き、俺は殿下を見ずに言う。
「はい、テオファーヌ様。」
殿下は俺の手の甲を撫でながら言う。
「私はお前を可愛がっている、それは周知の事実だ。」
殿下の言う通り、俺は殿下に可愛がって頂いている。
「だが、そこには皆が思っているのとは別の、全く予想もしていないであろう感情も入っている。」
そう言われて俺は殿下を見そうになる。
「こっちを見るな。」
そう言われて俺は慌てて下を向く。殿下の指が俺の手の甲を撫で続けている。
「こうしてお前の手を撫でているのが、私の愛情表現だとしたら、お前はどう思う?」
そう聞かれ俺は目を見開く。
愛情表現と仰った、か?