下を向いたまま考える。愛情表現と言えど、種類は色々あるだろう。誤解してはいけないと思い直す。殿下が俺の手を握ったまま持ち上げる。見るなと言われていたのに俺は殿下を見てしまう。殿下は俺の手を自身の口元に持って行き、俺の手の指に口付けた。その顔は優しく、そして愛情に満ちていた。
「どう思う?アーデルハイト。」
そう問われる。殿下の柔らかな唇が俺の指へその感覚を伝える。あぁ、殿下に俺は愛されている…こんな俺でも良いと言うのだろうか。その瞬間、俺の頭の中に「あるイメージ」が浮かぶ。
「ダメだ! アーデルハイト!! 逝くな! 一人にしないでくれ…」
そう言いながら俺を抱き、悲しみに暮れる殿下の頬には涙が伝っている。
このイメージは一体、何なんだ? そう思った俺は思考が止まり、目の前の殿下を見つめる。
次の瞬間だった。馬車の窓の外、何かが光った。瞬時に俺の体が自然と動く。
「テオファーヌ様!」
俺は殿下が握って下さっていた手を引き、殿下を抱き留め、そして覆い被さる。光ったそれは馬車の窓を突き破って、さっきまで殿下が座っていた座面に突き刺さっている。窓を突き破った音で、御者が驚いて馬車を止める。
「アーデルハイト!」
殿下が俺の体の下で俺を見上げる。
「ご無事で…」
それだけ言うのがやっとだった。俺の左肩から血が流れ出している。
「怪我をしたのか?!」
殿下にそう聞かれる。
「大丈夫です、かすり傷ですので…」
そう言って笑ったが、上手く笑えているかは分からない。周囲に居た護衛騎士たちが馬車の扉を開ける。
「殿下! ご無事ですか!」
そう聞いた護衛騎士がハッとして後ろを見る。
「襲撃だ! 扉を! 扉を閉めろ!!」
護衛騎士の誰かがそう怒鳴る。バタンと扉が閉められ、馬車の中には俺と殿下だけになる。俺は力を振り絞り、起き上がろうとする。でも、起き上がる事は出来なかった。
「アーデルハイト!」
殿下がそう言いながら俺を抱える。馬車の外では急襲して来た者たちと護衛騎士たちが戦っている音がしている。体が痺れて来る…。
また、毒か…。
また? 俺は今、そう思った。またとは何だ? 俺は毒で死ぬ苦しみを知っているかのような気がして来る。チカチカと視界が光る。さっき、浮かんだイメージがまた浮かぶ。俺を抱え、涙しながら俺の名を呼ぶ殿下…。それと同じ事が今、起こっている。いや、正確には違っている。場所も時間も。俺がさっき見たイメージは夜の…
「アーデルハイト!」
殿下にそう呼ばれ、俺は殿下を見る。殿下は涙を流されている。
「ダメだ、アーデルハイト…」
美しい碧眼から零れる涙はこの世の何よりも美しいと感じる。
「テオ、ファーヌ、様…」
俺は痺れる腕を必死に動かし、殿下の頬に触れる。殿下はそんな俺の手を取り、俺の手の平の中に口付ける。
「ダメだ、アーデルハイト、やり直しだ…お前を失う訳にはいかないんだ…」
殿下はそう言って涙を零しながら俺に顔を近付ける。目を閉じる一瞬前、殿下の碧眼がひと際強く光る。事切れる寸前に感じ取る、殿下の唇の感覚…。
◇◇◇
ハッとして目覚める。呼吸が荒くなる。汗をかいている。体を起こす。俺は自分の手を見つめる。何が起こった? さっきまで俺は馬車の中に居たんじゃなかったのか? 辺りを見回す。ここは…。視察先の領主の屋敷だ。部屋は暗く、窓の外もまだ暗い。
一体、どういう事なんだ?
俺はさっきまで馬車の中にいて、殿下を毒矢からお守りした筈…。体中に毒が回って…殿下は俺を腕に抱いたまま、涙を流されていた筈だ。ベッドを出て部屋を出る。殿下の部屋の前には護衛騎士が立っている。
「変わりは無いか?」
そう聞くと、護衛騎士は力強く頷く。
「はい、変わりはございません。」
俺は殿下の部屋の扉を静かに開いて中に入る。殿下はベッドで静かにお休みになっていた。その寝顔は安らかで、何も起こっていない事を物語っている。部屋の中を確認し、静かに部屋を出る。
「引き続き、頼む。」
そう言って隣の部屋に戻る。ベッドに腰掛け、考える。
あれは一体、何だったんだ?
これから起こる事を夢にでも見たんだろうか。それにしては感覚がリアルだった。毒に侵され、体が麻痺していく感覚、痺れる腕を伸ばして触れた殿下の頬…。そして思い出される殿下の涙と口付け…。
お前を失う訳にはいかない
殿下は確かにそう仰った。
両手で自分の顔を覆い、考える。あれが何であろうと、どうでも良い。大事なのはここからの帰り道に襲撃される可能性があるという事だ。
思い出せ、何か見なかったか?
そう自分に問いかける。放たれた毒矢。毒矢が馬車の窓を突き破って殿下の居た場所の座面に突き刺さる…。突き刺さった矢…毒が塗られている矢…。
◇◇◇
翌朝、俺は護衛騎士に命じて、護衛の範囲を広げた。毒矢が放たれたのであれば、距離はそう遠くない筈だ。その後の襲撃を見ても、その毒矢で仕留め切れなかった場合の方法まで、きちんと練り上げられている。
殿下が馬車に乗る。それに続いて俺も同じ馬車に乗った。場所はどこだ? どのタイミングで放って来る? もしもの時に備え、俺は剣を装備した。
「今日は剣を持っているのか。」
殿下はそう言って微笑む。
「はい、私も騎士の端くれなので。」
そう答えると殿下が笑う。
「お前の剣の腕はこの国随一だろう?」
それを聞いて俺は微笑む。
「いえ、私など殿下やカーティスに比べたら、まだまだです。」
馬車が進む。殿下は窓の外を見ている。同じだ、そう思った。
「アーデルハイト。」
殿下に呼び掛けられる。
「はい、殿下。」
そう返事をすると、殿下が外を見ながら聞く。
「守備は上々か?」
そう聞かれ、俺は頷く。
「はい、殿下。」
殿下が俺を見る。
「二人きりの時は名を呼べと言っただろう?」
殿下はそう言って微笑む。美しい笑み、神々しさを感じる。
「かしこまりました、テオファーヌ様。」
そう言って俺も微笑む。殿下が自分の隣の座面を叩く。
「こっちへ。」
そう言われて俺は殿下の隣に座る。殿下の手が伸びて来て、俺の手を取り握ると、自身の膝の上に俺の手を載せ、握ったままその指で俺の手の甲を撫でる。そうされてやっぱり殿下は俺を大事にしてくださっているのだと確信する。
「こっちを見ずに聞け。」
そう言われ、俺は微笑む。
「はい、テオファーヌ様。」
そう言いながら殿下を見る。
「こっちを見るなと、言っただろう?」
殿下はそう言いながら、俺を見て笑う。見ずにはいられないのだ。こんなに美しい人を。そしてこれから起こるかもしれない事を思い、俺は殿下に手を伸ばした。
「アーデルハイト…?」
殿下の戸惑う声。そんな声は初めて聴いたかもしれない。殿下を抱き寄せ、覆い被さる。殿下の頭の下に手を入れ、殿下の頭を庇い、自身のマントでそのお体を覆い隠す。殿下は俺を見て聞く。
「これは何の真似だ?」